写真師の「新カメラ日記」

JRP会員の橘が日々の事、撮影日記などを記録していきます。

私の身近な写真環境の激変について 2

2006年01月26日 | 写真
暮らしが変って
つれあいが昨年の春に手術をし、退院後は身の回りのことには支障が無いけれども、身体的にも精神的にも無理は極力避けるという生活となり、つれあいのペースにあわす暮らしとなりました。
このために、昨年までのように仕事の都合さえつけばあとは勝手気ままに写真を撮り歩くということが出来なくなってしまいました。
それまでは36枚撮りのフィルムを少なくとも月に10本以上は写していたのだが、いまはデジカメでの撮影を含めても撮影枚数は5本以下になっています。
とくに早朝から家を空けることが困難なために、それまで多かった夜明けの撮影が激減。
鳥や獣たちとの出会いがほとんどなくなり、ドラマチックな夜明けの風景の移り変わりにも立ち会えない日が続いています。
暮らしが変れば当然出会う光景・撮影対象が変ってくるのだし、それに合わせて新しい撮影テーマを見つけ出すのがアマチュア写真だと思うのだが・・・思うようにならない撮影条件と自分に苛立っているというのが現実だ。

写真展
9月30日から10月2日にかけて17回目を迎えた「JRPかなざわ支部写真展」が開かれて私の作品4点を含めた8人の会員の作品30点が展示され、それぞれの個性が写真となって見る人を楽しませてくれた。(支部展会場と展示作品についてはJRPかなざわ支部から御覧になれます)
荒木康義氏の「秋晴れ」はモノクロ作品で、躍動感があり人影の映りこみと中央の女の子の位置取りも効果的で印象的な作品となっています。
荒俣賢正氏の「彩湖」はピント・色彩・構図のいずれをとっても写真のお手本のような作品でフィルム(ポジ・ISO50)の選定から撮影場所まで周到な準備がうかがえます。
「裏通り」は荒俣さんには珍しくモノクロで若い女性を人影の無い飲食店街で撮った作品、女性の存在感と共にモノクロでありながら色彩を感じさせてくれます。
角田和嘉氏の「ちょっとこわいな」は地域のお祭りならではの住民と獅子舞を演じる側の近い距離、獅子の牙に触ろうとする子どもの感情をうまく捉えた、角田さん独特の世界です。
加藤重子氏の「裏町」1・2は全体として、「もうひとつピリッとこない」「作品の狙いがよくわからない」という印象である力のある人だけにもう一つ突っ込んだ作品を期待したい。「ミシン職人」は、時代の波の中で仕事が無くなってきた老職人の表情を思い切ったアップで切り撮ったほうが良かったのでは?
寺川恵美子氏の「サイクリングロード」は、支部の撮影会で商店街を撮ったときの作品だそうだが、また寺川さんの世界が広がったような気がする。真上から自転車乗りを撮っているのだが壁の落書きや、ジャケットの色、アングルの新鮮さとあいまって外国を感じさせる作品となっている。
蓮沼真己夫氏の「ちいさな実りの秋」は、童謡のーちいさい秋み~つけたーの歌詞を思いおこさせる写真で、木の枝の向こうに見える青空の色もステキでした。
細川恒夫氏の「山伏の火祭り」は珍しい情景を写し取って見せてくれています。なかなか現場を移動し辛い条件をモノともしない行動力に脱帽です。
課題作品では「いかが」店じまいセール」「いつものお客さん」「閉店」「昼下がり」などが印象に残っていますが・・・特に「いつものお客さん」の軽トラックでの振り売りのおじさんとお客の親密さがにじみ出るような写真に親近感を覚えました。

JRPかなざわ支部展の一ケ月後には支部の有志も協力しましたが、障害者が中心となっての公募展・協力写真展・企画展などを含んだ「身体障害者写真展覧会」が福井市でひらかれ、「写真」のもつ力というものを再認識させていただきました。
またJRP岐阜支部の高山展にも出向き、力のこもった数々の作品を見せていただき「JRP」がめざす写真とは何か?ということも考えさせられました。
昨年は自宅近くにフィルムメーカーの出展審査もあるギャラリーがオープン、グループや個人の写真展が見られるようになり、一定の水準をクリアしたものが展示されていて私にはとても勉強になります。ちなみに2月初めの展示は「全日本写真連盟石川支部 第一回支部展」(2月2日~2月8日)で、これも楽しみにしているところです。
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私の身近な写真環境の激変について 1

2006年01月17日 | 写真
おくればせながら、2005年の私自身の写真環境についてについて少し考えてみた。
2005年はEOSkIssⅢ・EOS5・EOS55・EOS1などのキャノンのAF一眼レフ(フィルムカメラ)に加えて、5月にパナソニックのデジカメ「FZ10」、10月には「E300」というオリンパスの一眼デジカメを手に入れ、従来のフィルム写真に加え、デジタル写真の領域に踏み込んだ年だった。
デジタルカメラおよびデジタル写真はホームページで公開する工程の便利さとコストの面での魅力などでずっと関心があったのだが、それなりの写真が撮れるカメラについてはカメラ自体が高価格でとても手が出せるものでなかった。
昨年手に入れた「FZ10」はコンパクトデジカメの分類に入るものだが限りなく一眼デジカメに近いものだ。それが行きつけのカメラ屋の中古棚になんとか手が届く価格であったので「デジカメ体験用」として購入した。(写真は「デジカメお散歩写真」http://tatiba.exblog.jp/ で公開)
一眼デジタルカメラはそれまで安くとも数十万円もしていたのだが、キャノンが普及機・入門機として「EOSKISSデジタル」を一昨年発売したことを機に各社があいついで価格が10万円台の普及機・入門機を発売し、カメラ屋の店員の言によると「一眼レフカメラ販売の8割がデジタルカメラになった」というほどの変化が起きたそうだ。
2005年はカメラ屋の店頭が一気にフィルムカメラ主体からデジタルカメラ主体の商品構成に変った年となった。かつてのレコード店がレコードからCDへ移行した時を思わせるような激変だ。
とはいっても私が手を出せる価格ではなかったので一眼デジに手を出すつもりは無かったし、作品作りについても従来どおりフィルムカメラを主体にしていたのだが・・・。
これまた、カメラ屋さんの商品構成のうち店頭に出るフィルム売り場が大幅縮小されると共にその種類も激減。これから力を入れようとしていたモノクロ用のネガフィルムが置かれていない店舗が増え、ネガ・ポジなどのフィルムについても大手のカメラ屋さんの店頭でもその種類が限られ、価格も全体に高くなる状況となっている。つまり、写したいと思う写真にふさわしいフィルムが手に入れにくい状況がつくられてきた。
そんな折に、オリンパスが「E500」という一眼デジカメ発売を発表し、その前身機種「E300」が大幅に値下がり、行きつけのカメラ店でその展示品レンズセットがコンバクトデジカメよりもさらに安い処分価格として提示され、資金はフィルムカメラの一台ををその店に引き取ってもらって充当、購入してしまった。
オリンパスは一眼デジカメのレンズ交換という機能がもつ宿命とも言われていた「ゴミ問題」を画期的な方法で解決して「E―1」「E300」というカメラを発売していた。そういうことで私自身は、もし買うならこのうちの一つをと思っていたものです。
2005年はこうして従来のフィルム写真とデジタルカメラによる写真が二本立てとなった年になりました。
少し疲れました。2005年における「写真」そのものについては次号で。/kaeru_night/}

写真は「雪のバラ園を守る」(フィルムカメラEOS―5)

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写真を撮るということ

2006年01月04日 | 写真
2006年が明けた1月1日の夜10時から放映されたNHKスペシャル「人類起源の大地に滝が流れる~白川義員アフリカを撮る~」は時間一杯画面に視線がくぎ付けになった。
白川義員さんについては自分自身写真を撮り始める前から本屋としても、そのスケールの大きい写真を満載した写真集とともに過去に放映されたテレビの番組なども見たことがあり、世界的にもよく知られている写真家として知っていたのだが・・・。
今回は世界の名瀑を撮る舞台としてアフリカの大地を選び地球の起源を思わせるキリマンジャロなど4000メートルを越える山岳から流れ落ちる滝や、ビクトリア湖から流れ落ち舞い上がる水と霧が月光の中で作り出す虹、闇の世界から光の世界へ変わる明け方の光の中で刻一刻と変化しつづける光と影を撮りつづける姿、ダム開発のなかで枯渇していく名瀑、消えようとする氷河に地球の陥っている病の深刻さを思い映像として記録する姿に深い共感を覚えました。
これまでの私が持っていた写真家「白川義員」はヘリコプターや飛行機まで駆使し、必要な機材をふんだんに使い誰もが撮れない写真をモノにする、いうならばどんな風景も己の腕力で切り撮ってしまう高名な写真家、そんなイメージだったのですが。
撮影現場でのあまりにもその人間的な姿にこれまでのイメージが変ってしまいました。

写真は初詣の地域の神社
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