ホテルの部屋(寝室)には入口のドアの照明の他には
シェード・ランプだけだ。
ベッドの脇にスイッチが二つ並んで付いてあるが、どれを押しても
電気が消えたり点いたりするわけではない。
ひどいと言えばひどい部屋だ。
ランプのスイッチはそれぞれに付いているのだ。
洗面所にはチューブ(蛍光灯)もついてあり、
この部屋で一番明るいのが洗面所だ。(笑)
これで一泊6千円もするのだから、今回の「避寒」では
最悪なホテルの選択だった。
加えて言うならば、ハウスキーピングも来ない。
部屋の外の廊下で話し声はするが部屋を掃除に来る気配がないので
「ゴミ」を出し、ミネラルウォーターのボトルを2本貰った。
どうやら、チェックアウトする部屋だけを掃除しているようだ。
まっ、ワタシの部屋にはベッドが2つあるので、
明日は別のベッドで寝よう!
貧乏性なのでツインベッドの部屋でも、同じベッドで寝てしまう。
朝食は期待しなかったが
ホリディーイン・エクスプレスよりは、少しましかな~~~。
この後、スイカとパパイアを食べた。
午前10時から歩き始め、クアラルンプルの「日本人墓地」に行くことにした。
セントラルに行くモノレールの線路の下の道を歩いて行くと
森のような公園のような、実は墓地(中国人)の一画に出会う。
ここの一画に日本人墓地がある。
ここでは、係の人が芝刈り機で雑草を取っていた。
日本人墓地としては明治時代にこの場所を使用しはじめたようだ。
と言う事は、第二次世界大戦以前からある墓地なので
錫や天然ゴムの採掘栽培などからの時代なので、カラユキさんも
この中に眠っているのだろう。
分かりやすく、「日本人墓地」と書かれて、柵があって
管理人住宅が1棟あったて、犬が3匹いて、
門には鍵が掛っていた。
門の前に立つと犬が激しく吠えた。
犬の声に管理人さんが出て来るかと思ったが出てこないので
チャイムを何度も鳴らしたが、チャイムが壊れているのか
管理人さんが不在なのか出て来なかった。
日本人墓地は塀で囲まれているので、中が見える場所を探して
隣接するチューリッヒ保険の脇道から
墓地を見ることができた。
手を合わせて、足元はゴミが散乱していたので、早々に退散することにした。
来た道を戻って、途中から国道1号線をムルデカ・スタジアム方面に向かった。
こんな中国寺院もあった。
パグのような狛犬にどっかで買った「目」を貼り付けて
おもしろい顔をしている。
でも、もう一匹は片目の「目のシール」が落ちてみじめ。(笑)
少し歩くと
陳氏書院・佛院という立派な建物があった。
なんでも1896年に建てられたものらしく、
記帳ノートがあったので「日本国なんのだれそれ」と氏名を
記入し「元宵節快楽!」と記帳した。
で、どんどん歩いて行ったらセントラルマーケットにたどり着いた。
セントラルマーケットに行く理由の「トイレ」に行くためなのだ。
ホテルを10時にでて昼まで1回もトイレに行っていないので
マーケットの有料トイレで用を足し、
スリマハマリアマン寺院に立ち寄った。
12時10分から「お祈り」が始まるので、楽器演奏者が
太鼓と笛と鐘を打ちならすなか
「プージャー」(お祈り)が始まる。
ここでひと休みして、こんどは別の道を歩いてホテルまで戻る。
途中、雷雨となり、雨宿りし、昼飯でも食べようと思ったが
食べたい昼飯に出会わないのでで、雨が止んだので、
また歩きだして、ブキ・ビンタンまで戻った。
フェデラル・ホテル1階の和食屋「海宝丸」のランチサービスが
これで50リンギット(1500円)なので、これと缶ビールを飲んで
ホテルに戻った。
なんと、歩いた歩数は1万3千歩を越えていた。
遅い昼寝後、少しスケッチして、夜になったので、今日は軽く食べようと
目の前の新しくできた
ショッピング・モールに行ったら、なんちゃって日本食ラーメン屋があった。
でも酒がないので、ショッピング・モールから出て向かいの中華屋で
福建麺と
茄子のガーリック炒め
ニンニクがこんなに沢山入っていた!
ビールはハイネンケンの大瓶を2本。
合計で1870円。
そう言えば、去年の記憶がよみがえってきた。
去年もここで食べたかもしれない。
向かい側のショッピング・モールは建設工事中だったので
ざわざわした雰囲気だったな~~~~。
シェード・ランプだけだ。
ベッドの脇にスイッチが二つ並んで付いてあるが、どれを押しても
電気が消えたり点いたりするわけではない。
ひどいと言えばひどい部屋だ。
ランプのスイッチはそれぞれに付いているのだ。
洗面所にはチューブ(蛍光灯)もついてあり、
この部屋で一番明るいのが洗面所だ。(笑)
これで一泊6千円もするのだから、今回の「避寒」では
最悪なホテルの選択だった。
加えて言うならば、ハウスキーピングも来ない。
部屋の外の廊下で話し声はするが部屋を掃除に来る気配がないので
「ゴミ」を出し、ミネラルウォーターのボトルを2本貰った。
どうやら、チェックアウトする部屋だけを掃除しているようだ。
まっ、ワタシの部屋にはベッドが2つあるので、
明日は別のベッドで寝よう!
貧乏性なのでツインベッドの部屋でも、同じベッドで寝てしまう。
朝食は期待しなかったが
ホリディーイン・エクスプレスよりは、少しましかな~~~。
この後、スイカとパパイアを食べた。
午前10時から歩き始め、クアラルンプルの「日本人墓地」に行くことにした。
セントラルに行くモノレールの線路の下の道を歩いて行くと
森のような公園のような、実は墓地(中国人)の一画に出会う。
ここの一画に日本人墓地がある。
ここでは、係の人が芝刈り機で雑草を取っていた。
日本人墓地としては明治時代にこの場所を使用しはじめたようだ。
と言う事は、第二次世界大戦以前からある墓地なので
錫や天然ゴムの採掘栽培などからの時代なので、カラユキさんも
この中に眠っているのだろう。
分かりやすく、「日本人墓地」と書かれて、柵があって
管理人住宅が1棟あったて、犬が3匹いて、
門には鍵が掛っていた。
門の前に立つと犬が激しく吠えた。
犬の声に管理人さんが出て来るかと思ったが出てこないので
チャイムを何度も鳴らしたが、チャイムが壊れているのか
管理人さんが不在なのか出て来なかった。
日本人墓地は塀で囲まれているので、中が見える場所を探して
隣接するチューリッヒ保険の脇道から
墓地を見ることができた。
手を合わせて、足元はゴミが散乱していたので、早々に退散することにした。
来た道を戻って、途中から国道1号線をムルデカ・スタジアム方面に向かった。
こんな中国寺院もあった。
パグのような狛犬にどっかで買った「目」を貼り付けて
おもしろい顔をしている。
でも、もう一匹は片目の「目のシール」が落ちてみじめ。(笑)
少し歩くと
陳氏書院・佛院という立派な建物があった。
なんでも1896年に建てられたものらしく、
記帳ノートがあったので「日本国なんのだれそれ」と氏名を
記入し「元宵節快楽!」と記帳した。
で、どんどん歩いて行ったらセントラルマーケットにたどり着いた。
セントラルマーケットに行く理由の「トイレ」に行くためなのだ。
ホテルを10時にでて昼まで1回もトイレに行っていないので
マーケットの有料トイレで用を足し、
スリマハマリアマン寺院に立ち寄った。
12時10分から「お祈り」が始まるので、楽器演奏者が
太鼓と笛と鐘を打ちならすなか
「プージャー」(お祈り)が始まる。
ここでひと休みして、こんどは別の道を歩いてホテルまで戻る。
途中、雷雨となり、雨宿りし、昼飯でも食べようと思ったが
食べたい昼飯に出会わないのでで、雨が止んだので、
また歩きだして、ブキ・ビンタンまで戻った。
フェデラル・ホテル1階の和食屋「海宝丸」のランチサービスが
これで50リンギット(1500円)なので、これと缶ビールを飲んで
ホテルに戻った。
なんと、歩いた歩数は1万3千歩を越えていた。
遅い昼寝後、少しスケッチして、夜になったので、今日は軽く食べようと
目の前の新しくできた
ショッピング・モールに行ったら、なんちゃって日本食ラーメン屋があった。
でも酒がないので、ショッピング・モールから出て向かいの中華屋で
福建麺と
茄子のガーリック炒め
ニンニクがこんなに沢山入っていた!
ビールはハイネンケンの大瓶を2本。
合計で1870円。
そう言えば、去年の記憶がよみがえってきた。
去年もここで食べたかもしれない。
向かい側のショッピング・モールは建設工事中だったので
ざわざわした雰囲気だったな~~~~。