私的図書館

本好き人の365日

「神様に会える島」

2003-07-17 00:01:00 | 日々の出来事
「神様」と言われて思い出すのは、近所の神社。

子ども会の集会所になっていて、たいてい、かくれんぼやカン蹴り、三角ベースに“Sカン”なんかで遊んでました。

雪が降れば雪合戦にそり滑り。採ってきた竹を家庭のコンロであぶって曲げて、いかにスピードの出るそりを作るかが楽しい♪
凧を作る時も、なるべく竹で作る骨の部分を薄く削って軽くしたほうが高く飛ぶし。

ナイフをうまく使うと、皮だけが刀の鞘みたいに抜ける“かたなの木”。
手で左右にゆらすと、その葉っぱが閉じる“ねむの木”。
壊れたTVのスピーカーから磁石だけを取り外し、真空管は石垣に投げつけて「パン!」という音をさせたり。(危険なのでマネはしないで下さいね)
秘密基地作りに、木登り競争。

でも、どんなことをしている時でも、石垣の上の御社だけには近寄らなかった気がします。
大人達のしていることを見て、子供ながらに『敬って』いたのでしょう。


脳裏に焼きついている風景があります。

何年か前に、東ティモールが独立する前のインドネシア、バリ島を訪れたことがあるのですが、ホテルのビーチに隣接する形で小さな寺院が建っていました。

地元の人が朝夕掃除をし、子供達が騒いでいます。やがて海に向かって、一人の男性が進み出ると、お供えを置き、砂浜に頭を付けました。
彼の頭上には立派な木が枝を広げ、観光客で賑わっているはずのビーチから、そこだけが切り取られたみたい。

―静寂。

なにもわからないんですけど、そこには確かに神様がいました。

国民の90%がイスラム教徒のこの国で、バリ島だけはヒンドゥー教徒の割合が多いんですが、この島には一神教は似合わないって気がします。

そこかしこに神様がいる。

人間よりも、木や草花の方が豊かで力がある世界では、子供のように無力な自分を感じます。
とても対等に『契約』だとか『もっとこっちを見て!』なんて言えません。
ただ、いつもそばにいる。
私達は、その膝元で遊んでいるだけ。かつて神社の境内で日が暮れるまで駆け回っていたあの頃のように。

宗教と信仰は別のものですが、「神」について論理と理屈で攻められると、私のような者は諸手を上げて降参するしかありません。だけど、「これだっていいじゃないか!」と反対に開き直ることにしています。
とらえどころのないふわふわしたものが、実際私の中にあるんだし、それを他人の言葉で説明されても全然ピンとこない。

バリ島は海も山も厳しいけれど綺麗です。

お薦めはラフティング(川下り)とシュノーケリング(海の青さが違う!)ですね。
旅先での庶民外交(…ただのおしゃべりとも言う)も楽しいです。会話は身振りと気合でなんとかなるもんです。私も韓国や欧米の人と一緒に食事をしたり、バレーボールをしたりしましたが、拙い英語と気合の日本語でなんとなく伝わりました。

テロなんかする前に、一緒にボートに乗って共にオールを漕げばいいのに。いっぺんで友達になれます。(ならないと転覆します)

「神」や「正義」の名を使って人を扇動したり、戦いをする人が後を絶たないため、インドネシア辺りの治安も不安定なのが残念です。
でも、また行きたいな。
そしたらきっと、また違う神様と出会えるかも・・・







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