朝食付きのホテルの朝
宿泊料金が料金だけに大した料理ではないが、これくらいの量でよい。
このホテルはビジネス・ホテルみたいで宿泊客はすでに出ていて
残っているのはシンガポールから観光に来た5人組の
ワタシと同じくらいの年輩の人たちだけである。
この人たちも実にのんびりと食事を取っている。
華僑の人たちだけれど、大陸の中国人団体客のように
みるからに「生存競争」をしているという雰囲気はないのがいい。
朝食後、徘徊に出かけた。
ホテルからスングリ・バトゥパッ(バトゥパ川)まで行って、川沿いに
町を徘徊することにした。
河岸のオープンエアーの食べ物屋の中を突き進んで川岸にでる。
バトゥパ川がゆったりと流れている。
店のテーブルの上で
猫が寝そべっていたが、後方の草叢の気配に緊張した面持ちで
後ろを振り返ったが、すぐに、なんだいつものことだとでもいうように
無関心を決め込んで、また朝寝の態勢だ。
ワタシは猫が振りむいた草叢の方を凝視した。
なんだか灰色の動物の頭が一瞬見えたような気がした。
ワタシは草叢に続く道のわきに出た。
その時、一瞬足元で砂利を蹴散らして草叢に逃げ込む動物に驚いた。
1メートルはあるオオトカゲだった。
あぶなく踏みつけるところだった。
バトゥパにこんな大きなトカゲがいますとは聴いていない!
タンクの脇のゴミの所にもう一匹いた!
川に沿った道を歩いていると
旧日本人クラブの建物が見えた。
これだったのか~~~~。
昨日、この建物の下を歩いていたので分からなかったのだ。
確かに二階三階は廃墟だ。
ハト以外にイワツバメの巣になっているのか鳥の鳴き声が
うるさいくらいだ。
この写真を撮っている方の場所は船着き場になっており
昔、ここから天然ゴムやら錫やらが船積みされて海に出て行ったのだろう。
この近くには市場が午前中市場が開かれている。
昨日来た時は閑散としていたのは午後だったからだ。
野菜や果物や魚介類や鶏肉などが扱われている。
猫の肉は扱っていない。(笑)
豚肉だけは市場とはしっかり塀で隔てたところで解体は販売をしているようだ。
市場からどんどん歩いて町から離れてみた。
こんなお寺があったり
道沿いのマンゴーの木が実を付けていた。
町に引き返し、
古い建物などを見て回った。
建物だけではない
タクシーも古い。日産セドリックじゃないでしょうか?
古い建物を見ながら、華僑の人たちの働きの逆に驚くばかりだ。
学校の校友会館みたいのまである。
かつて、日本人・中国人たちが闊歩していたこの町から敗戦や排日運動の中で
身ひとつで日本に引き揚げてきた日本人にたいして、中国人はしぶとく
この土地で根を生やし、独特の中国文化を築き今日に至っているのだろう。
この地で生まれた日本人や働いていた日本人たちは、それは命の危険にさらされて
やむなく日本に引き揚げたのだろうが、平和になった時に、今一度、
この町に来て、その日本にゆかりのある古い建物を保存する運動とか
しなかったのだろうか?
「アジアはひとつ」「大東亜共栄圏」の名の掲げて、わがもの顔にアジア各地を
跋扈した日本人はそのしっぺ返しの「敗戦」という名のもと
日本に逃げかえり、かの地で戦火に倒れた同胞を慰霊する石碑は建てても
日本人が殺したかの地の人々にたいしても慰霊の気持ちをなぜに
持たないのだろうか?
このバトゥパの大通りを日本人が闊歩する姿を想像しながら、
ワタシはなぜかそのように思うのだった。
バトゥパのこの旧日本クラブの建物も、近いうちに取り壊されるだろう。
午後遅く、昼飯のためレストランに入った。
ローティー・アラブ・チーズ。
ホットケーキのようなローティーの間にチーズが塗られている。
アラブというのは、この店の名が「アラブ」だからだ。
ホテルに戻り、昼寝をしていると、今日もスコールがやって来た。
激しい雨が二時間ほど降って、
雨が上がった。
今夜は部屋飲みだ。
宿泊料金が料金だけに大した料理ではないが、これくらいの量でよい。
このホテルはビジネス・ホテルみたいで宿泊客はすでに出ていて
残っているのはシンガポールから観光に来た5人組の
ワタシと同じくらいの年輩の人たちだけである。
この人たちも実にのんびりと食事を取っている。
華僑の人たちだけれど、大陸の中国人団体客のように
みるからに「生存競争」をしているという雰囲気はないのがいい。
朝食後、徘徊に出かけた。
ホテルからスングリ・バトゥパッ(バトゥパ川)まで行って、川沿いに
町を徘徊することにした。
河岸のオープンエアーの食べ物屋の中を突き進んで川岸にでる。
バトゥパ川がゆったりと流れている。
店のテーブルの上で
猫が寝そべっていたが、後方の草叢の気配に緊張した面持ちで
後ろを振り返ったが、すぐに、なんだいつものことだとでもいうように
無関心を決め込んで、また朝寝の態勢だ。
ワタシは猫が振りむいた草叢の方を凝視した。
なんだか灰色の動物の頭が一瞬見えたような気がした。
ワタシは草叢に続く道のわきに出た。
その時、一瞬足元で砂利を蹴散らして草叢に逃げ込む動物に驚いた。
1メートルはあるオオトカゲだった。
あぶなく踏みつけるところだった。
バトゥパにこんな大きなトカゲがいますとは聴いていない!
タンクの脇のゴミの所にもう一匹いた!
川に沿った道を歩いていると
旧日本人クラブの建物が見えた。
これだったのか~~~~。
昨日、この建物の下を歩いていたので分からなかったのだ。
確かに二階三階は廃墟だ。
ハト以外にイワツバメの巣になっているのか鳥の鳴き声が
うるさいくらいだ。
この写真を撮っている方の場所は船着き場になっており
昔、ここから天然ゴムやら錫やらが船積みされて海に出て行ったのだろう。
この近くには市場が午前中市場が開かれている。
昨日来た時は閑散としていたのは午後だったからだ。
野菜や果物や魚介類や鶏肉などが扱われている。
猫の肉は扱っていない。(笑)
豚肉だけは市場とはしっかり塀で隔てたところで解体は販売をしているようだ。
市場からどんどん歩いて町から離れてみた。
こんなお寺があったり
道沿いのマンゴーの木が実を付けていた。
町に引き返し、
古い建物などを見て回った。
建物だけではない
タクシーも古い。日産セドリックじゃないでしょうか?
古い建物を見ながら、華僑の人たちの働きの逆に驚くばかりだ。
学校の校友会館みたいのまである。
かつて、日本人・中国人たちが闊歩していたこの町から敗戦や排日運動の中で
身ひとつで日本に引き揚げてきた日本人にたいして、中国人はしぶとく
この土地で根を生やし、独特の中国文化を築き今日に至っているのだろう。
この地で生まれた日本人や働いていた日本人たちは、それは命の危険にさらされて
やむなく日本に引き揚げたのだろうが、平和になった時に、今一度、
この町に来て、その日本にゆかりのある古い建物を保存する運動とか
しなかったのだろうか?
「アジアはひとつ」「大東亜共栄圏」の名の掲げて、わがもの顔にアジア各地を
跋扈した日本人はそのしっぺ返しの「敗戦」という名のもと
日本に逃げかえり、かの地で戦火に倒れた同胞を慰霊する石碑は建てても
日本人が殺したかの地の人々にたいしても慰霊の気持ちをなぜに
持たないのだろうか?
このバトゥパの大通りを日本人が闊歩する姿を想像しながら、
ワタシはなぜかそのように思うのだった。
バトゥパのこの旧日本クラブの建物も、近いうちに取り壊されるだろう。
午後遅く、昼飯のためレストランに入った。
ローティー・アラブ・チーズ。
ホットケーキのようなローティーの間にチーズが塗られている。
アラブというのは、この店の名が「アラブ」だからだ。
ホテルに戻り、昼寝をしていると、今日もスコールがやって来た。
激しい雨が二時間ほど降って、
雨が上がった。
今夜は部屋飲みだ。