写真師の「新カメラ日記」

JRP会員の橘が日々の事、撮影日記などを記録していきます。

広野和雄写真展「怨念の地平」

2007年09月03日 | 写真

JRP富山支部所属の広野和雄さんの写真展「怨念の地平」を見てきた。
まず9月2日「しんぶん赤旗」東海・北信越のページの記事です
『・・・「イタイイタイ病公害訴訟の提訴から40年目、勝訴確定から35年になるが、いまなおイタイイタイ病で苦しんでいる患者さんがいる」と訴えています。30年ほど前に撮った煙突から煙があがっている神岡鉱山鹿間工場や、1996年に撮影した汚染田の復元工事の現場、現在も行われている飼料用青田刈りの様子、民家の用具洗い場など、さまざまな写真が展示されています。広野さんは写真を撮りながら、なんという大変なたたかいをしたのかと、思い知りました。裁判には勝ったけれど、それでも患者さんや遺族の怨みつらみは晴れないだろうと想像しました」と話していました』

この記事に多くを付け加えることはないのですが・・・
大判のモノクロ写真35点が展示された会場ではこの日も二つの座って語れるスペースは満席状態で広野さんや富山支部の方たちが訪れる人たちの対応に忙しそうでした。
ただ写真を見るだけでなく写された写真や題材となっているイタイイタイ病のことについて話したくなる写真展だということでしょうか・・・。
この写真展を見て写真を撮ること、見せることの難しさをつくづく考えさせられました。
会場を訪れた裁判闘争をたたかった方々からは「良い写真展をありがとう」との声を掛けられたと広野さんは話していました。
また広野さんに「会場にきた人に一番見ていただきたい写真をあえて一枚だけ選ぶとすればどの写真ですか?」と聞いてみると、下の写真で広野さんの右側にある夕闇のなかでシルエットとして浮かび上がっている墓標を撮った一枚を教えていただきました。
まさに写真展のタイトル「怨念の地平」という思いが広野さんにこの一連の写真を撮らせたのではないかと思いました。
ただ問題は作家の思いがどこまで見る人たちに伝わるかと言うことです。
展示された写真はイタイイタイ病裁判にかかわった人たちにはよくわかるものでしょうが、展示された写真のほとんどが裁判勝訴後ずいぶん経った時点、その多くはここ数年に撮られたもののようでした。写真とイタイイタイ病のつながりがずいぶん見えにくいものが大半です。
一枚一枚の写真とイタイイタイ病とのかかわりがもっとわかりやすく工夫した展示を考えてほしいと思いました。
また1点ですが違和感を感じた写真もありました。それは川底にある大型の魚の死骸を写したものです。私が見たところでは鮭が産卵後に死んだものを写したのではないかと思います。
もしそうであるならイタイイタイ病と直接のかかわりがないと思われるものをあえて加えた意図を説明すべきではないかと思います。(「当時の神通川流域ではこんなふうに魚の死骸があったのだ」とか)
それにしてもある時代を象徴する題材を数十年経ってから写真としてどのように表現すればいいのか(「表現すべき」だと思いますが)考えさせられ、そのことに挑戦した広野さんの勇気を、見せてもらって良かったと思う写真展でした。
コメント
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