6月19日は太宰治を偲ぶ「桜桃忌」ですね。
山崎富栄とともに玉川上水に入水自殺した太宰が発見されたのが6月19日。
奇しくもこの日は太宰の誕生日でもありました。
私も久しぶりに太宰の小説『桜桃』を読んでみました。
「桜桃」とはサクランボのこと。
夫婦喧嘩をしてたまらず外に出た男が、飲み屋で出された桜桃を、まずそうに食べては種をはき食べては種をはくラストシーン。
とっても短いお話なのに、やりきれなさ、哀しみ、そういった感情が何気ない会話と日常の風景の中で巧みに表現されています。
母も精一ぱいの努力で生きているのだろうが、父もまた、一生懸命であった。
―太宰治「桜桃」より―
他人を傷つけることを恐れるあまり、自分自身を押し込め、結果的に自分が傷ついてしまう…
まるで現代の「草食系」の走りみたいな主人公。
思わず「くよくよしなさんな!」と背中をバンバンたたきたくなってしまいます(笑)
私もたまに、他人の何気ない言葉に傷つくことがありますが、案外言った本人は条件反射みたいに言葉を投げつけているだけで、悪意なんて持っていないことが多いんですよね。
彼女にとってはいろいろな条件が重なって、その時たまたまそういう言葉が出てしまっただけで、彼女なりの整合性は取れている。
こっちもこっちで、そんな言葉を聞かされるとは思っていなかったから精神的なショックを受ける。
お互いに身勝手といえば身勝手なんだけれど、そんな内面はわからないから、表面的な言葉にだけ反応してしまう。
これはもう、テレパシーでもないかぎり、永久に解決できない!
たまの日曜日、車をキレイに洗いあげて気分もよくなったところに、カラスのフンが落ちてきてすべてが台無し…
これはもう、悪意があるとしか思えない!
いやいや、カラスは何にも考えてないだろう(苦笑)
人の言葉もどこか生理的欲求みたいなもので、自然現象なのかも知れません。
そう思えば多少は気が晴れる?
でもやっぱりそんな物投げつけないで欲しいなぁ。
太宰を読みながら全然関係のないことを考えてしまいました。
何だか言い訳っぽいな(苦笑)