家の近所に白鳥が越冬する湖があります。
昔は氷結した湖の表面でスケートもできたそうですが、今はそこまで寒くなることはありません。
ボートに乗ることもできるので、よく遊びに行きました。
白鳥の姿も真近で見ることができます。
日本人にとって身近な鳥、白鳥ですが、実はずいぶん遠くから日本に来ているんです。
彼らは暖かい季節をシベリアや北極海に面したツンドラ地帯で過ごします。
そこで繁殖期を向かえ、子どもを育て、たっぷりエサを食べて子ども達の羽が充分大きくなった頃、冬になって寒さが厳しくなる前に、餌の豊富な南に旅立つ準備をします。
シベリアからサハリンを通る者。
カムチャッカ半島から千島列島を経由する者。
それぞれの道を通りながら、北の大地から日本の北海道へ。
途中の湖や池で何度も何度も休憩をとりながら、なんと3000キロから4000キロもの距離を旅するのです。
ちなみに幼い時の白鳥は、体の羽はまだ灰色がかっていて、成長するにつれて白くなっていくそうです。
まさに「みにくいアヒルの子」の物語そのままですね♪
北海道でひと休みした彼らは、本格的な冬の訪れを前にして、越冬のためにさらに本州の各地に飛び立っていきます。
春にまた北の大地で再会するために。
さて、今回ご紹介する本の作者、神沢利子さんは、福岡県で生まれ、幼少時代を北海道、樺太(サハリン)で過ごしました。
彼女の作品としては『くまの子ウーフ』などが有名です♪
アイヌの人々や、トナカイを飼う少数民族の住むサハリンの地で、神沢さんも空をおおう渡り鳥の群れをながめたり、いっせいに響き渡る水鳥の声を聞いたそうです。
「この若者と白鳥の少女の物語を、日本の少年少女に読んでほしい思いとともに、遠く彼の地のひとびとの胸にもとどけたいとねがっています。」 ―「おわりに」より―
オホーツク海に浮かぶ北の島に暮らす若者と、白鳥の少女の物語。
では、神沢利子さんのそんな思いの詰ったお話、*(キラキラ)*『タランの白鳥』*(キラキラ)*をご紹介しましょう☆
タランというのは湖の名前です。
若者の名前はモコトル。
海には海の神、山には山の神がいて、自分たちを守ってくれていると信じていた時代。
人々は魚を捕え、獣を狩り、木の実や山菜を採ったりしながら、いろりを囲んで日々を過ごしていました。
モコトルのお父さんは狩りの名人で、熊を何頭もしとめ、冬の海では海馬(トド)狩りの先頭に立つ勇者です。
お母さんは優しく美しい、芯のしっかりした女性で、モコトルを愛してくれます。
そんな両親に育てられ、スクスクと育つモコトルですが、二人とは辛い別れが待っています。
ひとりぼっちになり、父の代からいた、ソリを引くたくさんのソリ犬も、年老いたナムカ一匹だけとなり、つつましく暮していたモコトルですが、ある日、湖で氷に閉じ込められた一羽の白鳥を助けます。
氷ついた白鳥を胸に抱き、自分の土小屋に連れ帰るモコトル。
まだ若いその白鳥のたましいが、もう一度その体に戻ってくるよう、いろりにたき木をくべ、モコトルはいのります。
あたたかい火のそばで息を吹き返した白鳥に、ホッと胸を撫で下ろすモコトルとナムカ。
そして翌朝、モコトルが目覚めると、白鳥はその姿を消していました。
そんなことがあった数日後、モコトルの小屋を見知らぬ美しい娘が訪れ…
共同社会である村で暮らすモコトル。
モコトルの村では、チャムと呼ばれる、神のお告げをつたえたり、まじないやうらないを仕事としている人物が、大きな権力を持っています。
この男、モコトルの父親が生きていた時から、モコトルの一家を目の敵にしていました。
以前はモコトルの父親と仲が良かったとも聞きますが、両親が亡くなってからも、何だかんだとモコトルに意地悪をするのです。
村の人々も、この男を恐れ、なかなかモコトルを助けてやることができません。
それでもモコトルは、若木のようにしなやかで、敏捷な牡鹿のように立派な若者に成長します。
北の厳しい大地を舞台に、人間と、動物と、神話の共生する世界。
それは、架空の世界ではなく、きっと少し前の日本には確かに存在していた、そう感じることができる世界☆
うちの実家でも、このお正月、お供えのお餅を山や家の周りの神様に供えしました。
主人公、モコトルもいいですが、老犬ナムカが私は好きです♪
主人の帰りをじっと待つ姿。
海に消えた主人を村人があきらめても、一人その行方を追い、その知らせを聞いた妻が「ナムカが帰ってくるまでは」と夫の死を受け入れようとしない、それほど強い信頼で結ばれた人との関係。
そして、その二人の子どもであるモコトルを、年老いてからもジッと見守るその姿。
しかし、モコトルが、チャムからタラン湖に沈む大トドの青い瞳を探すように言いつけられた時、襲いくる一つ目の海馬に傷ついたモコトルをまるで守るかのように、湖から離れた小屋でそっと息を引き取るのです。
そしてその時、ナムカと共に家でモコトルの無事を祈っていた娘の姿も…
人間だけがこの世界の住人じゃない。
あたり前だけれど。
娘が村の子ども達に囲まれ、イチゴを摘んでいる時、子どもの一人に聞かれます。
「…どこからきたの。そりにのってかい」
ポイガというその女の子、お父さんの名前はガーグといいます。
「じゃあ、ポイガ、あんたはどこからきたの。どこからガーグのおうちにきたの」
「わかんない。あたい、ただ生まれたんだもの」
「あたしもなのよ」
厳しい寒さが続きます。
私が住む山間のこの小さな町にも連日雪が降りました。
小さないろりの炎を囲み、物も言わずせっせと手仕事に励むモコトルと娘。
かたわらにはナムカが安心しきって横になっている。
そんな風景が浮かんでくる、心あたたまる物語。
この冬、こんな物語はいかがでしょう☆
神沢 利子 作
大島 哲以 画
福音館文庫
昔は氷結した湖の表面でスケートもできたそうですが、今はそこまで寒くなることはありません。
ボートに乗ることもできるので、よく遊びに行きました。
白鳥の姿も真近で見ることができます。
日本人にとって身近な鳥、白鳥ですが、実はずいぶん遠くから日本に来ているんです。
彼らは暖かい季節をシベリアや北極海に面したツンドラ地帯で過ごします。
そこで繁殖期を向かえ、子どもを育て、たっぷりエサを食べて子ども達の羽が充分大きくなった頃、冬になって寒さが厳しくなる前に、餌の豊富な南に旅立つ準備をします。
シベリアからサハリンを通る者。
カムチャッカ半島から千島列島を経由する者。
それぞれの道を通りながら、北の大地から日本の北海道へ。
途中の湖や池で何度も何度も休憩をとりながら、なんと3000キロから4000キロもの距離を旅するのです。
ちなみに幼い時の白鳥は、体の羽はまだ灰色がかっていて、成長するにつれて白くなっていくそうです。
まさに「みにくいアヒルの子」の物語そのままですね♪
北海道でひと休みした彼らは、本格的な冬の訪れを前にして、越冬のためにさらに本州の各地に飛び立っていきます。
春にまた北の大地で再会するために。
さて、今回ご紹介する本の作者、神沢利子さんは、福岡県で生まれ、幼少時代を北海道、樺太(サハリン)で過ごしました。
彼女の作品としては『くまの子ウーフ』などが有名です♪
アイヌの人々や、トナカイを飼う少数民族の住むサハリンの地で、神沢さんも空をおおう渡り鳥の群れをながめたり、いっせいに響き渡る水鳥の声を聞いたそうです。
「この若者と白鳥の少女の物語を、日本の少年少女に読んでほしい思いとともに、遠く彼の地のひとびとの胸にもとどけたいとねがっています。」 ―「おわりに」より―
オホーツク海に浮かぶ北の島に暮らす若者と、白鳥の少女の物語。
では、神沢利子さんのそんな思いの詰ったお話、*(キラキラ)*『タランの白鳥』*(キラキラ)*をご紹介しましょう☆
タランというのは湖の名前です。
若者の名前はモコトル。
海には海の神、山には山の神がいて、自分たちを守ってくれていると信じていた時代。
人々は魚を捕え、獣を狩り、木の実や山菜を採ったりしながら、いろりを囲んで日々を過ごしていました。
モコトルのお父さんは狩りの名人で、熊を何頭もしとめ、冬の海では海馬(トド)狩りの先頭に立つ勇者です。
お母さんは優しく美しい、芯のしっかりした女性で、モコトルを愛してくれます。
そんな両親に育てられ、スクスクと育つモコトルですが、二人とは辛い別れが待っています。
ひとりぼっちになり、父の代からいた、ソリを引くたくさんのソリ犬も、年老いたナムカ一匹だけとなり、つつましく暮していたモコトルですが、ある日、湖で氷に閉じ込められた一羽の白鳥を助けます。
氷ついた白鳥を胸に抱き、自分の土小屋に連れ帰るモコトル。
まだ若いその白鳥のたましいが、もう一度その体に戻ってくるよう、いろりにたき木をくべ、モコトルはいのります。
あたたかい火のそばで息を吹き返した白鳥に、ホッと胸を撫で下ろすモコトルとナムカ。
そして翌朝、モコトルが目覚めると、白鳥はその姿を消していました。
そんなことがあった数日後、モコトルの小屋を見知らぬ美しい娘が訪れ…
共同社会である村で暮らすモコトル。
モコトルの村では、チャムと呼ばれる、神のお告げをつたえたり、まじないやうらないを仕事としている人物が、大きな権力を持っています。
この男、モコトルの父親が生きていた時から、モコトルの一家を目の敵にしていました。
以前はモコトルの父親と仲が良かったとも聞きますが、両親が亡くなってからも、何だかんだとモコトルに意地悪をするのです。
村の人々も、この男を恐れ、なかなかモコトルを助けてやることができません。
それでもモコトルは、若木のようにしなやかで、敏捷な牡鹿のように立派な若者に成長します。
北の厳しい大地を舞台に、人間と、動物と、神話の共生する世界。
それは、架空の世界ではなく、きっと少し前の日本には確かに存在していた、そう感じることができる世界☆
うちの実家でも、このお正月、お供えのお餅を山や家の周りの神様に供えしました。
主人公、モコトルもいいですが、老犬ナムカが私は好きです♪
主人の帰りをじっと待つ姿。
海に消えた主人を村人があきらめても、一人その行方を追い、その知らせを聞いた妻が「ナムカが帰ってくるまでは」と夫の死を受け入れようとしない、それほど強い信頼で結ばれた人との関係。
そして、その二人の子どもであるモコトルを、年老いてからもジッと見守るその姿。
しかし、モコトルが、チャムからタラン湖に沈む大トドの青い瞳を探すように言いつけられた時、襲いくる一つ目の海馬に傷ついたモコトルをまるで守るかのように、湖から離れた小屋でそっと息を引き取るのです。
そしてその時、ナムカと共に家でモコトルの無事を祈っていた娘の姿も…
人間だけがこの世界の住人じゃない。
あたり前だけれど。
娘が村の子ども達に囲まれ、イチゴを摘んでいる時、子どもの一人に聞かれます。
「…どこからきたの。そりにのってかい」
ポイガというその女の子、お父さんの名前はガーグといいます。
「じゃあ、ポイガ、あんたはどこからきたの。どこからガーグのおうちにきたの」
「わかんない。あたい、ただ生まれたんだもの」
「あたしもなのよ」
厳しい寒さが続きます。
私が住む山間のこの小さな町にも連日雪が降りました。
小さないろりの炎を囲み、物も言わずせっせと手仕事に励むモコトルと娘。
かたわらにはナムカが安心しきって横になっている。
そんな風景が浮かんでくる、心あたたまる物語。
この冬、こんな物語はいかがでしょう☆
神沢 利子 作
大島 哲以 画
福音館文庫