ホテルの前は草津の国道1号線だ。
東京から473、5キロだ。
電車で瀬田駅で下車し、昨日の辻の反対側から
ここからスタートした。
御町内の爺さんたちが道を掃除している。
瀬田から瀬田の唐橋までは1キロくらいの道のりだ。
琵琶湖なんだな~~。唐橋を渡り
暑くなって来たのでコートを脱ぎ
道標に従いながら歩き
松尾芭蕉の墓のある義仲寺に立ち寄った。
木曽義仲の墓の右隣に芭蕉翁の墓がある。
俳句の神様 俳諧師の松尾芭蕉の墓なので
ハイクの徘徊士のワタシは手を合わせた。
この庵は「翁堂」ということを知って驚いた。
ワタシの実家はお菓子屋で、屋号を「翁堂」と言う。
少なからぬ因縁(笑)に、うむ~~~~。
ところで、木曽義仲の墓の近くに巴塚がある。
これは義仲公の側室、巴御前の墓だと、案内書に書いてあった。
その「義仲寺案内」によると・・・
見目麗しき尼僧が義仲公の墓所のほとりに草庵を結び、
日々の供養にねんごろであった。
里人がいぶかって問うと、
「われは名も無き女性(にょしょう)」と答えるのみである。と
書かれている。
なんだか寅さんのセリフのようだね~~~。(笑)
義仲公が生きていたときは生活費を貰っていたかもしれないが
義仲公の没後はどうやって生計を立てていたんだろうね~~~。
それからどんどん前進し
滋賀県庁を左に見て逢坂の関に向かって歩くのだが
歩道が途中で左側にしかないので道を横断しなければならない
国道1号線 486キロまで来た。
逢坂の関で、また国道1号線を横切り側道に入り
こんなところに有名そうな「うなぎ屋」さんの
昔若かったお姉さんたちが「うなぎどうですか?」と声を掛ける。
また歩道橋を渡り
道をどんどん下って行く間に雲ゆきが怪しくなり、ポツリポツリと
雨が降り出し、再びコートを取りだし傘をさして歩いた。
いよいよ京都だ~~~~~。京都に入るころには雨も上がった。
京都の山科に入った。お昼だし、ラーメンを食べたいな~~と
思ったが、山科駅近辺のラーメン屋は混んでいたので
和風カレー屋に入った。なかなかいい味だったが、
二人組の女子大学生風の女の子が、一口たべると大声で
「おいし~~~っ!」と言った。
まるで、TVの番組でなにか食べると「おいし~~っ!」と叫ぶ
タレントのノリだ。なんなんだろうね~~~~。(苦笑)
山科から道はだんだん下って三条大橋に向かうと思ったら
また道を登らなければならない。
東海道本線の御料駅付近から143号線から側道に入り
歩いていたが、なんだか不安になり、丁度マンションから出て来た
学生さんに尋ねると、
「この道は東海道かどうか分かりません。京都三条に行くなら
あの道です」と言う。
ここまで来て、道を間違えて右往左往したくはないので
国道143号線に出た。
「蹴上げ」まで来ると、旧東海道も143号線に合流するので
まあ、同じことだと自分を納得させることにした。
どんどん下って行くと、三条通りという表示も見えて来る。
平安神宮の鳥居を右に見て
坂本竜馬が祝言をあげた場所などを見ながら
もうすぐ三条大橋だ。
午後3時過ぎに京都三条大橋に到着。
京都三条大橋は
駅伝の碑もある。1917年4月27日三条大橋から
上野不忍池までの駅伝競走がおこなわれた碑だ。
三条大橋到着の証拠写真をビラ配りのお姉ちゃんに撮って貰った。
で、京都では観光など考えていなかったし、予約したホテルも
どうやって行くかも見当がつかないので、
ホテルのある四条大宮まで歩いた。
つまり「予定より、ず~~と歩いていま~~す」状態だ。
途中、交番でホテルの場所を訊き、なんとかたどり着いた。
やれやれ(笑)
今夜は「先斗町」で芸者でもあげるか~~っ!
あげるわけない!(笑)
今夜の祝杯も買い出しで部屋飲みだ~~~っ!
でも、その土地その土地で惣菜を買うことによって
その地方の味付けが変わるのが分かるかもしれないと思って居たが
そんなに変わるもんじゃないよね~~~~。(笑)
これを食べて飲めば、もうすることはないので今夜も早寝だ。
本日の歩いた歩数 33393歩
歩いた時間 6時間
「小用の旅」 4回
東京から473、5キロだ。
電車で瀬田駅で下車し、昨日の辻の反対側から
ここからスタートした。
御町内の爺さんたちが道を掃除している。
瀬田から瀬田の唐橋までは1キロくらいの道のりだ。
琵琶湖なんだな~~。唐橋を渡り
暑くなって来たのでコートを脱ぎ
道標に従いながら歩き
松尾芭蕉の墓のある義仲寺に立ち寄った。
木曽義仲の墓の右隣に芭蕉翁の墓がある。
俳句の神様 俳諧師の松尾芭蕉の墓なので
ハイクの徘徊士のワタシは手を合わせた。
この庵は「翁堂」ということを知って驚いた。
ワタシの実家はお菓子屋で、屋号を「翁堂」と言う。
少なからぬ因縁(笑)に、うむ~~~~。
ところで、木曽義仲の墓の近くに巴塚がある。
これは義仲公の側室、巴御前の墓だと、案内書に書いてあった。
その「義仲寺案内」によると・・・
見目麗しき尼僧が義仲公の墓所のほとりに草庵を結び、
日々の供養にねんごろであった。
里人がいぶかって問うと、
「われは名も無き女性(にょしょう)」と答えるのみである。と
書かれている。
なんだか寅さんのセリフのようだね~~~。(笑)
義仲公が生きていたときは生活費を貰っていたかもしれないが
義仲公の没後はどうやって生計を立てていたんだろうね~~~。
それからどんどん前進し
滋賀県庁を左に見て逢坂の関に向かって歩くのだが
歩道が途中で左側にしかないので道を横断しなければならない
国道1号線 486キロまで来た。
逢坂の関で、また国道1号線を横切り側道に入り
こんなところに有名そうな「うなぎ屋」さんの
昔若かったお姉さんたちが「うなぎどうですか?」と声を掛ける。
また歩道橋を渡り
道をどんどん下って行く間に雲ゆきが怪しくなり、ポツリポツリと
雨が降り出し、再びコートを取りだし傘をさして歩いた。
いよいよ京都だ~~~~~。京都に入るころには雨も上がった。
京都の山科に入った。お昼だし、ラーメンを食べたいな~~と
思ったが、山科駅近辺のラーメン屋は混んでいたので
和風カレー屋に入った。なかなかいい味だったが、
二人組の女子大学生風の女の子が、一口たべると大声で
「おいし~~~っ!」と言った。
まるで、TVの番組でなにか食べると「おいし~~っ!」と叫ぶ
タレントのノリだ。なんなんだろうね~~~~。(苦笑)
山科から道はだんだん下って三条大橋に向かうと思ったら
また道を登らなければならない。
東海道本線の御料駅付近から143号線から側道に入り
歩いていたが、なんだか不安になり、丁度マンションから出て来た
学生さんに尋ねると、
「この道は東海道かどうか分かりません。京都三条に行くなら
あの道です」と言う。
ここまで来て、道を間違えて右往左往したくはないので
国道143号線に出た。
「蹴上げ」まで来ると、旧東海道も143号線に合流するので
まあ、同じことだと自分を納得させることにした。
どんどん下って行くと、三条通りという表示も見えて来る。
平安神宮の鳥居を右に見て
坂本竜馬が祝言をあげた場所などを見ながら
もうすぐ三条大橋だ。
午後3時過ぎに京都三条大橋に到着。
京都三条大橋は
駅伝の碑もある。1917年4月27日三条大橋から
上野不忍池までの駅伝競走がおこなわれた碑だ。
三条大橋到着の証拠写真をビラ配りのお姉ちゃんに撮って貰った。
で、京都では観光など考えていなかったし、予約したホテルも
どうやって行くかも見当がつかないので、
ホテルのある四条大宮まで歩いた。
つまり「予定より、ず~~と歩いていま~~す」状態だ。
途中、交番でホテルの場所を訊き、なんとかたどり着いた。
やれやれ(笑)
今夜は「先斗町」で芸者でもあげるか~~っ!
あげるわけない!(笑)
今夜の祝杯も買い出しで部屋飲みだ~~~っ!
でも、その土地その土地で惣菜を買うことによって
その地方の味付けが変わるのが分かるかもしれないと思って居たが
そんなに変わるもんじゃないよね~~~~。(笑)
これを食べて飲めば、もうすることはないので今夜も早寝だ。
本日の歩いた歩数 33393歩
歩いた時間 6時間
「小用の旅」 4回