インドで作家業

ベンガル湾と犀川をこよなく愛するプリー⇔金沢往還作家、李耶シャンカール(モハンティ三智江)の公式ブログ

美化されたビーチ(写真)と月下のアラマンダ、そして若ジュリー

2014-06-11 18:58:20 | 私の作品(掌短編・エッセイ・俳句)




本日、日のあるうちに浜に出たら、砂浜のゴミがきれいに掃き清められており、びっくりした(巻頭写真二点は新規スマホ、インド国産品Micromax製で撮影)。

海に近い前面の砂は日本の石庭のように竹箒で流砂状になっていて美しかった。
二十七年の滞在でこんな廃棄物のほとんど落ちてないビーチを見るのは初めてである。

それでも、ぽつぽつとは取り残しが見えるが、平生の汚さに比べるとダンチ、ここまできれいだと、プリーの浜も捨てたものじゃないなと思う。

コンピュータを開けてWiFiが可能になったので、試験的にスマホでジュリーの「許されない愛」をBGMに、うだるような暑さだった今日を慰撫するため、久々にビールを飲んでいる。

午後7時半から二時間たっぷり、計画停電、夜の十一時過ぎになっても弱電で汗がたらたら流れた。

高湿度の蒸し風呂状態。
いまやっとエアコンをオンにして、コンピュータを触りながら、スマホのジュリーを聞きつつ、憩っている。

やれやれ、なんと蒸し暑い六月なことか。
五月が比較的楽だった分、炎暑地獄が今月に持ち越されたようである。

今、スマホからはフランスで吹き込んだジュリーの「Elle」(フランス語、動画は日本語版)が途切れ途切れに流れている。
接続がよくないので、一貫して聞けないのである。

停電中は怪我の功名とばかり、のんびりベランダの椅子に座り、フルムーンを仰ぎながら、月下のつやめくくれない紫のアラマンダを楽しんだ。



熱帯のトロピカルフラワーは、つる状の小枝に赤紫のラッパ状の花をいくつもつけ、麗しい。
煌々とシルバーホワイトに照り輝く月光を浴びて、妖しい閃きを帯びる。
いつも貧乏性でせかせかしているため、こういう停電タイムでもない限りは、のんびりできないのである。

ひとまず、夏バテ癒しの中休みかな。

明日からまた推敲だ。

日本のインド料理店にも輸入されているインド製ビール、「Kingfisher」、ブルーの尾羽が美しいかわせみラベルのビールはこくがあっておいしい。

最後に、若・美ジュリーのルックス、声とも超美しい動画をどうぞ!
なんてきれいなんでしょう、思わずほうっと感嘆の息が洩れますね。

愛は限りなく
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新首相の徹底掃除作戦

2014-06-11 16:58:33 | 政治・社会・経済
六月の予期せぬ熱波で冷房フル回転の毎日。

とにかく高湿度でうだるような猛暑だ。

さすがに夏バテ気味。

先月は酷暑たけなわにしてはわりと過ごしやすかったため、喜んでいたのだが、ここに来て復讐のような応酬振りである。

さて、モディ(Narendra Modi,63歳)新首相は各方面に迅速に動き出しているが、各省の徹底掃除作戦にまで及んだ。
古いファイルを全部捨ててすっきりさせるクリーン作戦である。
この政権は案外、いけるかもしれない。
インド人民党(BJP)というと、ヒンドゥ右寄りだが、右翼色は影を潜め、「経済発展、よき統治」をスローガンに掲げているせいで、豊かさや雇用促進を求める国民のアスピレーションにマッチ、期待はうなぎのぼりである。

効率的なハードワーカーの新首相の下で、インド経済は黄金期を迎えるかもしれない。

まだ十日くらいしかたっていないが、実に行動的で次々に新政策を打ち出している。
麻痺停滞、レイムダック状態だった前政権とはダンチである。

期待できそう。

なっといっても、インド人民党が単独で過半数に達したのは、モディのカリスマ性に負うところが大きかった。
リーダーシップとパーソナリティの勝利で、モディは精力的に選挙キャンペーンを全土に繰り広げ、ブームを培ったのだ。ハイテクでもあり、フェイスブックやツイッター、ホログラムも駆使しての効果的な遊説展開だったのである。

ボンベイ株式市場も、25500ポイント以上と高騰、ミューチュアルファンドに投資しようかと経済音痴の私にまで思わせるこのごろである。
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デュランデュランの派生グループ(動画)

2014-06-11 16:31:34 | 私の作品(掌短編・エッセイ・俳句)
少し前の記事に、アルカディアというイギリスの八十年代のロックグループを紹介したが、ウイキで調べると、「アーケイディア」と英語式発音の読みになっており、デュランデュランの派生グループであることがわかった。

ヴォーカルはデュランデュランと同じサイモン・ル・ボンで、アルバムはSo Red The Rose(邦名・情熱的な赤い薔薇)一枚しか出さなかったとのこと。85-86年のたった一年の活動だ。

でも、Goodbye is foreverが86年にリリースされ、ヒットしたときは確か、アルカディアで通っていたような記憶があるのだけど。

まあ、本式の発音はアーケイディアの英語読みが正しいのだろうけど。
ちなみに、アルカディアとは古代ギリシャ奥地の景勝地で、住民は素朴な理想郷を造っていたという。さしずめ理想郷、桃源郷というところか。

とりあえず、訂正がてらまたお気に入りだった「グッバイ・イズ・フォエヴァー」
を、ハンサムなヴォーカル、サイモン・ル・ボンの画像入りで紹介しておきます。

最近、脳髄に飛び交っている音符です。
Goodbye is forever
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私は天才作家?

2014-06-11 15:56:37 | 私の作品(掌短編・エッセイ・俳句)
いくつかとっているメルマガに、自分のアートをそこそこにとどまらせていることに対して、作品に謝ったほうがいいという一文があって、はっと気づきを得た。

自分の作品のファンになり、自分の力を認めることの大切さを説いたものだった。

そういえば、私はこれまでの作品群を自己卑下的な見方でとらえていたかなと反省。
結局、その程度にとどまらせていた自分に問題があったわけで、作品にわびることが必要なのかもしれないと妙に納得がいった次第。

これまで出した三冊、

「お気をつけてよい旅を!」(モハンティ三智江、双葉社)
「車の荒木鬼」(モハンティ三智江、ブイツーソリューション)
「インド人にはご用心!」(モハンティ三智江、三五館)

の全作とも、そのときどきで渾身の力を振り絞って書いたものだが、一場の興奮が過ぎてしまうと、別にたいした作品でもないよなという目線で見ていたような気がする。

傲慢やうぬぼれとは違って、天才作家と思い込むことが大切なのかもしれない。

しかし、昨今は自分の小説を読むと、われながらよく書けていると思い、自作に感動することも多くなった。私は、わが小説の筆頭のファンといえるかもしれない。
自分の小説を読み直して、感動のあまり、涙ぐむことはしょっちゅう。
亡父の伝記小説「車の荒木鬼」では終盤の臨終場面にくるたび、泣いていた。校正紙でも、チェックするたびにぐすんぐすんであった。

これから、私は自分の作品をその程度にとどまらせていた思いにさよならして、いっぱい謝った後、天才作家と思い込むことにしよう。
天才作家というと、なにやらこそばゆいので、鬼才、くらいかな。
天才より、鬼才のほうがすごいか、ハハハ。

今月一杯は投稿二編、うち一編の短編はほぼ形になっているが、330枚の長編の推敲がかなりのプレッシャー、でも、両作ともサイコー!のできばえと思う(本音はなかなかのといいたいところなのだが、ここは最高の完成作と思い込みたい)。

自分の力を信じることの大切さは、作品に限らず、人生全般にいえるかもしれない。
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