30坪+20坪の菜園

BIG FARMの農事日誌です。

葉ショウガの香りは心まで

2011-08-31 | ショウガ

かみさんの山仲間が奥多摩で遭難して死亡した。私と同じ歳で、単独行が好きで、かなり山をやっているベテランだと、ふだんから聞いていた女性だ。直接お会いしたことはない。しーんとした気持ちになった。さぞかし無念だったろうなと思う。冥福を祈るばかりだ。山は高い山であれ低い山であれ、一般ルートであれバリエーションルートであれ、一歩間違えば奈落の底だ。危険を承知で歩いている。それをつい忘れる。わが身を振り返ると、ひと気のない山道を一人歩いているとき、ここから滑落したらまず永遠に見つからないだろうなという道ばかりだ。常に集中力を強いられる。それが途切れた時、つまずいたり、バランスを崩して、けがをするのを経験で知っている。そうわかっていても集中力は途切れる。

この8月の北アルプスの山旅の疲れがやっととれたところだ。まだまだ歩けるなと少しばかり自信を持ったにしても、この年になると体は正直で回復には時間がかかった。年を取ると現実はきびしい。私も山歩きは単独行が一番だと思う。それを続けたいと思う。臆病者だから人一倍注意し、人になんといわれようと慎重に対処してきた。これまではうまくきた。しかし、年齢による体力の衰えが、時々刻々、これから先、そうは簡単にはさせないくれないなと自覚させられる。

こんなこと考えながら、ウオーキングをして、帰りに畑に寄ってぼんやりと眺めていたら、ショウガの存在に気がついた。種ショウガを植えつけてから、一度だけ土寄せをしたくらいで、まったくほったらかしにしていた。そうだ、ひとつ掘り出してみようと引き抜いた。抜いたその瞬間、葉ショウガのさわやかない香りが鼻をくすぐった。鼻ばかりでなく、落ち込んだ気分までもこの時ばかりはフレッシュにさせてくれた。


 

      


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夏の終わりのカボチャ

2011-08-30 | カボチャ

カボチャが残り少なくなってきた。雑草の生い茂る中に、ひとつぽつんと残っていた。まだまだあるはずだと茂みをかきわけて探したらあと2つ見つけた。これで今年はおしまいだ。

今年は品種を替えてみた。タネを買って2株ほど育てて植えつけた。2株ならタネから育てないで、苗を買ったほうがいいのだが、やはりタネから育てたほうが楽しい。

今年は不作であった。いつもの年ならたった2株だけでも、食べきれないほどできて無駄にしてしまうほどなのだが、今年は出来が悪い。なにが原因なのかさっぱりかわからない。

いつもは豊作でもてあますのに、今年は残りが少ないのでありがたくいただいている。

カボチャがそうであるように、この時期になると夏野菜が次々と姿を消していく。カボチャの影に夏の終わりのさみしさを見た、なんていいたいのだが、ただの影じゃないのといわれてしまいそうだ。


           

 


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ようやく1本立ちさせたニンジン

2011-08-29 | ニンジン

秋冬野菜のトップを切って7月8日にタネをまいたニンジン。1本立ちさせるため、間をおいて徐々に間引きしてきた。ようやくその作業が終わり、あとは根が太るのを待つだけとなった。

ニンジン栽培のポイントは、発芽と間引きにある。発芽させるのは酷暑が続いただけに、ことしはいつもより手間取った。せっかく芽が出たのに強い日差しでやられてしまったものが少なくなかった。しょうがないなと一部はタネをまき直した。どうにか黒マルチの穴から芽が出そろったときはほっとしたものだ。ここまで手がかかったのも久しぶりのことだが、ニンジンは毎回やってもなにかしら苦労する。

次は間引きである。腰を落としての単純作業だ。1回では終わらない。3回ぐらい間をおいて繰り返しやらなければならない。どれを残すか一瞬にして決めていく。最終的に1本残すのだから、こればかりは無情にやらなければならない。しかし、2本が残り、優劣つけがたいときは、さてどちらを残すかと迷うときがある。

もちろんなかには生育が遅れているものがある。すべて1本立ちさせることができたわけではないがほぼ終了である。せっかくここまで育ててきても、よく観察するとアゲハの幼虫がむしゃくしゃ葉を食べている。ニンジンの葉が大好物のようだ。見つけしだい駆除しなければならない。

秋冬野菜は、ここまででニンジン、キャベツ、ブロッコリー、ハクサイときた。これからダイコン、タマネギのタネまきと続く。葉物のタネまきは9月の中旬以降になる。すっかり畑もわたしも秋冬野菜モードになってきた。


  

  


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モンシロチョウとの戦い覚悟でブロッコリーとキャベツの定植

2011-08-28 | ブロッコリー

8月26日にブロッコリーとキャベツを定植をした。7月16日に直まきしたもので、虫に食べられないように寒冷紗をすっぽりとかぶせていたのだが、それでもあちこち食べられている。

タネをまいてから1カ月以上がたった。苗が大きくなった。もっと早く移植してやればいいのだが、この暑さではなかなか畑仕事の意欲がわかない。さぼってばかりいると、ますます苗が大きくなってしまう。

ウネを用意した。できるだけ根周りの土を落とさなようにそっと掘り起こして、植えつける。この時期だから、植えつける穴に水をたっぷりとできれば与えたほうがいい。

植えつけたらまた寒冷紗をかぶせてあげる。両者の葉はモンシロチョウの幼虫が大好きなもの。これから秋にかけて、わんさとモンシロチョウが押し寄せ、卵をうみつけ、そこから幼虫が出てくる。この幼虫が葉を食い荒らす。寒冷紗をかぶせないで、かつ幼虫を退治しないと、収穫はないものと覚悟したほうがいい。

昨年はモンシロチョウの幼虫との戦いに疲れ果て、いつも7月にタネをまくところ、ためしに8月にもタネをまいた。8月にタネをまいたほうは、年内どりができるかどうかの瀬戸際だが、いくぶん幼虫に悩まされないで済んだ。

そこで今年はモンシロチョウの幼虫による被害を少なくするため7月まきはやめて8月まきだけにしようかと思いながらも、つい7月にまいてしまった。やはりことしも戦いが待っている。うーん。

7月まきの苗で十分な本数になった。8月まきは必要ないほどだが、どうするかいま迷っている。でも少しだけでもタネをまいておくか。

■ブロッコリーの苗


■キャベツの苗



■モンシロチョウが侵入しないように寒冷紗ですっぽりと覆う。


  

  


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ハクサイをみればわかる腕のほど

2011-08-26 | ハクサイ

8月21日にハクサイのタネをまいた。ハクサイのタネまき時期は大切で、これを逃すとまっとうなハクサイができなくなる。ハクサイの栽培は長年やってもなかなかむずかしい。それだけに腕の見せ所でもある。菜園を見て立派なハクサイができているのなら、そこの持ち主の腕はたしかだと見ていい。たいがいは出来そこないが多いはずだ。

失敗の多くは葉が巻かないままになっていることだ。これでは失敗作である。いかに葉を巻かせるかがハクサイ栽培の要諦だ、なんて言ってはいるが、私だって長年やっていても、失敗することが多々あるから、ハクサイづくりはむずかしいと感じる。

山歩きから戻って、すぐにハクサイのタネをポットにまいた。直まきはやらない。虫に食べられてしまい、苗が思うように育たない。家庭菜園だから、わたしのところではせいぜい25個ぐらい作れば間に合う。農家のように大量に作るなら別だが、少量ならポットで苗をきちんと育ててから定植したほうが、その後の生育がうまく行くからだ。

夫婦2人の食卓で、少ないといいながら冬の間に25個のハクサイは多いはずだ。というのもわけがある。私がハクサイの「お香香」が大好きだから、なくてならない野菜となっている。それだけにまっとうなハクサイを作らなければならない。

タネをまいて2日後に一斉に芽が出た。これからハクサイは目が離せない。手が抜けない。これを定植し、間引き、そして最後に一本立ちさせ、さらに葉が巻くのを見届けるまでは。


           

 


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2011北アルプス(5)ー薬師岳山荘から太郎兵衛平を経て折立へ

2011-08-25 | 登山


薬師岳山荘から太郎兵衛平を経て折立へ

 
さすが夏の北アルプスだ、下山しながら太郎兵衛平への道を仰ぐと登山者の列が続いている

←4日目から続く

8月18日 薬師岳山荘7:45-8:35薬師峠8:45-9:10太郎平小屋-12:10折立12:30=亀谷温泉(白樺ハイツ)=有峰口=富山駅22:50(夜行バス)

5日目は最終日。折立に下山する。薬師岳にはきのうのうちに登っている。富山発22時50分のバス夜行便を予約してあるので、折立からのバス最終便の15時10分に間に合うように下山すればいい。

きょうは朝飯を食べてから連日のようにあわただしく小屋を出発することもなく、部屋でのんびりしている。ほとんどの人はすでに早出した。残っているのは、私と同じく折立に下山するだけの人たちだ。やはり外はガスだ。きょうとあすは天気が悪いという。

小屋の壁に「窓からの展望」の写生図があった。これを見ながらここからの展望を想像していた。



連日の疲れで、だれもいなくなった部屋で大の字になって横になっている。こんな時間まで山小屋にいるなんて初めてのことだ。新しい小屋だけに気分良く過ごせる。しかし、ゆっくりできない性分なのか、どうも落ち着かない。ぼんやりしていればいいのだが、それができない。やっぱり下山するかと、準備をして7時45分に小屋を出た。どんなにゆっくり歩いても早く着いてしまうのに。

道々、チングルマの群生地が続く。すでに花は終わっている。



富山駅に着いたら銭湯「観音湯」で汗を流
すつもりだ。しかし、太郎兵衛平への道を歩きながら、ふと思い出した。そんなに時間があるのなら「亀谷温泉」に寄ればいいのではと。なんでこんなことがいままで思い浮かばなかったのだ。自分でもあきれる。亀谷温泉は以前帰りに寄ったことがある。いまからなら最終便の前のバス、12時30分に間に合うはずだ。太郎平小屋で尋ねた。「バスは亀谷温泉に寄るのか」「運転手にその旨伝えると温泉で止めてくれる」。亀谷温泉で汗を流して、最終のバス便に乗ればいい。ついでに太郎平小屋の人はさらに亀谷温泉の「 白樺ハイツ」なら、有峰口駅まで車で送ってくれるという。これは貴重な情報だった。

これですべて整った。すなわち、折立発12時30分のバスに乗り、亀谷温泉で下車。「白樺ハイツ」の日帰りの湯に入りる。そこでゆっくりして有峰口駅まで送ってもらう。これなら最終便のバスにあわせることなく温泉に入っていられる。なにしろ富山発の夜行便が22時50分なのだから時間は余るほどある。温泉でゆっくりできるなんてありがたいことだ。

太郎平小屋に着いたのが9時10分。ここから折立まではおよそ3時間かかる。バスの時間は12時30分だから、ゆっくりはできないが、間に合うはずだ。それっとばかりに下山開始。

今日明日と天気が悪いのに続々と登ってくる。25人の団体とも会った。下山しているときに細い道でこんな団体とあったら困ってしまう。いくら登り優先だからといって、25人もが通過するのをじっと待ってはいられない。下山しているときに、こんな団体と出会ったときは「単独だから先に通してくれ」といって、団体には待ってもらう。25人もの団体でどうして歩く必要があるのだろう。わたしからすれば正気の沙汰ではない。混雑する夏の北アルプスでは、ほかの登山者に迷惑をかけるばかりだ。団体はせめて5、6人ぐらいが上限だろうなと思う。
 



それにしても次々と登ってくる。感心するほどだ。太郎兵衛平への道は遠くまで見通せる。高みを目指している人が小さく見える。



折立まで3時間というが、ゆっくり歩いていてはこの時間内には着かない。急いだせいかヒザが痛くなってきた。最後の1時間がつらかった。それでも3時間ジャストで折立についた。時間は12時10分。バスの発車まで20分ほどある。バス停の先に駐車場がある。満杯らしく、はみ出して路上駐車をしているのもあるくらいだ。

バスは7,8人を乗せて出発した。これで北アルプスともお別れである。家を出るときは腰痛などもあって不安であったが、山に入ると日に日に元気になり、計画通りに歩き通すことができた。車窓の景色を眺めながら充実した気持ちであった。沿道は穂が出たススキ野が広がり、すっかり秋の気配だ。

富山駅前発の夜行バスの発車までには十分な時間がある。亀谷温泉「白樺ハイツ」でゆっくり風呂につかった。露天風呂は地元の人で占領されていた。勇気を奮って参戦した。おかげで楽しませてもらった。長話になり長い風呂になった。宿のマイクロバスで有峰口駅まで送ってもらい、富山地鉄で富山駅へ着いた。とたんに激しい雷雨に見舞われた。これでは街中に出られない。しばし駅ビル内で時間をつぶす。

夜行バスにしたのは、富山の夜を久しぶりに楽しみたかったからである。久しぶりだけに夜の街は右も左もわからない。飲兵衛の勘で飲み屋を探す。しかし入った飲み屋は2軒とも気に入らなかった。飲兵衛の勘も錆びたもんだ。それでもアルコールのおかげで池袋まで熟睡できた。夜行バスでここまで眠れたのははじめてなのではないか。朝が明けた池袋駅。残暑が肌にまつわりついてきた。こうして日常に戻った。

早いもので18日に下山してからちょうど1週間がたった。歩いた山々を思い浮かべなら、いつのように拙速ながら報告を書き終えた。


第1日:新穂高温泉から笠新道を経て笠ケ岳へ  

    


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2011北アルプス(4)ー黒部五郎岳・北ノ俣岳を経て薬師岳へ

2011-08-24 | 登山


黒部五郎岳・北ノ俣岳を経て薬師岳へ

 
4日目にしてとうとう風雨の中の稜線歩き。晴れ男も顔色なし。雨に雨合羽を着たのは久しぶりだ

←3日目から続く

8月17日 黒部五郎小舎5:05-7:15黒部五郎岳7:25-9:35赤木岳-10:25北ノ俣岳-11:50太郎平小屋12:30-14:30薬師岳山荘15:00-15:35薬師岳15:45-16:10薬師岳山荘(泊)

4日目になったがここまで順調に計画を消化してきた。疲労がたまってきているのだが体調はいい。今日も長丁場になる。黒部五郎小舎から黒部五郎岳、北ノ俣岳を経て太郎兵衛平に出て薬師岳山荘まで行く。薬師岳山荘は昨年建て替えたばかりの新しい小屋だけに、話の種に泊まりたい。そこから薬師岳へは時間を見計らって判断するつもりだ。

黒部五郎小舎の朝食は4時半からだ。早出の私にはありがたい。カールを行くコースを取る。ガスの中だ。景色のいいカール地形もまったく見ることなく、ただ登ることに専念せざるを得ない。  



コースは、ガスの中でも、あちこちに白いペンキでマーキングがあるのでまず間違うことはないだろう。



黒部五郎小舎から頂上まで2時間半。4日目となって疲労がたまっているはずだが、それほどの苦労もなく「肩」まで着いた。そこから頂上まで15分ぐらい歩く。ガスが一瞬はれた。あっ、頂上だ。カメラを取り出すが、ガスに隠れてしまうその前に、なんとか撮ることができた。今回の山行で
黒部五郎岳を見たのは、きのうの三俣蓮華岳の山頂からの一回きりだ。これで我慢するほかないようだ。



黒部五郎岳の頂上。やはりガスの中。もちろん展望はなし。写真を撮ってもらうにも人がいない。



三角点。



もしかしたらガスがはれるのではないかと、後ろ髪をひかれる思いで、振り返りながら下山するものの、やっぱりガスの中だ。

「肩」から太郎兵衛平への道を取る。一気に下る。こんなに下ってしまうのかと思うほど、どんどん下る。この反動が大変だ。下る道は楽なのだが、また登りになるから、ホントはありがたくないのだ。

赤木岳。この手前から雨が降ってきた。あわてて雨具を身につける。晴れ男、であると思っている。雨合羽はもっぱら防寒でばかり着ている。本来の雨対策に着るなんて何年ぶりになるのだろう。

赤木岳の頂上は巻く。「この付近雷鳥多い」と書いてある。



ホントに雷鳥が出てきた。ガスに加えて雨が本降りになってきた。雷鳥にカメラを向けるのだが、撮れたのかどうかわからない。ぼやけた写真だが、目を凝らしてみるとたしかに雷鳥が写っている。

北ノ俣岳に向けて風も雨も強くなってきた。こんな気象条件の中を歩くのは久しぶりだ。尾根が広いからルートを外さないように注意して歩く。メガネがガスと雨にぬれてくもり、どうにも歩きずらい。中俣乗越からは北ノ俣岳まで登りに転じた。天気が悪いせいか、北ノ俣岳までは長く感じられた。どうにか頂上。風が強く、雨は本降り状態だ。

北ノ俣岳を過ぎてしばらく行くと、ようやく雨と風がやみ、薄日が差してきた。雨の中を2時間ほど歩いてきただけに、ホッとした。 あと一時間ほどで太郎兵衛平だ。



振り返ると北ノ俣岳のガスがまもなく取れそうだ。

太郎平小屋が見えてきた。細い木道が延々と続いている。木道は苦手だ。滑らないようにと緊張するから疲れる。それにしても長い木道だ。

正午前に太郎平小屋に着いた。新しいトイレを建てている。太郎兵衛平は何年ぶりになるのだろうか。私の記憶にあるのと変わらないたたずまいだ。予定通りの時間に着いた。ここで大休止してから、薬師岳山荘まで行くことにした。ここからあと2時間ほどだ。



キャンプ場。ここの水をペットボトルに入れる。



薬師岳への道は、登り始めは沢沿いの急登だ。こたえた。やっぱり疲れがたまってきている。右手に薬師岳だ。姿を見せてくれよといいたくなる。



あえぎ、あえぎ、薬師岳への稜線にたどりついた。いくぶんなだらかになった。小屋まで15分の道標があった。



薬師岳山荘が見えてきた。太郎平小屋からぴったり2時間だ。疲れた疲れたといいながら、きちんと標準タイムできている。

建て替えてちょうど一年になるという新しい小屋だ。

さてどうするか。薬師岳に今日登るか、それとも明日の朝に登るか。予定では明日だ。ところが明日は天気が崩れるという。受付の管理人によると、この小屋から薬師の頂上までは往復で約1時間30分、どうも明日は天気が悪いから、今日のうちにというニアンスを感じる。迷った。時間は2時30分を過ぎたところだ。

とにかくザックを自分の部屋に持っていく。畳敷きの部屋だった。山小屋で畳敷きとは驚いた。一息ついて外に出てみる。ガスってはいるが、おだやかだ。今日のうちに行ってしまおうか。あわてて部屋に戻り、サブザックに水筒と雨具だけを入れて、小屋を飛び出した。



自分でも驚くほどのスピードだ。この時点でまだこんなに力が残っていたのかと自分でも不思議になるほど、ぐいぐいと高度かせぐ。それほどの歩きっぷりだ。年寄りよあわてるなと、自分言い聞かせる。

避難小屋が見えた。薬師岳は稜線が広いからガスで視界が悪いときは迷いやすい。避難小屋から頂上までは、稜線をたどるゆるやかな道になった。しかし頂上にはなかなか着かない。この道で大丈夫?



頂上がガスのなかに見えてきた。ここが頂上だ。小屋から頂上まで32分できてしまった。これがほんとのラストスパートか。頑張りすぎだよ。薬師の頂上を踏んだ。まずは薬師様に手を合わせた。



これで今回のコース上にあるピークー笠ケ岳、弓折岳、鷲羽岳、水晶岳、黒部五郎岳、北ノ俣岳、薬師岳をすべて踏んだ。思ったよりも順調にここまで来た。よく歩いたよなという感慨を持って記念写真。
 

  

どうもこれじゃ、いまの自分の喜びが表現できていないか。そこでちょっぴり恥ずかしいが喜びのポーズをしてみよう・・・



展望がないから頂上にいても仕方ない。10分ほどいて小屋に下りた。休憩を入れて1時間10分で往復できた。

薬師岳山荘は快適だった。何もかも新しい。寝具も新しい。気分がいい。夕飯は「とんかつ」だった。うまかった。昨晩のようにいびきに悩まされることなく最後の
小屋泊まりを楽しむことができた。ただ、おばちゃんたちのおしゃべりがうるさかった。下界の喧騒を山上に持ち込むなといいたいのだが、仲間内の山行となるとつい開放気分になることは分かっているから、あまりかたいことはいわないでおこう。明日は最終日。 

→5日目は薬師岳山荘から太郎兵衛平を経て折立へ  


第1日:新穂高温泉から笠新道を経て笠ケ岳へ  

   


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2011北アルプス(3)ー三俣山荘から水晶岳を経て黒部五郎小舎へ

2011-08-23 | 登山


三俣山荘から鷲羽岳・水晶岳・三俣蓮華岳を経て黒部五郎小舎へ

 
三俣蓮華岳から、歩いてきた鷲羽岳、ワリモ岳、水晶岳、そして黒部源流を眺める。感動ものだった。

←2日目から続く

8月16日 三俣山荘4:05-5:05鷲羽岳-6:05ワリモ北分岐6:15-6:50水晶岳分岐-7:30水晶岳7:45-9:10ワリモ北分岐-9:20岩苔乗越-黒部源流コース-11:20三俣山荘11:50-12:40三俣蓮華岳13:00-14:40黒部五郎小舎

3日目はこの山行のメーンイベントとなる水晶岳だ。予定では一番の長丁場になる。ザックは三俣山荘に置き、サブザックに最小限の装備を詰めて歩く。今夜の泊まりは黒部五郎小舎とした。そのため遅くも正午までには三俣山荘に戻ってきたい。

4時5分に三俣山荘を出て、まずは鷲羽岳を目指す。雨具の上下を着て、もちろん真っ暗だから夜が明けるまではヘッドランプの灯りをたよりに歩く。すぐに道は上りになった。岩と小石の道だ。ルートは明瞭だが暗闇だから道をはずさないように気をつける。はずしてしまうと暗闇だから修正がむずかしくなる。集中力を切らしてはいけないことを体が知っている。それでも道をはずすことがある。登ることに集中する。荷物が軽いだけに快調だ。しばらくして見上げると灯りが見える。先行者がいる。

4時45分ぐらいだろうか。だいぶ明るくなった。ヘッドランプは不要になった。臆病者の私は明るくなると安心する。頂上直下、朝焼けの中に槍ケ岳が見えた。真下には鷲羽池。日が出るまでにはまだ時間がある。



鷲羽岳の頂上はすぐそこだった。小屋から1時間ほどで着いた。荷物が軽いのはありがたい。これから晴れるのか、それともガスに包まれてしまうのか。先行者に写真を撮ってもらった。うーん、やはりガスが出てきた。槍ケ岳は見えなくなった。その間、5,6分だった。その時に居合わせて幸いだった。下を見ると次々と6,7人が登ってくる。この人たちは4時20分に小屋を出発したという。彼らが山頂に着いたときは残念ながら槍は姿を消していた。

ご来光はガスの中で鈍く小さく光り輝いていた。展望がないので長居は無用だ。朝食の弁当をここで食べようと思っていたのだが、後にしてワリモ岳を目指そう。

ワリモ岳頂上分岐のすぐ手前にロープがあった。左が切れ落ちている個所だ。 



ワリモ岳はパス。



次の道標はワリモ北分岐。ここは岩苔乗越への分岐になる。雲の平や高天原方面に向かう人はここに荷物を置いて、水晶岳をピストンしてくる人が多い。私はサブザックだからそのまま水晶岳へ向かう。

徐々に水晶岳への登りになる。斜面にはジャコウソウが多く見られた。 



水晶小屋。ここから水晶岳への道となる。

水晶岳の上部は岩場だというから気を引き締めていこう。しばらくは平たんな道が続く。いよいよ頂上への登りになった。まずはハシゴが出てきた。左が切れ落ちた岩場の道が続く。私は高所恐怖症だから、岩場になると慎重になる。岩場をするすると登って行く人を見るとうらやましくなる。一方で、そんな人は進化していない人なんだなと思うことにしている。人類は地上に降りて生活するようになってからは高いところが怖くなったはずだ。だから高所恐怖症の人はきちんと進化している人類なんだーなんていってはいるが、ホントは私だって怖いもの知らずにするすると岩場を行きたいよ。

傾斜がきつくなると岩が重なる向こうの頂上らしきものが見えてきた。頂上標柱か。たぶんそうだろう。そうだった。

岩を乗り越えて頂上だ。予定よりも早い時間に着いた。水晶岳への道は思っていたほどむずかしくはなかった。わたしでも、こんなものかなと思ったほどだから99%の人は問題なく行ける。一番期待していたのが水晶岳からの展望だった。水晶岳は北アルプスの中でも展望は抜群と聞いていただけに、このガスだ。なんともにくたらしい。せっかく水晶岳から見える山々の展望図を用意していたのに用なしとなった。写真を撮ってもらうにもほかに人はいない。下山を始めたとき運よく人がやってきた。標柱まで戻って撮ってもらった。



このガスで、相当がっかりしていたのだが、この写真を見ると満足げであるように見える。一昨年の失敗があったからこれでほっとしたのか、それとも苦笑いなのか。



さあ下山だ。ひと気がなかったが、また登山者が続くようになった。



ワリモ北分岐に戻る。さきほどよりデポしてあるザックが多くなっていた。
 



ワリモ北分岐からはすぐに岩苔乗越になる。ここは高天原に行く人、祖父岳を経由して雲ノ平に行く人、黒部源流を経て三俣山荘に行く人、水晶方面に行く人がまじわる。

私には思い出がある。この山域をはじめて歩いたのはもう何十年前になるのだが、しっかりと覚えているのは祖父岳を登ったことだ。若い時分だったらから「祖父」という名前の山に登るのも一興かなと思ってのことだった。それがいつの間に私が現実の「ジジイ」になっていた。祖父岳再訪も考えていたのだが、シャレにならないとやめた。

ここから黒部源流沿いに下りて、三俣山荘に戻る。

この黒部源流沿いの道はお花畑がすばらしい。さきほどまでガスの中だったが、しだいに明るくなってきた。天気が回復してきたようだ。



三俣蓮華岳もガスを払って姿を見せた。



黒部川水源地標。私の記憶では水辺のすぐわきにあったと覚えているのだが・・・。記憶は頼りないものだ。



ここから三俣山荘までは登りになる。雲ノ平へ登っていく人が多く見える。

登るにつれて水晶岳が見えてきた。鷲羽岳から水晶岳までの縦走がずっとガスの中だっただけに、いま歩いてきた山々が姿をあらわしてくれたから、うれしいといったらない。行程をなぞりながら、それにしてもよくここまで歩いてきたもんだ。

三俣山荘に戻った。予定より40分早く着いた。これで予定通り黒部五郎小舎に向けて出発できる。ザックを回収した。また荷が重くなった。

黒部五郎小舎への道は、三俣山荘からの巻道があるのだが、三俣蓮華岳を経由していくことにした。この選択は大当たりであった。なにが大当たりかはすぐにわかる。
 

三俣蓮華岳の山頂に着いてほんのしばらくたつと、急にガスがはれてきた。あれよあれよという間にガスがはらわれ周囲の山並みがこれでもかと次々と見えてきた。すっきりと晴れわたったのは初日ぐらいなものだから不満がくすぶり、それをふっ飛ばしてくれるほどのいい天気になった。いやあ感動した。興奮した。 それにしても頂上に着いたら晴れるというこの運のよさ。これにも感心してしまう。

 

今日歩いてきた山々がはっきりと見える。水晶岳は周囲の山々に比べて黒い。黒岳といわれるゆえんだ。赤牛岳も見える。こうして眺めていると、水晶岳が中尊で、鷲羽岳が左脇侍、赤牛岳が右脇侍のように見える。


赤牛岳がしだいに姿を見せてきた。いいぞ。いいぞ。



鷲羽岳とワリモ岳の間に裏銀座の山々が見える。



目を東へ転じると、表銀座の山々が一直線に並んでいる。

おっ、薬師岳も姿を現した。

その薬師をアップで撮る。さすがに圧倒的な安定感と重量感だ。



明日に登る黒部五郎岳は頂上部がガスだ。全容を見たいのだが、ガスははれなかった。



すっかりこの景色に見とれてしまった。山をやっているからこその贅沢な時間だ。しかし時間オーバーだ。それでも立ち去り難い。少しずつ黒部五郎分岐の標識のほうへ移動する。思いを断ち切るように黒部五郎への道へ踏み出す。

変化する景色。



しだいに高度を下げていくと、祖父岳がせり上がってくる。



雲ノ平も指呼の間だ。
 

黒部五郎岳の全容が見られるかな…。

黒部五郎小舎へは石が積み重なった道を下っていく。歩きにくいったらない。長丁場の今日のゴールはもうすぐなのだが、さすがに足が痛くなった。眼下に黒部五郎小舎が見えてからも足が重くて、なかなかつかない。

やっとゴールの小屋だ。今日のコースは長い。予定通りに歩けるのかと心配していた。しかし予定よりもだいぶ早く着いた。胸をなでおろした。やるもんだ。日を追うごとに距離が延びるのだが、それでも故障なく歩き通している。

すぐに乾燥室に行って着替える。テントだと湿った衣類を翌朝も着なければならない。今日も夕立があった。入山してから毎日、夕立がある。3日連続だ。幸いにも私は雨にあわない。乾燥室は今日も衣類でいっぱいになった。

山小屋利用は3日目になった。すっかり慣れた。昨年の聖岳から光岳でも山小屋を利用した。快適だった。山小屋の快適さと便利さを知ってしまうと、テント縦走はできなくなってしまいそうだ。テント縦走には未練がある。重大な自分の問題だ。便利さを知ってしまうと、年をとっただけに、この味が忘れられなくなって、なんかやばい気がする。

これまで山小屋を避けてきた理由の一つに他人の「いびき」がある。いびきにめっぽう弱い。気になって眠れぬ夜を過ごしたことが過去に何度もあった。それならテントのほうがよほどましだと。小屋利用専門のかみさんに言わせると最近はいびきで困ることがなくなったという。いびきをかく人が少なくなったという。

私は小屋泊まりの時は必ず耳栓を持っていく。耳栓をしても爆音とも思えるいびきには効果がない。幸いにも、初日の笠ケ岳山荘、2日目の三俣山荘ではいびきの被害に遭うことはなかった。しかし3日の黒部五郎小舎ではとうとうひどい目に遭った。いびきは寝入ったときにかく人が多いのだが、止むことが多い。しかしこの夜は、一晩中爆音に悩まされた。部屋には20人ほどいたが、ひとりのいびきにみんなが迷惑した。

酒が入り赤ら顔、それに太っているこの人が同じ部屋だと知ったとき、「いびき」の不安が走った。いびきは、疲れているときに酒を飲むといっそうかきやすくなる。これは私の経験だ。案の定、寝てすぐに爆音が聞こえてきた。このままだと眠られぬ夜を過ごしそうだ。明日も長い距離を歩かなければならない。なんでこの人だけが高いびきで気持ちよさそうに寝ているのか。

いびきは暴力である。一方的にやられてはたまったものではない。解決の手段を見つけなければならない。枕元に行って体を揺らして起こして、「いびきがうるさい」というべきであろうか。いや、若い時にやっていたことをやろうと「決心」した。

私は相手のふとんに向かって枕を投げつけた。顔面を直撃しようがしまいが、投げつけたのである。それでも手加減した。すぐにいびきがやんだ。効果てきめんである。相手だって自分がいびきがひどいと日ごろいわれて百も承知だから事態を飲みこめるはずだ。さあ、いまのうちに眠ろう。睡眠不足がいちばんこたえる。しかしそう思えばますます目がさえてくる・・・。私自身がいびきがひどいとわかったら、どうするか。山をやめるわけにはいかないから、まずは病院で治療をうける。さらに当分はテントだろうな。どうしても小屋というなら、飲酒をやめ、一般の部屋ではなく管理人に理由を言って食堂などで寝るーということぐらいしか思いつかない。

 →4日目は黒部五郎小屋から黒部五郎岳、北ノ俣岳を経て薬師岳へ


第1日:新穂高温泉から笠新道を経て笠ケ岳へ  

  

   


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2011北アルプス(2)ー笠ケ岳から弓折岳を経て三俣山荘へ

2011-08-22 | 登山

第2
笠ケ岳から弓折岳を経て三俣山荘へ

 
笠ケ岳山荘から見る朝焼け。槍ケ岳あたりから日が昇る

←1日目から続く

8月15日 笠ケ岳山荘5:30-6:20笠新道分岐-7:25秩父平-9:05大ノマ乗越-9:40弓折岳-9:55弓折乗越-11:10双六小屋11:30-(巻道経由)-14:20三俣山荘(泊)

2日目は笠ケ岳山荘から弓折岳を経て、双六小屋を通り三俣山荘まで歩いた。縦走だから、アップダウンの繰り返しになる。
笠ケ山荘からはご来光を拝めた。きのうに続いてきょうも天気がいいのかなと期待したのだが、その後はガスに包まれた。ひたすら歩くだけだった。それじゃつまらないから高山植物の写真を撮りながら歩くことにした。これで気分が少しはまぎれる。そろそろ晴れ間が出て、山々を眺めたいと思っていたら、三俣蓮華岳分岐あたりまで来ると、視界が明るくなり、ガスがはれて明日に登る鷲羽岳、水晶岳が見えてきた。これはうれしかった。三俣山荘は3度目だが、前回泊まったのはもう10年以上前になる。まったく変わっていなかった。単独だといつも受付カウンターの後ろの部屋になる。

ご来光を拝もうと山荘前は朝からにぎやかだ。なかなか出てこない。やっと出てきたと思ったら、するすると昇ってしまう。シャッターチャンスは一瞬だった。遅れた。槍ケ岳から昇ってくるなんて、なんともにくい演出だ。

 



雲海に浮かぶ穂高連峰。



さあ、ゆっくりはしていられない。出発だ。きのう酷使した脚に違和感はない。安心した。出発時はこんなにいい天気だった。先を急ぎながら、笠ケ岳を振り返る。テント組も撤収に忙しそうだ。

 抜戸岩の間に見える笠を撮ろうとしたのだが・・・。うまくいかない。

きのうあれだけ苦労して登ってきたのだから、さっさと先を急いでしまうのはもったいないというか、未練がある。振り返り振り返り、笠の姿を焼き付けながら歩く。



きょうはすっきりと乗鞍岳が見えてきた。



そろそろ笠とはお別れだなと思ったら、不思議なものでガスが出てきて青空がしだいに消えた。帰りはほとんどんの人が笠新道を下山していく。笠新道分岐を過ぎたら、この先はめっきり人が少なくなった。もちろん大歓迎だ。



ガスの中を歩く。向こうからぬっと人が現れた。突然だったものだから驚いた。単独の若い女性だった。双六小屋を4時に出て、これから笠へ登ってから、笠新道を下山するのだという。それにしてもまだ暗闇の4時に小屋を出てひとり歩くなんて勇気あるなあと感心してしまう。

下を向いて歩くばかりでは飽きてくる。気晴らしに高山植物を撮ることにした。秩父平から弓折岳までお花畑が続く。なかなかのものだ。見慣れたものばかりだが種類は豊富で、ここに載せたのはほんの一部になる。

 

 

 

 

 

 

 

   

見ごろのキヌガサソウに出会った。立派なものである。

 

出発してから3時間半。大ノマ乗越に下り立った。ここから弓折岳への登りになる。なんか長い登りのようだ。 

登りながら振り返ると大ノマ岳。

弓折岳山頂手前から双六岳が見えてきた。すっきりしない天気だ。

 弓折岳の山頂。思いのほか早く着いた。近くに雪田がある。



直下からは雲間に遠く山が見えた。あっ、鷲羽岳だ。あすはこの山を経て水晶岳に登る。待っててくれよ。
 



弓折岳からすぐに弓折分岐。ここから鏡平山荘への道が分かれ、眼下に山荘が見えた。鏡平山荘といえば、一昨年のことが思い出される。ここからは急に登山者は増え、次々とやってくる。さすがにブランド力のある北アルプスだ。

感心したのはテントを担いだ単独が多いこと。テントはやはり若者が多いものの、中には私より年上と思える人が大きなザックをかついで重荷に耐える表情が垣間見える。頭が下がる。北アルプスには大型ザックが似合う。これは多分に私の思い入れだ。いま話題の山ガールも多く見かける。山ガールは友だち同士やカップルが多いが、単独も多く見かける。夏の北アルプスは女性の一人歩きが安心してできる。山ガールの服装はカラフルで明るく、楽しませてくれる。なにはともあれ、山へ若い人が来ることはとても喜ばしい。山には中高年よりも、若い人が似合う。これはまちがいない。私は大歓迎なものだから、うれしさのあまり、つい声をかけてしまう。「変なおじさん」と思われないように。



双六小屋が見えてきた。ずっと前後して歩いている、テントを担いだ若い単独行の彼もきのう笠新道を登ってきた。午前8時に登山口を出て、キャンプ場に着いたのは午後6時だったという。彼はこれから西鎌尾根から槍のキャンプ地を目指すのだが、時間が気になり行くかどうかどうするか迷っていた。昼飯を食って元気が出てきたと出発していった。私も彼の姿を見ながら双六岳を登って行った。

双六岳からは巻道を行くことにした。三俣山荘までのこの道は思いのほか長く感じた。

巻道をしばらく行くと、2人の「老女」が休んでいた。年齢はわからないが、白頭の私から見ても老女に見える年だ。そんな年で北アルプスを歩くなんてたいしたものだな、と感心しながら、抜いて先に進む。しばらくすると、「おとうさ~ん」と呼ぶ声が聞こえてきた。振り返るとさきほどの老女のようだ。まわりには私一人だ。私のことを呼んでいるのだろうか。いや違う。私もお父さんだが、見知らぬ人からお父さんと呼ばれるわけがない。たぶん俺じゃないだろう。それでも気になる。またしばらくすると「おとう~さん」との呼び声。どうも気になる。いっそ、私のことを呼んでいるのでしょうかと、声をかけようかとしたのだが、やはり私を呼んでいるわけがないと自分言い聞かせた。

三俣蓮華岳分岐近くになって、とても心配した様子で私に駆け寄ってきた「老人」がいた。「来る途中で2人の女性を見かけなかったか」という。確かにいましたよ。すると、やっと安心した様子になった。ようやくここで、「おとうさ~ん」の謎が解けた。双六小屋から老人は稜線コースを、老女2人はまき道をとった。ここ三俣蓮華岳分岐で合流しようと。老人が早く着いた。いくら待っても老女二人が来ない。心配して居ても立ってもいられなかったというわけである。すると、「おとう~さん」という声がした。老人は老女の姿を確認して、どちらもやっとホッとした表情が見られた。なんとも心温まるシーンだった。



三俣蓮華岳分岐あたりから、なんとなんと、ガスの中から、あした登る鷲羽岳、ワリモ岳、水晶岳が姿を現した。うれしいのだが、この日の行程の最後に姿を現すなんて、タイミングがよすぎて、できすぎじゃないのと苦笑いしながらも、夢中でその山並みを見つめていた。しかしこの眺めもしばらくしてガスの中に消えて行った。

 

眼下に三俣山荘が見えてきた。きのうといい、きょうといい、長い歩きだった。

ここでもすぐに着替えて汗臭い衣類はすべて乾燥室へ。さすがに北アルプスの小屋らしくサービスがいい。

きょうも夕立があった。雨に濡れた人たちが続々と小屋に飛び込んできた。受付は宿泊とテントの申し込み者で大混雑になった。乾燥室も衣類で満杯である。

明日はこの山行の目的である水晶岳だ。さらに長丁場になるから朝飯は弁当にしてもらい、午前4時に小屋を出ることにした。ザックはこの小屋に預け、サブザックで歩く。

→3日目は鷲羽岳、水晶岳、三俣蓮華岳を経て黒部五郎小舎へ


第1日:新穂高温泉から笠新道を経て笠ケ岳へ  


   


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2011北アルプス(1)ー新穂高温泉から笠新道を経て笠ケ岳へ

2011-08-21 | 登山

笠新道からの槍ヶ岳と穂高連峰の展望


夏山第2弾として、北アルプスの水晶岳を含む周辺の山々を5日間にわたって歩いてきた。今回はまだ頂を踏んでいない水晶岳が目的だ。一昨年にこの水晶岳を目指したが途中で体調が悪くなり撤退した。再挑戦である。

今回はすべて小屋泊まりにした。小屋はお盆のときは案外と空いていると聞いた。たしかに4泊ともふとん1枚にひとりで寝ることができた。

天気はあまり良くなかった。出発前の予報では晴れマークが続いて、これはいいぞと期待したのだが、実際の山の天気は違った。明け方は展望がよく、その後はガス、昼前後に晴れてすぐにまたガス、夕方になると雨というパターンが5日間とも続いた。

それだけにガスが晴れて峰々が姿を現したときは、壮大な展望に強く胸を打たれた。なんども見慣れている風景とはいえ、やはり北アルプスの景観は一番だ。

コースは、新穂高温泉から入り、笠ケ岳、弓折岳、鷲羽岳、水晶岳、黒部五郎岳、北ノ俣岳、薬師岳を登り、太郎兵衛平から折立に下りた。

計画を立てながらもこれだけの長丁場を歩けるのかと不安であったが、日を追うごとに体が慣れて快調に歩くことができた。老いぼれてもまだまだ歩けるものだと自信をもらった。 


期日 2011年8月13日(土)~8月19日(金) 4泊5日小屋泊&夜行便2日
メンバー 単独
日程
8月13日 我孫子駅=秋葉原駅21:55=竹橋(毎日アルペン号)22:30 

8月14日 5:15新穂高温泉5:50-6:50笠新道登山口-10:55抜戸岳南尾根11:30-13:10笠新道分岐ケ岳-14:30笠ケ岳山荘(宿泊手続き、休憩) 15:30-15:40笠ケ岳16:30-16:40笠ケ岳山荘(泊)

8月15日 笠ケ岳山荘5:30-6:20笠新道分岐-7:25秩父平-9:05大ノマ乗越-9:40弓折岳-9:55弓折乗越-11:10双六小屋11:30-(巻道経由)-14:20三俣山荘(泊)

8月16日 三俣山荘4:05-5:05鷲羽岳-6:05ワリモ北分岐6:15-6:50水晶岳分岐-7:30水晶岳7:45-9:10ワリモ北分岐-9:20岩苔乗越-黒部源流コース-11:20三俣山荘11:50-12:40三俣蓮華岳13:00-14:40黒部五郎小舎(泊)

8月17日 黒部五郎小舎5:05-7:15黒部五郎岳7:25-10:25北ノ俣岳-11:50太郎平小屋12:30-14:30薬師岳山荘15:00-15:35薬師岳15:45-16:10薬師岳山荘(泊)

8月18日 薬師岳山荘7:45-8:35薬師峠8:45-9:10太郎平小屋-12:10折立12:30=亀谷温泉=有峰口=富山駅22:50(夜行バス)

8月19日 5:10池袋東口=我孫子駅 


第1日
新穂高温泉から笠新道を経て笠ケ岳へ

 
杓子平からの笠ケ岳 

8月14日 5:15新穂高温泉5:50-6:50笠新道登山口-10:55抜戸岳南尾根11:30-13:10笠新道分岐ケ岳-14:30笠ケ岳山荘(宿泊手続き、休憩) 15:30-15:40笠ケ岳16:30-16:40笠ケ岳山荘(泊)

1日目は新穂高温泉から笠新道をたどって笠ケ岳を目指した。新穂高温泉の1090㍍から笠ケ岳は2898㍍だから標高差1800㍍をひたすら登るというハードコースだ。この笠新道はたしかにきつかった。計画の段階で、かみさんが登っているのだから私もたぶん大丈夫だろうと高をくくっていたのだが、これが間違いだった。水は2㍑持った。しかし日差しが強くてのどが渇き、水が足りないのではと心配するほどだった。それに夜行バスによる強行軍だから体力もかなり消耗した。つらかった。ほんと。このつらさに耐えたおかげで、体が慣れて翌日から快調に歩けたのだから、体というのは不思議だ。

笠新道登山口に立つ。ほとんどの人がここを素通りしてわさび平に向かっている。ためらいながらも「さあ、行こうか」と自分を鼓舞する。天気は快晴だ。すぐに焼岳(左)と、雲間に乗鞍岳(右)が見えた。昨夏の焼岳からは笠ケ岳から抜戸岳への稜線がすばらしかった。



さらに槍ヶ岳と穂高連峰が見えてきた。見事だ。笠ケ岳とは蒲田川を挟んで対峙しているからこその大観である。 



左の槍ヶ岳をアップ。 



右は穂高連峰だ。ジャンダルムもはっきりと見える。

 

高度を上げるとますますいい眺めになる。

また槍ヶ岳をアップで。



こんどは穂高連峰をアップ。



最初は展望のよさに気をよくしていた。ところがいつまでたっても長い急登が続く。それに日差しが強い。景色どころではなくなった。この先どうなるのか。暑さがこたえる。日を遮る木陰がない。ようやく抜戸岳南尾根を乗っ越すと、杓子平がひろがる。ここで大休止。笠ケ岳が姿を見せてくれた。いい眺めだ。初日からついている。疲労困憊だっただけに、やっとここまで来ることができてひと安心感。それにこの景観のすばらしさにしばし見とれ、疲れが少しは取れそうだ。しかしこの先も急登が続いた。
 

 



杓子平はカールの地形。稜線までまもなくだなと思いきや、疲れた体にはここからが長く、つらかった。とくに稜線近くになると傾斜がきつくなる。

やっとのことで、笠ケ岳と弓折岳を結ぶ縦走路と合流した。ここまでくれば、なんとか行けそうだ。しかし疲れが脚にきて思うように進まない。それに悪いことにしだいにガスってきた。

 



近くなった。まもなくだ。



小屋手前にテント場。水場は左の雪渓だ。笠新道をテントを背負って登ってくる若者が前後に2人。道々、話ながら登ってきた。やはりテント単独行はカッコいい。さすがにテント場は若者が多い。私もそうしたいのだが、この長い急登では、途中で引き返さざるを得ない?事態になっていただろう。一昨年同様に撤退となったのではとつくづく思う。やっぱり小屋泊まりにしてよかった。かつては紅顔の美少年、テントをかついで歩いていたが、いまやまさに憐れむべし半死の白頭翁。時の流れの速さよ。



すぐそこが笠ケ岳山荘だ。テント場から目の前なのだが、足が重くなかなか小屋に着かない。



やっと着きました。うーん、長かった。



宿泊手続きをして、しばらく休憩してから空身で頂上へ。笠の頂上はここから10分ほどだ。あれほどいい天気だったのに、すべてガスの中になってしまった。

頂上標識と三角点。なにも見えない。



ガスの中だが風がなく穏やかな頂上だ。ガスってはいるが、時折太陽が姿を見せる。そのたびにガスが晴れるのを期待するのだが、ふたたびまたガスに包まれる。太陽が一瞬姿を見せると、反対側にブロッケン現象だ。私の姿が、まるで光背が輝く仏様に見えた。

小屋に戻ると、すぐに着替えて、汗で湿った帽子、上着、ズボン、靴下などを乾燥室に持ち込む。
そして、夕飯までの時間、念入りに脚のマッサージに励む。

夕飯がすむと、山は静かさを取り戻す。午後6時ごろ、笠ケ岳山荘から見る抜戸岳。



初日から笠新道を登ってフル稼働の体だが、登ってしまえば、それまでのつらさがうそのようだなと、夕暮れの笠をぼんやりと眺めている。

→2日目は、笠ケ岳から弓折岳を経て三俣山荘へ。



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お盆過ぎると秋冬野菜の準備

2011-08-13 | ブロッコリー


お盆を過ぎると、秋冬野菜の準備に入る。夏野菜を片付けて、畑を耕し、タネをまき、苗を植えつける。季節がめぐるたびに行っている作業が待っている。

すでに秋冬野菜として、7月にニンジン、キャベツ、ブロッコリーのタネをまいた。写真はブロッコリーで、本葉が3、4枚ぐらい出てきた。写真上部の白いのは寒冷紗だ。モンシロチョウの侵入を防ぐ目的で、全体をすっぽりと覆っている。モンシロチョウの幼虫はアブラナ科の野菜が好きであっという間に葉を食べてしまう。寒冷紗をかけていても、虫食いされる。面倒でも、アブラナ科の野菜には寒冷紗はなくてはならないものとなっている。

8月下旬にハクサイのタネまき、9月上旬になるとダイコンのタネまきになる。


夏野菜は手を抜くことができるようになった。そこで夏山第2弾、北アルプスを歩くことにした。なんか天気がよさそうだ。さすがにこの1週間はクーラーが大嫌いな私でもクーラーなしでは暮らせなかった。下界を脱出して天空の冷涼に触れたい。この間、百姓日記は休む。もちろん、遊び過ぎのかみさんは留守番だ。


 

     

      


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酷暑の酒肴にはシシトウがいい

2011-08-12 | その他

 

菜園をやっている飲んべえにお勧めなのが、シシトウである。植えておくと、ちょっとした肴になって重宝すること請け合いだ。

シシトウはこれまで毎年作ってきたわけでなく、気がむけば苗を買ってきて植えつけている。ビーマンと同じだからタネをまいて育てるのはむずかしくない。しかしそんなに多く作るものではないから、いつも苗を買って植えつけている。この春は4本植えつけた。

いまの時期の夏野菜は、すでに収穫が終わったものや、そろそろ終わりかけのものが多く、収穫物の種類と量が減る。そんな中で、元気で次々と実をつけてくれる。これが酒肴にいいのである。昨夏はそのことを実感することしきりで、植えておいてよかったなと、感心ばかりしていた。今年もその思いを強くしている。

わたしの食べ方は、焼いたものをショウガ醤油で食べる。簡単でシンプルである。この夏植えたシシトウの品種はわからないのだが、あまり辛くない。それでいてあとを引かない鋭角的な辛味をほんの少し感じるから私にはちょうどいい。あまり辛味が強いと、舌がひりひりするばかりで味がわからず、いたずらに汗をかいて落ち着いて食べていられなくなるからだ。


  

          


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そういえばカボチャが

2011-08-11 | カボチャ

 


かみさんが四国の山歩きから戻った。剣山のキレンゲショウマの様子が以前と変わったという。鹿による食害で、登山道のキレンゲショウマの姿をなかなか見ることができなくなり、鹿ネットで保護されたところでやっと観賞できたという。私が見たのは2003年だからもう一昔前になる。登山道でその姿に会えたときは感激したものだ。


参考)2003年8月剣山のキレンゲショウマ


夏野菜の収穫は全般的に終盤だ。すべて収穫できて味わったつもりでいたのだが、すっかり忘れていたものがある。カボチャだ。忘れてしまうのも道理で、定植してからまったくほったらかしにして、カボチャには申しわけないのだが、すっかりその存在を忘れてしまっていた。おかげで雑草に覆われ、そのなかに埋没している。そろそろできていてもいいかなと、雑草を足でかきわけて探した。たしかに食べごろであった。

しかし今年は実なりがよくない。いつもの年ならたべきれないほどごろごろ取れたのだが、今年は少ないのがすぐわかる。品種をことしは変えたのだが、そのせいでもあるまい。早速に煮てもらった。今年は数が少ないだけに貴重なカボチャになりそうだ。多いと粗末にして、少ないとありがたがる。しかたないか。


            

 


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これでもかと、具だくさんの野菜カレー

2011-08-09 | その他

かみさんはこの数日間、友だちと四国の山歩きに出掛けた。剣山と石鎚山だ。前者にはこれまで2回行っているのに、なぜにまたと問えば、お付き合いだという。剣山はいまキレンゲショウマが咲いている。宮尾登美子著「天涯の花」で”なんとなんと美しい”と表現された花だ。かみさんとは剣山~三嶺を縦走したとき、この花をすでに見ているから、今回は案内役を買って出たのだろう。

そんなわけで、またかといいながら留守番である。この夏はかみさんがしょっちゅう山に行っているから台所に立つ機会が多い。慣れない仕事だけに手間取ることが多く、やっとおかずができ、さあ食べようとすると、疲れきって食欲がなくなることがある。しかし、外食が大嫌いだから、面倒とはいえ、食べないと生きていけないから、おさんどんはやるしかないのである。

かつて単身赴任してひとり暮らしの食事づくりは経験している。2、3品作り置きのおかずがあれば楽だ。それに加えて、その場で酒のつまみを1,2品作ると、すぐに食卓の用意ができる。飲んべえだから、台所仕事の時間はできるだけ少なくして、すぐに晩酌をやりたいのである。

きのうは野菜カレーを作った。野菜だけは不自由しない。これでもかと手元の野菜を入れた。冷蔵庫にあるものを整理するためにカレーはいい。しかし、野菜カレーといいながら、使った材料は知れたもので、思いのほか少ない野菜で鍋いっぱいのカレーができてしまった。もっともっと野菜を使いたかったのに。

カレーを作るなんて私には久しぶりのことだ。30代前半のころは、「壇流クッキング」(中公文庫)を片手に、”本格的な”カレーを作っていた。ところが最近はカレーそのものを食べたいとはあまり思わなくなった。晩酌しながらのおかずでおなかがいっぱいになってしまい、それからさらにカレーを食べようという気持ちにはなれないからだ。

これでもかと自家製の野菜を入れて作ったカレー。考えようによっては贅沢このうえない。野菜のごった煮みたいなものだなと思いながら、これだけ野菜を入れたのだから、味はいいのだろうなとその味を想像しながら、ずっと台所に立って作っていた。野菜が煮くずれてきた。さあできたぞ。


 

         

 


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聞くと見るとでは大違いのキツネノカミソリ

2011-08-08 | その他

きのうは地域の夏祭りだった。低学年の子たちが太鼓をたたいている。親たちがその様子を眺めている。わたしは模擬店で買った生ビールを飲みながら見ている。太鼓の音を聞きながら、いつしか、わが家の、もう30をとうに過ぎた息子たちの子ども時代に思いをはせていた。私は親として子どもたちとこんな時間があったのだろうか。子どもが低学年のとき私は30代。たしかに休日には一緒にすごしたほうだが、私の30代は自分が遊ぶのにも忙しかった。悪い遊びもあったが、いまとなってはすべて過去のこと。それでもわが身の勝手さを思うとこころがしんみりとなり、ビールがいつもより苦く感じられた。

いまのこの時期、ウオーキングコース上にある公園の林床にはキツネノカミソリが咲いている。キツネノカミソリをはじめて聞く人は、これが花の名前だとまず思うことはないだろう。花の名前には妙なものがよくあるが、これもそのひとつだ。花を見て、名前を知ったら、忘れることはあるまい。

花を見ないで、名前だけを聞いたらどんな花を思い浮かべるだろうか。「キツネ」と「カミソリ」、似たような同質のイメージを想起させる。このふたつの言葉を重ねると、ヤバそうな感じだ。キツネの代わりに「タヌキ」と「カミソリ」となると、こちらのほうが安心する。

実際に見ると、なんともきれいな花である。どこがキツネで、どこがカミソリなんだと思いたくなる。この花は鮮やかである。彼岸花の仲間だと知ると納得がいく。

かみさんは昨晩、夜行バスで西へ、山歩きに向かった。それならと、私は北アへ行く予定でいた。すべて用意万端だった。しかしいざ出掛けるとなるとこのところきまって腰の状態が悪くなる。どうもついていない。それだけにかみさんの元気さがうらやましくなる。ここすうじつは、またまた留守番。おさんどんは自分でやらねばならない。


      

 


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