そとさま雑記

自然と平凡な日々の暮らしを記録します。 

映画「禅」

2009-01-31 12:27:36 | Weblog
先日、有楽町のシネカノンで映画「禅」をみた。

 監督 高橋伴明  主演 中村勘太郎
          共演 藤原竜也 内田有紀 西村雅彦等

 中国の宋に渡り、修行の後、悟りを得て日本へ帰り、一生を禅の曹洞宗に捧げた
 道元禅師の物語。
 全巻、禅の修業風景に満ち満ちていて、途中飽きるのではないかと心配したが、 全然そんな事はない。

 中村勘太郎はさすが歌舞伎役者、静かな所作も、激しい喝もめりはりがきいてい
 て素晴らしかった!
 遊女役の内田有紀は特に必要とも思えないが、子供の頃、道元に助けられたこと
 があり、その後つらい運命をなげやりに生きていた。そして又、宋から戻った道
 元と接触をもつようになる。子供を失った事もあり、段々と道元の生き方に興味
 を持ち、尊敬するようになる。
 京都の寺を焼き討ちにあい、追われるように北陸へ行き、そこで永平寺をひらい
 た道元禅師。その教えに導かれる僧達も徐々に増え、その修行の様は実にいい。

 遊女おりんも、夫と別れ北陸まで門徒にしてくれとやってくるが「まだ早い!」
 と断られる。それでも何とか下働きとして一生懸命務める。
 しかし、まじめな若い僧を惑わす結果となり、その僧は自分を恥じて山を降りて
 いく。
 いくら真面目な僧とはいえ、あれだけ魅力的な女性にクラッとくるのは当たり前
 だ。僧に同情する。

 道元の教えは、「只管打坐(しかんたざ)」ただただ座って、あるがままの自分
 の心を見つめる、自分のなかの仏を見つける事にある。

 難しい事は分からないが、私の両親は富山県出身だったので、浄土真宗の信仰が
 厚かった。
 親鸞聖人の教えは、他力本願。「ただただ念仏をして救われる」という在家の教
 えだと聞いた。凄く簡単な言い方で怒られるかもしれないが・・・
 
 おおざっぱな考えではあるが、両者とも共通するものがあると思うのだ。
 念仏を唱え続ける事も自分を見つめる事だと思う。
 
 宗教が時の権力と結びつくと恐ろしい事になる。
 道元も親鸞もそれにより、追われたり流されたりしたのだから。
 しかし、どんな目にあっても動じない、ぶれないという事は凄いことだ!

 今の宗教家はどうなのだろうか、そして政治家達も見習ってほしいものだ。
 
 有楽町のシネカノンは小劇場だが、朝10時20分の第一回目から満員だった。
 お勧めの映画である。