私的図書館

本好き人の365日

 「名前の掟」

2003-06-18 23:34:00 | 日々の出来事
今回は、私達だれもが持っている「名前」というものにまつわるお話しをアレコレ。

昔から、名前には「力」があるとされて、呪術などでは、欠かせないものだったんだって。
わら人形に、呪う相手の名前の書かれた札を入れたり、呪文を唱える時も、相手の名前をひと息で、一気に呼ばなければならなかったり。
ちなみに、ヨーロッパの王侯貴族が舌噛みそうな程、長ったらしい名前なのも、ひと息で言えるような名前だと、誰に呪いをかけられるかわかったもんじゃないからだとか。

長いと言えば、サウジアラビアの初代国王は正式には「サウド・イブン・アブドル・アジズ・イブン・アブドル・ラーマン・アル・サウド」と言うらしい。
名前の構成には決まりがあって、まず最初に自分の名前、次が父親の名前、その次は祖父の名前、最後は部族の名前と続き、「~の息子」という意味のイブンを付け、自分の名前と部族の名前が同じ時は、部族名に冠詞の「アル」を付けて区別するとか。
だから上の名前は「サウド家のアブドル・ラマーンの息子の、アブドル・アジズのそのまた息子のサウド」という意味。

さすがにこれでは呼びにくいので、普段は省略して呼ぶそうだけど、省略の仕方も色々あって、アラブ人以外の人には、その人の本当の名前がわからなくなることも多いらしい。そりゃそうだ。

「~の息子」という表現は世界中にあって、『指輪物語』でも「アラソルンの息子アラゴルン」なんて呼ばれていて、けっこう有名。
北欧では「~の息子」という意味の「~ソン」「~セン」で終わる名字が多いのも、昔は親子代々で名字にこの「~の息子」と付けていたから。
例えば、ヨハン・エリクソンの息子のカール君は、カール・エリクソンではなく、カール・ヨハンソンとなるわけ。
あの童話で有名なアンデルセンも、だから「アンデルスさんの息子」という意味になるんだけど、さすがに名字が変わっていくのは不便だということで、20世紀の初め頃から名字は変えないことになったんだとか。

ユーゴスラビアの一部に多い「~ビッチ」という名字には「~の子供」という意味があって、ロシアでは父親の名前にビッチを付けてミドルネームにしている。エリツィン前大統領の名前はボリス・ニコライビッチ・エリツィンだから、父親の名前はニコライ・エリツィンだったはず。

さらにロシアでは、フランス語に男性形、女性形の区別があるように、名字にも女性形があるんだなこれが。女性形は男性形の末尾に「a」を付けて呼ばれ、テレシコフさんの奥さんは、だからテレシコワさんになる。ゴルバチョフ前大統領の奥さんのライサ夫人は、そうするとライサ・ゴルバチョワとなるはず。もう!なんてややこしいんだ。

そうかと思うと、アジアの中には、名字という概念そのものがない民族もいて、ミャンマーなんかでは、ほとんどの人が名字を使わない。あのアウン・サン・スー・チー女史も別にアウン・サンがファースト・ネームというわけではないとか。
日本の天皇家にも名字がないけどね。(これは意味がちょっと違うけど)

先頃行われたエビアン・サミットでは、写真撮影の時に日本の小泉首相が、隣のイギリスのブレア首相に「英語で『ブレア』という名前はどういう意味?」と聞いたところ、前の段に立っていたアメリカのブッシュ大統領が振り向いて「ブレアとは『勇気』という意味だよ。」と教えてくれたとか。

日本でも昔は、幼名から元服して名前を変えたり、本人の成長によって名前が変わり「名は体を表す」とか「名実ともに」なんて言われ、そのひと本人を表す重要なものだった。歌舞伎なんかでは「襲名」と言って、今度は人が変わっても、その技術や役割に名前が付いていて、何百年も同じ名前が使われたりしている。

TVの『金八先生』でも、生徒一人一人にその名前の意味や由来を語るシーンがあって、感動したな~。

色々な習慣や風俗の違いはあっても、親が子の将来を思って頭を悩ましながら付けるのは万国共通。

いや~、おろそかにできませんね。






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