私的図書館

本好き人の365日

お墓参り

2005-10-16 21:57:00 | 日々の出来事
日曜日は朝から洗濯。

新しい洗濯機は楽しいな*(音符)*

お墓の隣に引っ越してきて気がついたけれど、お墓参りする人ってけっこう多い。

今日も朝から人の声。

亡くなった人を偲ぶ心を持つ動物は人間だけなのかな?
他の動物たちも「死」という状態は知っていても、「死」とは何か、ということは考えたりしないだろう。

今日は81才で亡くなった祖母の三回忌の法要でした。

といっても親戚が集まって、お坊さんのお経を聴き、場所を移して飲んで食べるだけ。

思い出話をするでもなく、世間話にウワサ話。
ま、こうして集まるだけでも、供養にはなるんでしょう。

いったい、いつから人間は死んだ仲間を埋葬するようになったのか?

花を供え、食べ物を運び、埋めた場所に墓標を立てる。

こういったことは、多少の違いはあっても世界共通。

なんだか、亡くなった人のためというよりも、残された人のためのような気がします。

祖母が亡くなって以来、自分も家族も、目には見えないけれど、ほんとうにささいなことだけど、何かが変わってしまいました。

自分の中の祖母のしめていた場所が、思っていたより大きかったことに最近気づいて驚いたくらいです。

孫のなかでも一番年長で、多分いっしょにいた時間も一番長いはず。

ケンカもしたし、げんこつで叩かれたりもしました。
部活で使う剣道の竹刀を入れる袋を、いくつもいくつも縫ってくれたり、高校に入った時はお祝いに時計を買ってくれたっけ。
足が弱くなってからは車で送り迎えもしたし、二人だけで料理を作って食卓もよく囲みました。

「必要とされる喜び」を一番感じさせてくれたのは祖母だったんです☆

祖母がいなくなって、家族の中の自分の居場所がなくなってしまった…

自覚はしていなかったけれど、どこかでそう感じている自分がいたような気がします。

だけど、そろそろ祖母に頼っていた頃の自分を乗り越えて、新しい関係を築かなくっちゃ。

こういう気持ちになれたのは、ごく最近です。
気づくのに三年もかかってしまいました。

祖母の娘である叔母たちは、元気にしゃべって、食べて、笑っています。

叔母たちの豪快さと声の大きいのは相変わらず。

この人たちの比べたら、自分はなんて「繊細」なんだろう…って、自分を慰めたりして(^∇^;)

でも、こういうことも、祖母のことを「死」と共に忘れてしまっていたら気づくこともなかったでしょう。

生きる力を亡くなった者から与えられる…

人間って不思議な生き物だなぁ~*(星)**(キラキラ)*






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