私的図書館

本好き人の365日

『蜜のあわれ』

2009-11-21 23:59:00 | 本と日常
老人と金魚の少女のお話。

室生犀星の

*(キラキラ)*『蜜のあわれ』*(キラキラ)*(講談社文芸文庫)

を読みました。

金魚の少女といっても普通の人には二十歳くらいの人間に見えるそうです。

実際は生まれて3年。

主人公は酸いも甘いも噛み分けた作家の老人。

彼は我がままに振舞う金魚の化身の少女に言いたい放題言われていますが、どこかそれを楽しんでいる風。


「おじさまは? おじさまだってまだお臀が見たいんでしょう。」

「そりゃ見たいさ…」


ブリジット・バルドーのお臀について語ったり、通りで幽霊の女を見かけたり。

全編会話で進行する、ちょっと艶っぽくて、ちょっと不思議なお話。

文豪とか文学というと、どこか堅い印象がありますが、どうしてどうして、このお話なんてHっぽくて中学生あたりには受けそうです♪

中学生にはまだ早い?

最近では村上春樹さんの『1Q84』がTVで取り上げられたりしていましたが、いくら世界の村上春樹とはいえ、あれも中学校の課題図書にはしにくいだろうなぁ。

七十歳になる老作家と、時に悪女のようなもの言いをする金魚の少女との関係は、どこか背徳的。

それでもどこか、寂しい者同士が抱き合いながらお互いの体温で温め合うような、人間の持つ根本的なところでのつながりというものがうかがえます。

この場合は人間と金魚ですが(苦笑)

金魚の少女が魅力的に見えるのは、生命力の輝き…なのかな?

老作家は自分が少年の時には、七十くらいのジジイを見ては「半分くたばってやがる」と思ったものだと自嘲気味に言いますが、七十になってみると人間の(自分の)みずみずしさに驚いて見直すくらいになっていると語ります。

この本を読んで思い出したのが、高村光太郎の「月曜日のスケルツォ」という一編の詩。

その中では、前の日に体験したことをあれこれおしゃべりする十六歳のモデルの娘を前にして、その明るく元気あふれる体をまぶしく眺めながら、老彫刻家が作品を作り始めます。

詩や芸術についてはよくわかりませんが、これは単に「おじいさんったら年甲斐もなく!」なんていうのとはちょっと違うと、何となくわかります。

十代の頃に読んだ時はまだピンとこなかった。

齢をとったってこと(苦笑)

人間だからいろいろあります。

たいして人生経験があるわけではありませんが、見えなかった物が見えるようになると、その時は驚きますが楽しいです。

若さにも特権があるように、大人にも特権があるんだよ♪

ま、何だかんだいって、生き続けていると得ですね。




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