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本好き人の365日

新美南吉 『屁』

2010-09-10 23:57:00 | 本と日常
愛知県半田市出身の童話作家。
新美南吉の、

*(キラキラ)*『屁』*(キラキラ)*(講談社刊「ごんぎつね新美南吉傑作選」収録)

という作品を読みました。

病気のおじいさんと二人だけで小さなみすぼらしい家に暮らす貧乏な石太郎。

ところかまわず、しかも頼まれれば平気で「屁」をこく石太郎を、同級生はもちろん、下級生までバカにしています。

級長で石太郎と同じクラスの春吉君はちょっとプライドの高い男の子。

田舎の子ばかり集まったこの小学校を春吉君は恥ずかしく思っていて、都会から先生がやって来ればその話し方に憧れるし、町の小学校との合同運動会では田舎丸出しの同級生の姿形が恥ずかしくてたまりません。

そんな中でも下品で汚い石太郎と同じクラスであることは、春吉君にとって屈辱以外の何物でもありませんでした。

わかるなぁ~

私も田舎育ちですが、子供時代の一時期、田舎丸出しの両親を恥かしく思ったことがありました。

あの頃は何にもわかっていなかった。

見た目や表面的なものにこだわっていたんですね。

子供ってけっこう独裁者で、そのうえ残酷で、うぬぼれ屋のくせに信じやすいから、自分の知らない世界が華やかに見えて、マネさえすれば自分もその仲間に入れると思ってしまう。

隣の芝生が青く見えてしまうっていうのは大人も同じですけどね(苦笑)

そんな田舎の小学校で、机を並べて学ぶ春吉君と石太郎。

ある日春吉君は、お腹の調子が悪くてたまらず授業中に「屁」をしてしまいます。

気付かれないように祈る春吉くんですが、臭いに気が付いたクラスのお調子者が「臭え臭え」と騒ぎだし、真っ赤になる春吉君。

ところが、また石太郎だ、という声が上がり、いつの間にか石太郎が犯人にされてしまいます。

はからずも自分がバカにしていた石太郎に濡れ衣を着せてしまう格好になった春吉君。

ここで名乗り出るべきか、それとも黙って石太郎に罪をきせるべきか…

なぜかへらへら笑って何も言い訳をしない石太郎…

「屁」という題名に油断していましたが、読んでみてビックリ!!

とても心に突き刺さるものがありました!

新美南吉すげえよ…

春吉君は石太郎に対して少しも悪いとは感じていません。
石太郎に対して、そんな気持ちを持つことの方がおかしいのです。

逆に、石太郎みたいな「屁こき虫」がいたからこんなやっかいなことになったんだと、恨めしく思うくらい。

人間って自分を中心に物事を考えてしまうものなんですよね~

春吉君は自分は正しい人間だと思っているので、正義感と羞恥心の間で揺れ動きます。

その正義には石太郎への罪悪感は含まれていません。

新美南吉の作品は「ごんぎつね」と「手袋を買いに」くらいしか知らなかったのですが、その人間心理のするどい描写にビックリしてしまいました。

小学生の春吉君が立ち向かうことになる人生初の大問題!

春吉君は果たしてどんな選択をするのか?

春吉君が学ぶことになる、「人間」という生き物の正体がとっても興味深いです。

どんな人間でも「屁」はしますよね。

どんな美人でも、イケメンでも、お金持ちでも、権力者でも。

ほんの数ミリの厚さしかない布切れの下はみんな裸だってことも同じ。

トイレにも行くし、お腹もこわすし、鼻もほじるし、汗もかく。

そんなことを理由にバカにされたんじゃ、人間は誰一人暮していけません。

人間って一人一人違うんだってことも当たり前。

それなのに、人間って表面にキレイな服や高級品や、正義感やプライドを身にまとえば、自分だけは違う人間になれるとカン違いしてしまう。

この作品には我々大人にも覚えがある、ごまかしだとか、虚栄心だとか、自分に対するウソだとか、そういったものがちゃんと描かれていて、それを持つのが子供だからこそ、大人の心に響いてきます。

「…大人たちが世知辛い世の中で、表面は涼しい顔をしながら、汚いことを平気でして生きてゆく…」

この文章を読んで、「うわぁ、同じだよ!」「僕もそう思ってたよ!」

と思わず叫びたくなりました♪

さすが名前の残る作家さんは違いますね。

新美南吉はしかし職業作家というわけではなく、小学校の代用教員などをしながら作品を発表し続け、30歳の若さで亡くなりました。

いい作品を残してくれてありがとう☆


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