
昨日に引き続き河北潟干拓地の朝です。朝焼けは上流側で赤く見えたのですが、下流の日本海とつながる放水路側はもう明るく、気嵐のように浮かぶ川霧の向こうに金沢市の隣町、内灘町に位置する放水路をまたぐサンセットブリッジと風力発電用の風車が見えています。左岸の白い帯状のものは岸に茂る葦に付いた霧の結氷です。

その葦についた霧氷の帯を正面に見るとこの写真のように見えます。「霧氷」は霧が樹木について結氷した「樹氷」のイメージが一般的ですが、こちらの葦原の霧氷もなかなかのものです。まだまだ放射冷却で冷え込む朝は見ることができます。金沢市中心部からは車でものの30分もあれば見られる場所なので夜明けの散歩にお出かけしてはどうでしょうか。
「私と憲法」との出会いについて・・・
昨日のブログでも触れましたが、アメリカも心配するほどの右傾化姿勢をあらわにする安倍内閣は、これまで世界に憲法九条を持つ平和国家日本が軍事国家にはならない証しとして「外国では軍隊(自衛隊)の武器使用はない」「外国へ武器の輸出はしない」という政府自身の原則(抜け穴もありますが)を明らかにしてきましたが、その原則も打ち捨てて「戦争する国」「死の商人国家」とでもいうべき道に突き進もうとしています。
国民の平和憲法保持の思いを覆せないという中で安倍政権は自らの都合のよい憲法解釈で憲法の理念を実質的に転換させようとしています。
私は1945年、日本の敗戦で第二次世界大戦が終了する3年前の1942年に生まれたので、当然のように戦後の平和憲法の下で育ちました。
当時は憲法を子供たちに理解させるために先生たちは特別な授業を組んでいたようで、私のような教室でものを覚えることが苦手だった私でも中学生になったばかりの春の、社会科の授業で取り上げた憲法の課題が記憶に残っています。
社会科の教師は生徒たちに日本国憲法のあらましを教えたうえで「現憲法が世界に誇れる条項は何か答えてください」と戦争放棄の9条を念頭にして問いかけました。
珍しく私も真面目に考えて手をあげて答えたのが「国民主権」でした。私の頭のなかには9条もあったのですが、それまでの戦争が国民とは全く関係ない上のほうで決定して始められていたので、国民に主権があれば、国民に決定権があれば自ずから9条は実践出切ると考えての答えでしたが・・・、「国民主権は外国の憲法でもみとめられている」ということで正解は「世界で初めて憲法に書き入れられた9条」ということでいつものように私の答えは×でした。
私の答えが正解かどうかはどうでもいいのですが、そんな子どもの私でも条項だけでなく簡単ではあっても憲法をめぐる状況まで考えさせるほどの授業が日本全国で繰り広げられていたかと思うと、いい時に憲法と出会えたと思います。
その後安保条約成立や改定などによって日本はアメリカの世界戦略に深く組み込まれて来ましたが、安倍内閣のやり口は日本国憲法そのものを否定するという日本の仕組みそのものをひっくり返すようなとんでもないところに来ているように思います。
許せません!!








