インドで作家業

ベンガル湾と犀川をこよなく愛するプリー⇔金沢往還作家、李耶シャンカール(モハンティ三智江)の公式ブログ

インクレディブル・インディア(ああ無情!)

2016-12-12 14:53:25 | 政治・社会・経済
6日の深夜予定通りデリー着、三泊して9日夕刻のフライトで州都ブバネシュワールへ、そこから車で一時間半かけて午後十一時ごろ、プリーの本宅へ帰着した。途上、結婚式の行進に何度もぶつかり、渋滞した。今は結婚シーズンたけなわ、なんである。
戻ったら、ネットはつながらず、新しく設置したはずの衛星放送も二階だけ映らない、キッチンのヒーターも故障、まあ、長く空けていると、何かしら支障が生じる。夫が在留していても、男手ひとつで手が届かない。

おまけに、帰路の便で重いトランクが左手のみで持ち上がらず(東京駅までの道程のバスの乗降口に上げるのがしんどかったし、ベルトコンベアからトランクを引き上げるときも、両手でないと持ち上がらなかった)、右手を使わざるをえず、昨夏ヨガで傷めた背中と肩がまた悪化した。せっせとインド古来の自然療法、アユールヴェーダの軟膏を擦り込んで、日本で戴いたアルフィーのCD(三十年来のアルフィーファン、Yさんのプレゼント。Yさん、早速聞いてます、ありがとう!!!)を聞きながら、日本滞在中の写真をパソコンに取り込んだり、年内に送らなければならない短編の推敲もついでにやってのけ、今このブログの下書きをワードに書き込んでいる。

今日11日は私の誕生日、アルフィーの高見沢さんと同じ年の62歳になった。
さて、二ヵ月半後に戻ってみると、500ルピーと1000ルピーが使用不可になっているし、まあ、とにかく驚きである。三日に東京で旧友に会って、インドはこの件で大パニックに陥っているからと警告され、夫に国際電話して、どうやら大丈夫そうといったんは胸をなで下ろしたんだが、11月8日に青天の霹靂の勧告で、国民は大パニックに陥ったようだ。考えてもみてほしい、日本で今まで使えた一万円札と五千円札がいきなり予告もなしに明日から使えなくなるといわれたときのインパクトを! 旧紙幣はただの紙切れになり、代わりに2000ルピー新札と、500ルピー新札が発行されたわけだが、発令からひと月以上たつも新札は充分に出回らず、キャッシュ不足、しかも、銀行からは一週間に24000ルピー(約45000円、インドの物価は日本のおよそ五分の一だが、家電と衣類は高め)しか引き出せないという上限つき。それでも、引き出せればいいが、キャッシュ不足を理由に小額しか用意できない州の銀行も多々あるらしい。当オディッシャ州は比較的キャッシュが出回っているが、このクリスマス・新年シーズンで物入り、旅行だってエンジョイしたいのに、現金なしではいかんともしがたい。

新札が充分出回るまで電子マネーで代用せよとのお達しだが(銀行もろくすっぽない貧民の多い農村地帯でカードっていうのも超無理がある。電子マネーにアクセスできるのは中流以上のクラスのみ、私も夫も、カードに頼りがちの息子と違って現金志向である)、やれやれ参った。うちはホテル業で現金が毎日入ってくるので、まだしもなんとかなるが、一般民の不自由度は察して余りある。土台、日常の小物を買うのに2000ルピー札出して、おつりを出すほうも大変である。500ルピー新札は充分に出回っていない分、従来の100ルピー、50ルピーで代用、当然こちらも紙幣不足になる。1000ルピー札がなくなってしまったのは、不便極まりない。

デリーで毎日二紙の英字紙に丹念に目を通し(それ以外はひたすら寝て、食って、呑んでの三日間、旅の疲れを癒していた)、首相がほぼ独断的に鉈を振り下ろしたこの政策、表向きは闇金掃討作戦だが、来年二月のウッタルプラデシュ州議選(人口二億の最大州で総選挙に多大なる影響を及ぼすかなめの州議選)において、政敵が政治資金をアレンジするのを阻む政治的な意図もあるようだ。
脱税目的で銀行に預けずに大枚手持ちの人もたくさんいたわけで、さぞかし泡食ったことだろう。もう少し、ネットのニュースなども読み込んでみないとわからないが、とにかく、膨大な金額のブラックマネーが没収されていることは確かだ。銀行に預ければ、自動的に新札になるようだが、大金であれば隠し財産ということで、脱税容疑になる。それにしたって、この騒動で経済も減速、お金がなければ市場は振るわないし、ホテル業だって、打撃を食らう。すでに、アーグラーのタージマハルなど、旅行者は二割減というし、ホテルもキャンセルが相次いでいるようだ。

クリスマス・新年の稼ぎ時に、インド政府もようやってくれるよ。これを、闇金狩りの英断とみるか、限りない愚策ととるか、私は後者だが、まあ、過去に北朝鮮やロシアもやったようである。
もう、びっくりしたあ。いない間にこんなドラスティックな経済政策が採られているとは。九月に前インド準備銀行総裁が辞めて、副総裁が後釜に納まったのだが、そのことで政府が口出しやすくなったようだ。経済界のロックスターともてはやされた前総裁、ラグラム・ラジャンはこの件について何か公に発言しているだろうか(後刻、批判していたと判明、世界的な経済学者はおおむね批判しているようだ)。前首相、マンモハン・シンは、経済停滞を憂えている。インフレも納まりつつあったし、7%以上の経済成長も見込めていた好況だったのだから、短期的に見れば、経済への打撃は大きい。
それよりも、いつになったら引き出し上限は解除されるのか。こちとら、来春はまたジャパンだよ。現金が存分に引き出せなければ、ドルも買えない。ああ、ひどいことになったもんだ。インクレディブル・アンプレディクタブル・インディア!!!
先進国経済は少なくとも、こんな荒唐無稽なことはしませんよ。旧友も、すげえことやるなあと、驚いていた。

夕刻、気を取り直して、浜に出た。久々のベンガル海。わがバースデーを祝うように、大きなフルムーン。宵闇が降りるにつれて、神々しいこんじきに輝く。
満潮の波がざんぶと押し寄せる。西の空はほんのりオレンジ色に染まり、街の灯がトパーズの珠玉のようにきらめいていた。

もうひとつ、改装を九月に済ませたホテルに隣接する私邸も私の不在中にペンキ塗り替えでお色直し、15年ぶりにやったので、今までの薄汚かった壁が一新、来る2017年を前にすっきりと、見違えるようにきれいになった。年内に小物の片付けなど、大掃除が控えているが、大元のところは、夫がやってくれたので、楽チン。最初足を踏み入れたとき、夜だったもんで、壁がショッキングピンクに見え、があああんてなもんだったが、明けてみると、悪くなく、やれやれと胸を撫で下ろす。こんなサーカスのような家に住めないと、夫にぶーぶー文句を垂れてしまったが、色盲同然の(赤と黒、白くらいはわかるが、色の区別がつかない人なんである)彼にしてはよくやったと褒めなおしてやりたい。

金沢の狭いワンルームに比べると、悠々自適、本宅は広々してゆったり、やっぱり環境というのは人の精神に影響を与える。広いと、気持ちも伸びやかになるようだ。ただ、金沢は美しく整備された街で、近くに犀川も流れ、文化的催しに事欠かないよさはある。インドに戻ってくると、途端に埃っぽく、汚くなり、ちょっとがっかりするのだ。田舎町には、図書館も本屋もないし。でも、一長一短で互いが互いを補い合って理想の生活に近づければと思う。

成田空港で購入した銘酒「八海山」は、一日で夫の腹に納まりました。ちょっと味見したら、濃厚芳醇、さすが新潟の有名銘酒だけのことはあった。

追記
これから夕食後はアルフィー聞きながら、独り祝い酒。62歳、高見沢さんに追いつきました(若さとパワーではもろ負けるけど。62歳であのヴィジュアル度、美しすぎる!)。州都でGroverの赤と白を手に入れたので、白ワインをからすみ(ベンガル湾産ぼらの卵巣、絶妙珍味は冬季限定)はじめ、野菜スティックや冷やしトマト、かつお梅、柿の種のつまみでやりたい。インドの果物は豊富だし、野菜もおいしい。冬季で大根も入手可。とくにトマトときゅうり、日本ではトマトが高くてびっくりしたし、きゅうりは細すぎて食べた気がしなかった。インドのきゅうりは野太い、水分たっぷりで、食べ応え充分、しゃきしゃきして美味。トマトも、格安でおいしい。
やっぱり、自然食品はインドの方が安くてより自然に近くていいかな。ただし、殺虫剤問題があるけど。朝はおいしい野菜・フルーツジュースで始まり。日本ではミキサーをまだ買ってないので、市販のジュースに甘んじていたが、りんご、オレンジ、ぶどう、にんじん、赤カブ、大根とその葉の自家製ミックスジュースは久々に飲んだだけに超美味だった。朝食後しばらくして青汁代わりの、定番ゴーヤジュースも作ったが、こちらは健康のため常飲しているもの。来年は健康を回復すべく、食品に気をつけたり、呼吸法・瞑想を必ず行うなど、努力したい。

☆数時間後
からすみを薄く切ってあぶる程度に焼き網で焼いて、きゅうりとにんじんをスティック状に切ってみそをつけて、かつお梅と柿の種と、ポテトチップス、キットカットのつまみで、八時半バースデーパーティーとしゃれ込んだ。夫も無論誘ったが、ウイスキー派の彼は白ワインを敬遠、ところがせんが固すぎて夫に開けてもらったのは、ワイングラスに注いでみたら濃い赤紫の液体、レッドワインであった。一瞬どうしようかと迷ったが、日本ではずっとチリ産の辛口白ワインを飲んできたし(週一度くらいの割合で)、全日空の機内でも行き帰りとも辛口の白ワインだったので、まあたまには赤もいいかと、せんを開けてしまったことだし、そのまま飲むことに。
赤ワインも、バースデーには華やかでいいかもしれない。来るクリスマスイヴはおのずと、残りの白ワインとなる羽目になったが。とにかく、今年は誕生日もクリスマスも新年も家族と一緒だ。昨年の金沢での独りきりの師走、正月を思うと、感謝あるのみ。還暦厄も、本日62歳の誕生日を迎えたことで、ひとまず抜けたような気がする。
コメント
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