30坪+20坪の菜園

BIG FARMの農事日誌です。

ことしのカボチャは、あしたのジョーならぬブッラクのジョー

2021-07-27 | カボチャ

ことしのカボチャはブッラクのジョー

このカボチャの名前は種苗店で出合うまで知らなかった。衝動買いだった。そのカボチャとはサカタのタネの「ブッラクのジョー」。

カボチャはうまい品種になかなか出合えないでいる。そこで年ごとに1種類を選んで栽培しては食味を繰り返している。カボチャの品種は多い。年に1種類では、これはという品種に出合えるのか。何年かかるのか見通せない。そのうちあの世に行ってしまうかもしれない。

昨年のカボチャは「ロロン」だった。これも商品名で買ったようなもの。なかなかうまかったのだが、カボチャはこれに決めた、というところまではいかなかった。

ことしはなににするか。種苗店でたまたま目の前にあったのが、このカボチャの苗。こんども妙な名前の苗だ。この商品名を聞いて、すぐに思い出すのはだれだって「あしたのジョー」だろう。わたくしが大学生のときの漫画である。あれから半世紀がたち、あしたのジョーをもじってよもやカボチャの1品種の商品名になって登場するとは。

思わずこれにしようかと買ったのだからサカタのタネの戦略は、わたくしのようなあしたのジョーを知っている世代には効き目があったといえる。同社のHPをみると 「着果性に優れ多収性! 黒く輝くホックホク栗カボチャ」とある。商品名からして皮が黒くなるのだとわかる。

カボチャは毎年きまって1株だけ植え付ける。複数株植えるだけの面積がないのだが、食べるには1株で十分だ。「着果性に優れ多収性!」のはずなのだが現在そだっているのは4個。

人工授粉はいっさいしないで自然に任せて放ったらかしにしているせいなのか、着果しないで黄色くしなびていくのが多い。受粉の時季は過ぎたようで、いまからこれ以上着果することはないだろう。

大きさは2キロぐらいになるという。ことしのカボチャはうまいのか、はやく食べてみたいものである。

サカタのタネのHPから転載、皮が真っ黒になるようだ濃黒緑色の果皮と黄橙色の果肉のコントラストが見事な「ブラックのジョー」


      
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7月23日朝、そうだ忘れていた、葉ショウガを食べるのを

2021-07-23 | ショウガ


7月23日、朝どりの葉ショウガ

猛暑で雨が降らず、畑は埃っぽい。作業はあまりなく主たるものはいまも雑草取りだ。サトイモ、ラッカセイ、それにショウガなどの土寄せは大方梅雨が明けるまでに行っている。こればかりは欠かせない大事な作業になる。

そのショウガ。土寄せは忘れずにやってはいるものの肝心の食べるのを忘れていた。いまの時季は葉ショウガである。飲んべえが葉ショウガを忘れるなんて、何のためにショウガを栽培してしているんだと言いたくなる。ぼけてきたのは年相応で仕方ないのだが、それにしてもだ。

7月23日朝、すぐに菜園へ。こんばん食べる分だけ取ってきた。多かったか。ショウガは根ショウガよりも葉ショウガを食べるのを好む。ビールと清酒のつまみに、エダマメとともに葉ショウガあればご機嫌だ。

ショウガは葉ショウガを食べるために密植している。間引きしながらどんどん食べないといけない。残りが秋の根ショウガになる。

ところがことしは不調だ。原因はわかっている。種ショウガにある。種ショウガは秋に収穫したものを保存、越冬させて、春に植えつける。保存が悪かったようだ。念のため、種ショウガを植えつける時点で、芽が出ているものだけを選んで植えつけたが、それでも出芽率は悪かった。

これまでの経験でいえば、ショウガ栽培は一に種ショウガの質にある。質が悪ければすべてに悪い。

いまの時季になるとすきまなく葉が繁茂している。だが、今年は密というより疎に近い状態。それでもいつものように葉ショウガを食べたい。食べるといっても、酒のつまみにするくらいで、食べる期間も限られている。食べるといってもたかが知れている。

葉ショウガは、味噌をつけて食べる。それ以外の食べ方を知らない。葉ショウガを食べると夏が来たと実感する。


      

 


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梅雨明けして元気を取り戻してきたトマト

2021-07-22 | トマト


7月21日のトマト、完熟したものだけを収穫
手前が中玉のフルティカ、左上が千菓、右上がピンキー

完熟したものだけを選んでもぎ取っていく。トマトがやっと息を吹き返してきた。梅雨明け前の半月ぐらいは連日天気が悪く、日照時間が少ないため、トマトがダメになった。それ以前と比べて天気によってこんなにも違ってくるのかとよくわかるほどだった。

隣りの菜園ではミニトマトの実割れが多いという。それはわが菜園ではなかったがミニトマトに腐るものが多くなった。周囲も見ても軒並みトマトが悪い。ことしはダメかと思っていた。ところが梅雨明けしたら、腐るものが少なくなり、日差しを受けて全般に元気になった。まさにお天道様のおかげである。

トマトを取り上げてもネタは少ない。同じネタを何度も使っている。トマトを食べないからである。それでも念を入れて栽培している。いつもは4連結のセルトレイに入った一番安い苗を買うのだが、今年は違った。中玉にフルティカ、ミニトマトにピンキーと千菓を買った。

とくにピンキーと千菓は1苗が250円から300円するのだが、それだけの価値があるようだ。ただしトマト嫌いがそういのだから話半分に聞いてもらいたい。

ミニは実が鈴なりになる。ピンキーはその姿が繊細で美しい。味は両方ともいい。もいだばかりの生暖かいものをたべると、特有の臭みがいやでペッと吐き出してしまうのだが、これなら食べられると思った。

それにトマト嫌いも、完熟ものなら食べられるとわかった。菜園をやっていればこそそれができる。でも一粒ずつ食べればそれで気がすんでしまう。

お遊びで6月にわき芽を使って挿し木苗を育てた。それを定植し、いますくすくと育っている。たぶん8月中旬になれば収穫できるようになるだろう。トマト嫌いがなにをしているんだと言われかねない。


      


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梅雨明けしたらゴーヤーの出番、7月19日初どり

2021-07-21 | ゴーヤー

コロナワクチン2回目の接種が7月4日、すでに2週間がたった。そろそろ効き目が出てくるころだろうか。梅雨が明けて夏山本番。計画を立てないといけない。年相応に体のあちこちに故障が出てきている。登山を楽しめるのもあとわずかだろう。それだけにあせっている。だが、このコロナ禍ではすっきした気分で出かけられない、ためらう。

梅雨が明けたら、さあオレの出番だとばかりに姿を現した。ゴーヤーである。まるで自分の出番を知っているかのように、7月16日に梅雨が明けたら、19日にゴーヤーの初どりができた。

いませっせと毎日食べているのがエダマメとキュウリ。どちらも食べるのに追われている。最盛期はこうなる。さすがに飽きてきた。

そこへゴーヤーの登場である。うまい具合に出てくるものだと感心する。支柱を立ててネットを張り、1株を育てている。たった1株? それだけでこれから十分の数が収穫できる。

梅雨明け前に、そろそろ実ができてもいいころだとさがしたものの見つからない。雨続きで天気が悪いからなのだろうか。それが梅雨明け後にさがしたらすでに収穫できるサイズのものが3本あった。

どうもさがすのが下手だ。葉でおおわれているから見逃してしまう。キュウリの地這いものだって、このところヘチマサイズが続出している。

ゴーヤーには昨年開眼したといっていい。かなり好きだが食べるのが追いつかないでたいがいを無駄にしていた。それが昨夏は、なにを思ったのか、ゴーヤーのレシピをかなり勉強した。ご飯のおかずに重宝したからだ。

いまの時季、夏野菜は果菜類が主になる。キュウリとトマト、それにエダマメは酒のつまみになるがおかずにならない。おかずになるものといったら、わが菜園ではナス、ピーマン、オクラ、それに農家からいただくズッキーニぐらいなものか。意外と少ない。そこにゴーヤーが加わった。これがなにかとおかずになるのである。ゴーヤーさまさまといった感じだ。3日に一本ぐらいの周期で収穫できればいいのだが、これから最盛期を迎えるとやはり持て余し無駄にする。


      

 


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2021梅干しづくりー土用干しをすませて完成、保存

2021-07-20 | 梅仕事

2021梅干しづくり
塩漬け(6月24日)
土用干し(7月17日~19日)
完成と保存(7月19日)


わが家の梅が梅干しになりました
ガラスの瓶に入れて保存

梅雨明け早々の7月17日から19日までの3日間、土用干しを行い、わが家の梅が梅干しになった。茶色い斑点やキズが気になったが、出来上がってみるとほとんど目立たない。これなら来年からは、といってもわが家の梅は気まぐれだから来年も収穫できるとは限らないのだが、自家梅が使えるのがわかった。これなら上出来といえる。

ことしはすべてがスムーズにいった。これまでの経験の成果なのだろうと思う。

せっかちが功を奏した。雨の心配がない猛暑日が3日のあいだ続き、土用干しにはうってつけの3日間となった。
強烈な日差しを浴びて、果肉がしだいにやわらかくなる。



土用干し最終日の19日は、甕の梅酢も日光にさらして消毒。ろ過して瓶に詰めて保存。梅酢はわたくしにとっては貴重なもの。夏のドリンクになる。酸っぱいのが好きだから、水と氷を入れて飲む。すっきりする。

梅干しをそのまま保存するか、梅酢に入れて保存するかは好み。わたくしはいつも前者で見た目がさっぱりした感じが好きだ。

それにしても楽しみはあっという間に終わってしまった。少し惜しい気もしないではない。


      

 


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2021梅干しづくりー7月17日土用干しをはじめる

2021-07-18 | 梅仕事

2021梅干しづくり
塩漬け(6月24日)
土用干し(7月17日~19日)
完成と保存(7月19日)


土用干し初日(7月17日)

7月17日に梅干づくりの土用干しを始めた。これから3日のあいだ続ける。

土用干しは、梅干しづくりのハイライトで、なによりの楽しみにしている。早く梅雨が明けないかと待っている。

関東の梅雨が7月16日に明けた。さっそく土用干しに取り掛かる。そんなに楽しみにしていたのなら、あわててやることもないだろう、楽しみは後に取っておくもんだ、とわかっている。だが、この先3,4日は晴天が続くようなので、いまのうちにすませておきたい。というのも、天候不順の夏があるからだ。何年前になるのだろうか、天気のいい日が続かず、土用干しが8月下旬にずれ込んだことがある。

塩漬けしてきた梅、梅酢のなかに浸っている(7月17日現在)

6月24日に2キロの梅を塩漬けした。すぐの2日後には梅酢が上ってきた。極めて順調だった。ことしの梅は自分の庭の梅で、品種は白加賀。買ってきた梅と違って茶色い斑点や小さな傷がある。気になるがまあとにかく漬けてみることにした。梅干しづくりは大人のお遊び。じつに楽しい、と思う。家の梅を梅干しにするのは初めて、どんな梅干しができるのか。きっと手前味噌ならぬ手前梅干しになることだろう。

竹ざるを用意して一つひとつ並べていく。この時間がなんともいいのである。一昨16日付のブログに書いた煩わしい問題を抱えているだけに、束の間すがすがしい気分になれる。

2キロの梅は全部で56個。一つひとつがいとおしく、けっして大げさな表現でもなく自然とそんな感情がわいてくる。この3日間、大事に育てていきたい。

1日目のポイントは、干し始めて2時間後ぐらいにひっくり返すこと。そのままにしておくと皮がざるに張り付いしまう。無理に裏返すと皮が破ける。これは絶対に避けたい。皮が張り付いているようなら翌朝までそのままにしておく。翌朝にすんなりち裏返すことができる。

きょう18日は土用干し2日目。昨日に続いて日差しが強く、土用干しにぴったりの天気予報だ。果肉がしだいにやわらかくなっていく。


      
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ニンジンー7月14日梅雨が明ける前に夏まき秋冬どりのタネまき

2021-07-17 | ニンジン


春まき夏どりは「時なし」、夏まき秋冬どりは「黒田」に決めている

すべりこみセーフ! ニンジンの夏まき秋冬どりのタネを梅雨明け前の7月14日にまくことができた。

関東の梅雨が7月16日に明けた。まもなくだという予報にあせった。梅雨が明ける前にまきたいのだが連日の雨で畑はぬかってる。タネがまけない状態であったが、どうにか間に合った。

ニンジンは「春まき夏どり」と「夏まき秋冬どり」の年2回つくっている。前者は100本、後者は150本ほど。昨夏から後者も100本に減らしている。いま、春まき夏どりを食べているところだけに、もうそんな時季になったのかと季節が足早に過ぎるのを思う。

梅雨が明ける前にタネをまきたい。ニンジンの発芽には土を乾かさないのが肝心。このため梅雨が明けてからまくと、毎日のように水をやる必要がある。梅雨のあいだなら土が湿った状態だから、水やりもそれほど神経を使わないですむ。発芽するまでは黒い寒冷紗で覆い、常に土の乾燥をチェックしては水をやる。

ニンジン栽培で最も神経を使うのが、いかに発芽をそろえるか。すべてがここにかかっているといって過言ではない。それができれば成功したも同じ。そこが腕の見せどころになる。

ニンジンはむずかしい。真っ当なニンジンを育てるには試行錯誤が要るだろう。周囲を見ればわかる。発芽をそろえて、サイズをそろえることが。わたしの方法だと発芽さえそろえばサイズもそろう。その栽培方法は農家が見たらそんなに手間がかかることなんかやってられないというだろうし、わたくしもそう思う。家庭菜園だからそれができる。

ずっとこの方法でやっている。15センチ間隔の黒マルチを敷いて、一つひとつの穴にタネをまいて、間引きしながら、1つの穴に1本を育てる。100個の穴にタネをまけば100本収穫できることになるのだが。

発芽がそろうということは、全部の穴から一斉に発芽すること。下の画像(昨年のもの)のようにだ。見た目にも美しい!と感じるはずだ。

今回100個の穴にタネをまいた。せめて95個の穴から発芽してほしい。たぶん大丈夫だと思うのだが、こればかりは結果を見なければ安心できない。ニンジンの発芽をそろえられるよう試行錯誤を繰り返した。やればうまくなるもので、いまではすっかり得意になっている。自信があるとはいえ毎回不安でしょうがない。結果は来週にわかる。どきどき。


      
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【貸し農園トラブルⅠ】(番外)我孫子市久寺家2丁目・浅川宝重の悪行顛末記ー地主裁定から2週間、悪行の謝罪はいまもなし 近所にはこの老人の悪意に巻き込まれないよう注意を喚起

2021-07-16 | 菜園トラブル

<4回から続く

貸し農園の通路を封鎖占拠し、はては誹謗中傷をする、我孫子市久寺家2-6-14に住む浅川宝重、年齢70数歳の老人の話を続ける。

7月5日から8日まで4回にわたりこの事件の顛末を書いてきた。
今回は番外編で、地主の判断があった7月4日以降の話。地主の命令に従って、この老人が占拠していた農地にどのような変化がでてきたかをみていく。

地主の裁定は繰り返すがつぎのとおり。

1、封鎖して占拠しているのをやめ、できるだけ早く元どおりの通路を確保すること。
2、いま借りているAとBの2区画のうち、遅くも8月までにB区画を返還すること。

この老人は3カ月にわたりAとBのあいだの通路を封鎖して占拠してきた。

無題

これがその封鎖占拠している現場。上の見取り図と同じ構図。手前の畑がCとD。ネットで封鎖している向こう側がAとB。

DSC05652 (450x600)

DSC05653 (450x600)

◆↓7月3日に現場を見ると、封鎖を一部解除し、本来の半分ほどの幅の通路ができていた。地主さんによると、すぐにそう対応するよう指示したらしい。ただし全面解除ではない。

◆7月5日から8日まで4回にわたりブログに今回の事件の顛末を書く。

◆↓7月14日 全面的に占拠を解除。やっと本来の幅の通路が復活した。雑草は茂っていて手入れされていない状態だ。

◆7月12、13日の両日、この老人の住まいがある近所の皆さんへ、浅川による家庭菜園における封鎖占拠と、わたくしへの誹謗中傷を周知した。ブログへのアクセスを見ていると、近所の人はほとんどが検索して、4回連載の顛末記を読んでいるようだ。この老人の仮面の下の別の顔をしかと見てくれただろう。


この老人とは6月25日以来会っていない。どうも朝早くのうちには来て、占拠したところを解除しているらしい。当たり前の神経なら恥ずかしくて顔を見せられないはずだ。外聞が悪くて外には出られない。

7月4日に地主の判断が示されてから、謝罪は一切はない。いまもない。今回の事件でこの老人の裏の顔を知ってしまった。過ちの責任を感じて謝罪する社会常識もないのだろうからとあきらめてはいるが、70数歳にもなってそれはないだろうと思うのだが。

顛末記のその1でも触れたが、この事件に対処した最初から、この老人の氏素性がわからないのに困った。なぜこんなことを平気でやり、注意を無視して頑強に反発し、占拠をやめないどころか、はては誹謗中傷を繰り返すのか、と。

70数歳の老人がなぜここまでやるのか。不思議でしょうがなかった。どんな家に生まれ育ち、教育をうけ、社会に出て、70数歳まで生きてきたのか。

今回の事件を通して仮面の下の素顔がしだいにわかってきた。こんな老人が隣りの菜園にいたのだから不運としかいいようがないのだが、むなしいばかりである。占拠を無視するわけにはいかなかった。この事件に対応し、よもや誹謗中傷をこの老人から浴びようとは。

この事件のその後については折りにふれて書いていくつもりだ。


      
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7月14日エダマメの初どりーゆであがりのいい匂いといったらない

2021-07-15 | エダマメ



この4月から農地を80坪から50坪に減らした。体がだいぶ楽になったのを実感している。

一昨13日の記事で触れたように昨年は味噌用大豆の栽培に失敗した。でも昨年は同時に面白いこと?をやってみた。

枝豆から大豆を作った。枝豆はかなりの量を作る。食べきれない。そこで放置して大豆にしようと考えた。枝豆から大豆が作れるのか。枝豆はもともと大豆なのだから作れないはずがない。それでも確信が持てなかった。農家の知り合いに尋ねても、どうかなとこちらも首をかしげていた。

枝豆から大豆ができた。当たり前じゃないかといわれてしまうのだが、もう一度言う。半信半疑だった。収穫は8月16日だった。これがうまかった。枝豆は、大豆から味がいいものを選抜して改良してきたものだからといわれれば、うまくて当たり前かと納得する。

豆とつくものはなんでも好きだ。5月のソラマメのつぎは7月のエダマメ。どちらが好きか。甲乙つけがたい。両者とも毎日のように食べていると食べ始めたときに比べてかなり飽きてくるのも事実だ。

7月14日にそのエダマメの初どり。出来具合は平年並み。平年並みということは出来がいいということでもある。取り始めたいまは、莢の膨らみに差があって、株をひきぬいたうえで莢をがばっと一気にもぎ取ることができない。株を抜かないで、莢を一つひとつたしかめながらもぎ取っていくしかない。面倒だがその日の晩酌のつまみにする量だけ取ればいいから、大した手間ではない。

数日たてば、一気に膨らんでくる。それからは食べるのに追われる状況になる。毎年、いつもこうなる。

農地の縮小により、エダマメの作付けもかなり減らした。でもこれくらいが適切な量かなと思う。食べきれないときは、これまでは冷凍してきたが冷凍ものはまずいから、そのまま大豆にするかと考えている。できたとしてもほんの少量になるだろうが。

さっそくに塩ゆでしてビールのつまみにして食べた。茹でてざるにあげると台所に豆の甘い匂いが広がる。口にすれば毎年きまって、やっぱりビールに合うねぇ、と。


      
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7月11日に大豆の定植-昨年は大失敗、今年こそ

2021-07-13 | エダマメ


畑の準備ができるまで仮植えしている大豆の苗、これを定植した

MLB。ショーヘイ、ショーヘイとマスコミは大賑わいだ。名前がじつは同じである。わたくしもショーヘイ。ショーヘイの連呼がまるで自分に向けられているようで気分はいい。この青年の活躍でこのところ元気をもらっている。苗字だってかなり近い。「オオタニ ショウヘイ」の「タニ」のところの2文字が違うだけ。発音が明瞭でないと、わたくしの姓名はオオタニショウヘイと聞こえてしまうほど? NHKBS1で放映があればみている。たまたま見逃したときはその日の活躍が気になってしょうがない。

7月11日に大豆の苗を定植した。この苗は知り合いの農家からいただいたもの。「味噌用の大豆」(以下味噌豆)だ。約50本ほどある。畑の準備ができるまで仮植えしていた。昨年はタネから育て140本ほど植えたからことしはかなり少ない。4月から農地を80坪から50坪にした。農地を減らしたためすべにおいて植えつけ面積が窮屈になっている。

大豆は昨年初めて作った。枝豆にはかなり熱心に取り組むのだが、大豆には関心がなかった。

この味噌豆はかなり大きな株になった。期待した。だが予想以上に大きく育ったものの、莢に実がまったくはいらなかった。結果は大失敗だった。定植の前にきちんと調べればいいものを、エダマメと同じ株間と畝間で定植してしまったからだ。失敗の原因は密植だった。

今年は失敗に懲りて、株間、畝間ともたっぷりとった。農家の指示に従い、株間50センチ、畝間90センチ。枝豆に比べてかなりの面積をとる。このため用意した畑には30本ほどしか定植できなかった。

昨年の失敗がきっかけとなり、大豆のことを勉強した。ことしは煮豆に適した「タチナガハ」を育てるつもりでいたことが昨年のブログを見てわかった。すっかり忘れていた。このところ、3歩あるいたら忘れてしまうどころか、3歩もあるかないうちに忘れてしまう。一年前のことなんか・・・。

いまからタネを買ってまこうかと思うのだがその意欲が起こらない。今年はこの味噌豆でとにかく大豆をとれるよう専念することにする。


      
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嫌いではないが食べないスイカ、農家からいただいたものの味は

2021-07-12 | ニガウリ



家庭菜園を35年以上やっていると、農家の知り合いが多くなる。それでも図図しくならないよう距離感に気を付けている。冗談がいいあえるのは1人だけ。ウオーキングで毎日のようにそのひとの家の前を通る。

「スイカをもっていかないか」
さて困った。嫌いではないが食べない。食べてもせいぜい年に一度ぐらいのもの。まったく食べない年もある。食べようとしないからそうなる。

断るわけにはいかない。大玉なら固辞するが小玉だ。ぶら下げて帰れないから自転車で取りに戻った。

この数年の周囲の菜園の傾向を見ると、スイカを作るひとが多くなった。わたくしはそんなわけだからいまは作らないのだが、過去に2回だけ作ったことがある。

スイカ栽培は、極端な話、放ったらかしでも実をつけ大きくなる。2株を植えつけておけば食べきれないほどできる。ここまでは初級クラスだ。ポイントは、甘いものを作れるかどうか、これがむずかしい。甘くするには上級クラスになるだろう。

2回ほど作ってやめた。そのわけは甘いスイカが作れなかったこと、それなりに甘いのだが水っぽいのである。うまいともおもわない。その当時、一個1000円ぐらいの小玉スカイを買って食べたとき、その甘さに驚いた。さすがプロだなと。

甘いのがつくれないし、もともとそれほど好きでなかったことから、それからというものスイカは作らない。

果物や果菜で、甘いだけのものにはすぐにあきる。スイカもそうだ。食べているうちにあきてくる。甘いだけが取り柄のスイカだから子供に好まれるのはよくわかる。大人が食べるには酸味が不可欠で、それがないとすぐにあきてしまう。

農家からいただいたスイカ。食べないといけない。切った。色はいい。問題は甘さだ。冷やす前にひと口食べてみた。やはり水っぽかった。それにやや早どりのようだ。農家のスイカだからといって、自家用に作っているわけだから、専門農家のように栽培技術だってそれほどでもない、といってはいただいた農家には申し訳ないが、わたくしが作っていた程度の味だった。

そんなわけだから周囲の家庭菜園で作っているスカイははたして売っているスイカのように甘いのか。ほどほどの甘さはあろうが、たぶん水っぽいのではないかと見ている。味見させてくれとはいえない。


      
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キュウリはいまノンストップ、どうにもとまらない

2021-07-11 | キュウリ

7月5日から8日まで【貸し農園トラブル】浅川宝重の悪行顛末を連日書いていた。書き終えた8日、午後から右ひじに違和感を覚える。9日の午前1時半に痛みで目が覚めた。かなり痛い。鎮痛剤をのむもうとしたが朝まで待つことに。でも痛くて午前4時にのんだ。痛みがひどくて朝まで寝られなかった。

原因で思い当たることは熱心にパソコンに向かっていたことだけ。ネットで「パソコン ひじ痛」と検索したら、これは上腕骨外側上顆炎?であるらしい。たしかに痛むのはそのあたり。通称「テニス肘」。この日の9日午前に整形外科に行くつもりだった。鎮痛剤が効いて痛みがやわらいでいた。それなら一日待とう。10日になると痛みは残っているものの、当初ほどの痛みはなくなった。いま、11日午後3時半、痛みはなくなっている。結局は病院に行っていない。

パソコンのキーをたたいて、ふだんよりは熱心に書いたぐらいで炎症を起こすとは、なんとも情けない。このところこんなことばかりがつづく。老いとともにますますこの手のことが起きてくるんだろうと覚悟している。この話をすると皆さん笑う。上腕骨外側上顆炎を起こすほどたいへんだったんだと同情してくれてもいいのに。

7月11日朝、キュウリの収穫はいまが盛り

キュウリの収穫が盛りを迎えている。連日の雨で野菜は軒並みよくない。トマトもナスもピーマンも。この10日ほどでがらり様子が変わった。キュウリだけは雨でも生育がよく、毎日菜園に行かないといけない。一日でもさぼると、大きく生育してしまい捨てるしかなくなるからだ。

キュウリは支柱を立てネットで育てているものはその生育状態を見やすいのだが、地這いで育てているものは、葉に隠れてかなりの数を取りそこなう。つぎつぎとウリのような大きなサイズのものがごろごろでてくる。

いま朝と晩にキュウリを食べている。食べないと追い付かない。冷蔵庫の量は増える一方で、古いものから順に捨てている。

このブログでなんどもこう書いてきた。キュウリは一日に2,3本コンスタントにとれるのがベスト、苗は1,2本植えればよく、衰えれば次の苗が取ってかわって実をつけ、収穫が途切れないようにしたい、と。今年もそう書いた。でもやっぱりことしもできなかった。つい多くの苗を一度に植えつけてしまう。

キュウリは盛りを過ぎると急速に実なりが悪くなる。この雨続きで、キュウリだけはほかに比べて元気がいいとはいえ、衰えてきたなとわかる。

次の苗を用意していない。知り合いの農家が8月、9月どりキュウリのタネをまいたというから、2株ほどいただくことにしよう。


      
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7月6日、ブッラクベリーでジャムづくり、ラズベリーをミックスして

2021-07-09 | ジャム

ブッラクベリーを主にし、ラズベリーが少し入るミックスジャム
2200グラムから250mlのジャム瓶に3本取れた

<わたくしの好きなジャムズづくり

きのうまで4回にわたって【貸し農園トラブル】浅川宝重の悪行顛末を書いてきた。もうすぐ後期高齢者になるというのに、こんな事件に巻き込まれてしまった。10年前ならさっさと片づけることができたであろうに、寄る年波に体力気力ともに急速に下降していくのを実感し、かなり消耗した。

これからはいつものブログに戻る。

7月6日にブラックベリージャムを作った。250mlのジャム瓶に3本取れた。

一番好きなラズベリージャムを作った6月20日から、つぎはブッラクベリーを摘みとり始める。収穫時期は幸いに?ずれる。

両者とも苗を植えつけて栽培している。植えつける時期は11月以降が適期だそうだが、ラズベリーが2年前の梅雨時期、ブラックベリーは1年前の梅雨時期に、だめもとで乾燥させないよう注意してやってみたら根付いた。有機肥料をかなりあげた。驚くほどの生育ぶりであった。



ブッラクベリーは、ことし2年目に花が咲いた。実をつけるだろうから収穫ができる。とはいえ量は少ないだろうとみていた。それがほどほどにとれた。ラズベリーと同じく毎日とれる量は少ないものの、そのたびに冷凍貯蔵してきた。

冷凍庫のすき間に無理やり入れてきたが、それも限界だ。量ってみると1500グラムある。それにラズベリーもジャムづくりを終えてからも、つぎつぎと実がなるのでこれもまめに摘んできたものが500グラムあった。合わせると2200グラム。これだけれあればいいか。

今回はブラックベリーに、このラズベリーを加えてのミックスジャムになる。経験というものは驚くもので、材料の量を見ただけで、250mlのジャム瓶を何本用意すればいいのかほぼわかるようになっている。

ラズベリーとブッラクベリのジャムは昨年から始めた。材料の量に比べてジャムが思ったよりも量が取れない。予想が外れる、まだ経験値が足りない。

なぜか。ラズベリーもブッラクベリーもジャムにするにはタネをとる。濾し器で濾すのだが、タネとカスの量が意外と多いのである。

今回もこの量なら250mlの瓶で5本ほどは取れると踏んだ。だが結果は3本ほど。それだけタネとカスが多くその量は瓶2本分ぐらいだから、結果が3本になるのもうなづける。

つくり方はラズベリーと同じ。前日に冷凍庫から出して解凍。翌朝から作業開始。火にかけて実をやわらかくしてから濾し器で濾してタネを取り出す。

あとは煮詰めるだけ。いつものようにここからが真剣勝負。ジャムづくりを35年以上もやっているというのに、いまだに火を止めるタイミングに毎回悩む。ノータリンだというのはわっかてはいる。原因はそればかりではない。材料によって火を止めたときの状態と、冷めてからの状態が異なるからだ。

とくにブルーベリー、ラズベルー、ブッラクベリーは、いまだに手探り状態。ジャムはすべて朝食の食パンにぬって食べる。そのためやや軟らかく仕上がるように早めに火を止めている。

この3種に限っては、同じようにやると固くなってしまう。がっちり固まったジャムでは、食パンにぬるジャムとしては失敗作になる。

食物繊維の量が多いのはブラックベリー、ラズベリー、ブルーベリーの順になるという。そういわれれば、これまでの経験、といっても昨年のことでしかないのだが、ブッラクベリーは思っていた以上に固いジャムになってしまった。

ややゆるいジャムを作れるか。一発勝負だ。まだまだと逡巡して、なかなか火を止められない。煮詰めすぎたかと思っても後戻りはできない。

一日おいて試食。見た目はすばらしい出来だ。スプーンですくいとる。やっぱり少し固いか。落胆しつつ食パンにぬると、なんと程よくやわらかく滑るようにぬれる。不安が喜びにかわる。まぐれか。うまくできたようだ。

6月のジャムづくりはこれでおしまい。梅ジャム、ラズベリージャム、また梅ジャム、そして今回のブッラクベリージャムとつづいた。これらを冷凍庫で保存しながら毎日食べる。ことしいっぱい食べるだけの量はある。

ジャムは、野菜と同じく、どちらかといえば食べるよりも作るほうが楽しい。それをやると冷凍庫がパンクする。この冬までしばらくお休みだ。


      
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【貸し農園トラブルⅠ】(その4)我孫子市久寺家2丁目・浅川宝重の悪行顛末記ーじつは通路を占拠する前歴があり悪癖となっている 裏の顔はもう消せない 厄介者は恥じて退去してほしい

2021-07-08 | 菜園トラブル

<3回からつづく

貸し農園の通路を封鎖占拠し、はては誹謗中傷をしている、我孫子市久寺家2-6-14に住む浅川宝重、年齢70数歳の話を続ける。
顛末記の4回目。

解決したとは思っていない。一応落着したといった感じでいる。このコロナ禍だというのに振り回された。いまだに怒りが収まらない。とくに中傷は許せない(その3参照)。

じつはこの老人には“前歴”がある。いまの農地のほかに、わたくしと同じく別の地主の農地を借りている。ここでも通路の占拠をしている。通路を挟んだ農地が空くとそこを借り、通路を占拠して両方の農地を統合してしまう。だから通路は寸断されたままだ。いまも2,3本が寸断されている。

盗み癖と同じく悪癖となっている。それを見てきたので、いま問題を起こしてる農地でもやるなと見ていたら、やっぱりやった。これは注意するしかなかった。

畑ではすでに「厄介者」であったし、今回もやはり厄介者であり続けた。近所の皆さんも「近所で評判がいい」と自慢して歩くこの老人の別の顔、その正体をまもなく知ることだろう。

こんごの注目は老人の去就である。ルールを無視しての封鎖と占拠、注意されてもかたくなに反抗を続けた。しょせんは悪あがきでしかなかった。きちんと社会的訓練を受けたひとなら責任を取って、この農地から去るだろう。わたくしもそれを願う。

だがこの老人は居座り続けるのではないかと。なぜなら厚顔無恥だからだ。農家の人も、無恥だからこそ悪事を働いたことになる。そんな老人が大いに恥じてここから去っていくとは思われないという。

今回の事件を機に、地域社会でも近所でも農地でも、悪事が知れ渡る。裏の顔を見せたというよりもそれが本来の顔だ。本性を見せてしまったといっていい。それも70数歳の老人がである。悔やんでも悔やみきれない行為だ。晩節を汚してしまったのだから。どのツラ下げて生きているんだと言われてしまう。わたくしが当事者なら世間に顔向けができないでうつうつとした余生を送らざるを得ない。

世間といえば、わたくしの知るところでは、この老人はつぎの3つの団体?に関係している。
1,我孫子市のまちづくり協議会の10ある拠点のうちのひとつ、「久寺家地区まちづくり協議会」の構成メンバー。
2,我孫子市久寺家1丁目の我孫子市NPO法人ー障がい者施設みんなの風ーの畑の一部に関係。
3,久寺家地区のゴルフ親睦会・KG会のメンバー。

とくに1。我孫子市のHPを見るとまちづくり協議会の目的にこうあるーまちづくり協議会は、地域住民の相互の親睦・交流を深め、地域の環境をよくすることを協議し、自主的なコミュニティ活動を通して、「まちづくり」をすすめますー。

この老人は目的に反し、逆に地域住民の相互の親睦・交流を阻害しているとしか思えない。今回の事件を知ればだれもがそう思うだろう。なんとも皮肉な話だ。

我孫子市に電話して尋ねた。「構成メンバーに不適切な方がいましたら、我孫子市も、久寺家家まちづくり協議会会長も相談に応じます」という返事だった。

いずれにおいても、責任を取って身を引くのがいちばんだろう。ことが大きくならないうち、といってもすでにことは大きくなってしまってはいる。少し落ち着いたら我孫子市の担当者に相談する。この顛末記が参考になるだろうし、地主が証言してくれるだろう。

顛末記はこれが最終回。事件に対応し、その顛末を書いてきた。地主の裁定で、8月からの農地はこれまでとはちょっとばかりちがう風景になる。全面退去を求めているわたくしからすれば、これ以上煩わせることなく去ってほしい。切に願って筆を擱く。(完)

番外編に続く>


      
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【貸し農園トラブルⅠ】(その3)我孫子市久寺家2丁目・浅川宝重の悪行顛末記ー地主の登場であれほどの強気がまたたく間に腰砕け白旗、強気は悪あがきでしかなった、破れかぶれで誹謗中傷に及んだ、これは許さない

2021-07-07 | 菜園トラブル

<2回目からつづく
貸し農園の通路を封鎖占拠し、誹謗中傷をしている、我孫子市久寺家2-6-14に住む浅川宝重、年齢70数歳の老人の話を続ける。
顛末記の3回目。

この老人は占拠をやめないどころか、かなり強気で反抗と反発を繰り返す。そこで地主に相談することにした。

◆6月25日午前11時。その日の昼近く地主さん宅へ出向き、占拠に至る経緯を説明、現場を見てほしいと依頼した。27日午前10時に現地で会うことにした。

その旨をこの老人にメールした。わたくしの行動は律義にメールし、占拠をやめるよう求める。

◆6月26日午後。収穫のため菜園に行くとこの老人とばったり。
「占拠をやめないで続けている。この農地から退去してくれないか」
これを聞いて色をなした。この男(わたくしのこと)はそこまで求めてくるのかと驚いた表情だ。まだ自分のやっていることがわかっていないのかといいたくなる。地主さんの登場でさすがに自分の立場が危ないと感じ、かなり追い込まれてきた様子が見える。

その場でわたくしに向かってこう言い放った。
「近所で厄介者のようだね」
唐突だったが、わたくしへの誹謗中傷とわかった。3度ほど同じ言葉を口にする。この老人の占拠事件とは無関係のことを言い出してきた。かなりイライラしている。追い込まれてきてどうにもならないといった様子だ。別れ際にも「近所で厄介者のようだね」とおなじ捨て台詞を吐いた。さすがにこれには我慢がならなった。だが周囲には同じ家庭菜園の仲間がいる。大きな声は出せない。

この時だと思う。この老人は許せないと。この老人の性根の汚らしさといやらしさ、追い込まれてくるとなりふり構わずここまでやる。

どこかで聞いた「倍返し」をしようか。わたくしのような老人が使う言葉ではないがやらざるを得ない。つぎはこの老人がほんとうに「近所での厄介者になる」番だ。近所の皆さんはよもやこの老人が通路を占拠し、それをやめないでいることは知らない。自称外面のよさの裏の顔を伝えて周知する。だれもが嫌悪するだろう。この連載が終わりしだい準備だ。

◆6月27日午前10時。地主に現場を見てもらう。
地主は、すでにわたくしが相談に行った25日午後に現場を見ているという。
地主の話によると、25日にわたくしが地主宅をあとにすると、すぐにこの老人が地主宅に見えたそうだ。わたくしのメールを見て飛んできたようだ。地主の登場で、こりゃまずいと思い、弁解に駆け付けたようだ。地主から占拠は困る、すぐにやめるようにいわれた。

そこで、なんとなんと「8月には占拠をやめる」といったそうだ。25日午前8時には、屁理屈を並べ正当性を訴え(2回目の顛末記参照)、「絶対に占拠はやめない」「思い通りにはさせない」とかなり興奮して叫んでいたばかりではないのか。なんだこの変わり身の早さは。毎度毎度あきれることばかり。

この老人は25日の時点ですでに白旗を上げていたのである。これでわかった。26日にわたくしへ誹謗中傷するに及んだことが。もう破れかぶれだったのである。

◆6月27日夕方、地主がわが家にきて解決の方針を示す。
1週間後の7月4日の裁定とほぼ同じものだ。これでわたくしは了承した。

このあと、地主はこの老人と会い、この解決案をのませたというわけである。

◆7月4日。地主の裁定が出た(顛末記その1参照)。

この老人はなにか勝算があって、ここまで「思い通りにはさせない」と強気の発言を繰り返してきたのか。このままずっと占拠を続けることができると思っていたのか。地主がでてきて「占拠はアウト」と言われない自信でも持っていたのか。

結果は悪あがきでしかなった。こんな老人をまともに相手したことが、なんとも悔やまれる。「バカは相手にしない。相手にするとつけあがる」。その通りの老人だった。でも占拠状態を放置できない。だれかがやらなければならない。


3回目はここまで。連載は4回で終わらせる予定でいる。貸し農園トラブルで困っているかたが多いのか、15年やっているこのブログで、訪問者数は過去3番目?に多かった。あの中傷はいまも許せない。やっぱり次の段階に入る。

その4に続く>


      
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