30坪+20坪の菜園

BIG FARMの農事日誌です。

【貸し農園トラブル2022(その5)】我孫子市にあるNPO・みんなの広場「風」が“悪行を重ねる浅川宝重”と手を組んだという話ー40代女地主の啖呵、恫喝、あざとさにあぜん

2022-05-16 | 菜園トラブル

<4回からつづく

(文中敬称を略す)

連載5回目。4回目に続いて地主との話し合いを記す。
浅川が悪行を重ねた舞台となったこの農地の地主は、40代の姉妹の2人。姉は柏市に、妹は我孫子市に住む。農地は親から引き継いだものだ。

浅川が悪行を重ねた舞台となったこの農地の地主は、40代の姉妹の2人。
旧姓は飯田。
姉は野倉ゆきえ(柏市松葉町)
妹は前田ともえ(我孫子市つくし野5-11-8)
農地は親から引き継いだものだ。

地主はなぜわが家にやってきたか、その起因はやはり浅川とNPOみんなの広場「風」の樋口孝之の2人にある。

まずは浅川から。加害者である浅川は、わたくしがプレッシャーをかけるたびに110番通報する。加害者がわたくしと向き合うことなく逃げて隠れて、すぐに110番するのだからあきれる。110番通報するのは被害者のわたくしのほうだろう。さらに第3回で書いたように警察に野菜苗の盗難で110番し、わたくしに嫌疑が向けさせた。さらに地主にも、わたくしが犯人ではないかと。

つぎは樋口孝之。我孫子市にあるNPOみんなの広場「風」の責任者。浅川が悪行を重ねたことを承知しながらもタッグを組んだ。第2回で書いたようにNPOの不透明さを問いただしても返答はない。こちらも野菜苗の盗難で110番し、浅川と肩を組んで嫌疑をわたくしに、さらに地主にもその旨伝えた。

わが家にやってきた地主の姉妹。以前の印象とかなり違った。わが家に来る前に浅川と樋口孝之と話し合ったというから、洗脳されたのかと疑ってしまうほどの変貌ぶりだった。これには驚いた。

姉妹の言い分は第4回に記した通り。この菜園から出て行けという意向だ。まだ正式な通知ではないようだから一応聞いておくことにした。
さらにこうも言ったのである。
「厳しいことを言うようだが、浅川を残して、あなただけ立ち退いてもらうかもしれない」
さすがにあいたくちがふさがらない。どのような思考をすればこんな結論になるのか。浅川の悪行を解決するために奔走した地主がこうのたまう。警察だって「元凶は浅川だ」といっているのに、浅川を残してわたくしだけ出て行けという。地主のこの言葉にはさすがにたまげた。なにか裏があると感じるのだがそれがわからない。

姉妹との話で特に感じたことを加えて記録しておく。
1,地主の姉のほうが74歳男にむかって啖呵をきった。あっけにとられるほどみごとな啖呵としかいいようがない。怒りながらかなり激しい言葉を吐いた。なぜそれほどまでに頭に血が上っているのかは、何度も言うがわからないのである。ただ姉妹の言い分を聞いて、退去を要求するならどうぞ、受けて立ちますよ、ぐらいなことはいったはずだ。これに対して「ふざけるな、こっちは本気なんだ」といった威勢を示したかったのではないか。

2,なんともあざとい。
40代姉がいう。「菜園が荒らされたといっただけだ。“苗”が盗まれたとは一言も言っていない。なんで苗だと知っているのか」
この筋書きを期待してわが家に来たのだろう。
こう来たか。つい大笑いしてしまった。
「4月28日にわが家に警察がときに、苗が盗難されたとすでに聞いている」
尻尾をつかんだぞという、40代女の得意げな顔が一瞬で沈んだ。
警察テレビドラマの見過ぎではないのかといってやった。なんともこざかしい手を使うものだ。姉妹が帰ったあとに思い出した。刑事コロンボで見た気がする。といってもこの手はよく使うようだ。疑いのある犯人を前に言う。「これはいまわかったばかりの事実。なぜ知っているのか」と問う場面だ。
なんともあざとい手を使うものだ。短慮に怒るよりも笑ってしまった。ここまでやるのだからすっかり野菜苗盗難の犯人はわたくしだとと決めてかかっている。だれがそのようにそそのかしたのだろう。

3,「農地をただで貸しているんだから借り手の言い分には聞く耳を持たない、必要ない」。そんな姿勢だ。たしかにこちらの農地は無料だ。無料で借りているから、地主の言うことを聞けというわけである。なんども同じ内容を繰り返す。
無料で提供するといったのは地主のほうからだ。無料だろうが100万円だろうが貸し手と借り手との“契約“となる。無料だからといって、借り手に瑕疵はないのだから、はいそうですか、といいなりになって借り手が引き下がることはないと考えている。第4回で記したように、遺産相続の問題で農地を提供できないとなれば話がちがう。そうであればすなおに地主の意向をくんで即出ていく。
菜園を立ち退くようにとの意向を示されたものの、その理由がわからない。無体なことには立ち向かう。負け戦でもやるだけのことはやるつもりでいる。社会的な評判をなくすのはこの姉妹のほうではないかと思うのだが。

4,この姉妹、自分の住所と名前を明らかにするのを拒んだ。地主の姉妹とは浅川が菜園で悪さをしたときは協力し合った。それが一転、4月30日からは交渉相手となった。じつはそれまで姉妹の名前は知らないでいた。住所も妹のほうは知っていたが、姉のほうは知らないでいた。そこで名前と住所を教えてほしいと申し込んだが断られた。

交渉相手の姉は姓名も住所も不明、妹は名が不明ということになる。

翌日に、交渉相手が正体不明では相手になれないからと伝えると、そこでやっと名前を明かした。名前は漢字でどう書くのかと尋ねると拒否された。姉は住所を明かすのを拒んだままだ。アンフェアであることがわからない。
交渉相手の名前も住所を明かさない正体不明者と交渉するのかといいたくなる。住所を明かさない姉のほうには「これでは今後交渉相手としない」ことを通告すると、姉はこれを承諾した。なんでここまで頑強に氏名を明かすのをためらうのか。やはり姉妹の家庭環境を調査しよう、と考えている。
ーーーーー

ここまで5回にわたり4月下旬に起こった農園トラブルを書いてきた。登場人物は、元凶の浅川宝重はじめ、我孫子市にあるNPOみんなの広場「風」の樋口孝之と栗原祐子、飛び入りが我孫子警察と地主の姉妹といった面々だ。

わたくしが動けば動くほど人間の醜さを見せつけられる。老人にはこころの重荷になる。いい加減いやになっているのだが、事態はいまも動いている。書き続けないといけない。

登場人物の“活躍ぶり”を、へたくそな文章で活写できないのはわかっているが、いきさつを忘れる前に記録として残しておきたいとの気持ちで書いている。事態はいまも動いている。変化があればすぐにでもレポートする。


      
気まぐれ山旅リポート ようこそ!ビッグファームへ


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【貸し農園トラブル2022(その4)】我孫子市にあるNPO・みんなの広場「風」が“悪行を重ねる浅川宝重”と手を組んだという話ー地主が浅川の悪事を防いだわたくしに菜園からの立ち退きの意向を示した

2022-05-13 | 菜園トラブル

<3回からつづく

(文中失礼ながら敬称を略す)

さすがに頭がつかれる。4回目は菜園の地主の話。理不尽なことをいいだした。浅川とともに菜園を立ち退いてもらうとの意向を示した。喧嘩両成敗だそうだ。ケンカを売ってきたのは浅川、わたくしはそれを成敗したのだから表彰ものだろうが。それにいまの菜園がここまできれいに維持されてきたのはわたくしの尽力に寄るところが大きいと自負しているし、地主もわかっているはずだ。なにを考えちがいしているのか。いまだにその通知は手元に来ていない。通知があれば全力を挙げて対応していく覚悟でいる。なによりも地主が認識することは、元凶は浅川だ、と警察がいっていることだ。

こんかいの第4回は、その話を2回に分けて記す。

農園トラブルというのは世間で多いのだろうか。昨年7月に農園トラブルの主役であり元凶である浅川宝重の悪行をネットにアップしたら、かなりの訪問者数があって驚いた。地味な菜園記録のこのGOOブログ、ふだんの訪問者数は500人から1000人ほどなのだが、このときばかりはシステムが壊れたのかと思ったほどの数に上った。こんかいもそうである。

元凶は浅川宝重、諸悪の根源、この表現はわたくしがいったものではないが、うまい。まさにぴったりの表現だ。なぜならつぎからつぎへと問題を起こすからだ。

今回は我孫子市にあるNPO・みんなの広場「風」の樋口孝之と栗原祐子が、コンプライアンスなど、どこ吹く風といわんばかりに、この浅川と手を組んだというのだから青天の霹靂。おかしいのではないかと申し入れたら、このNPOの不透明さが浮かび上がってきた。おかげで同じ町内にあるこのNPOの実態を見ることができたことは第2回で報告した。

さらに第3回では、畑の苗の盗難で、わが家に我孫子警察がやってくる騒ぎになった。浅川とNPO「風」とわたくしはトラブル中だから、わたくしが疑われるのは仕方ないのだが、よく考えてみると、駆け付けた警察官はその時点で3者間でトラブルがあることは知らない。

それなのに警官がわが家に来たということは、浅川とNPOの樋口孝之が警察に、わたくしがあやしいと“密告”したにちがいない。たしかにそうであった。この事実は、この後に登場する菜園の地主によって明らかになる。

浅川の生い立ちはいつも気になっている。コンプレックスと厚顔無恥はどういう生き方をすればそうなるのか。その仲間のNPOの樋口孝之もたちが悪い。きっと夜な夜な2人で悪だくみを相談しているのか。

4月30日午後7時過ぎに菜園の地主がわが家にやってきた。これまでの経緯を忘れないうちに記録しようとやっきになっているのだが、警察だ、地主だとかが登場してくるからなかなかさきにすすまない。

もう10年以上前になるのだろうか。地主は100坪ほどの農園を4つに区切り、4人に貸し出した。わたくしはこの菜園のすぐ近くに30数年前から30坪ほどの菜園を借りていた。

「菜園を貸します。無料です」との立て看板を見て、ひと区画を借りた。地主はとにかく雑草を生やさないこと、隣接する畑に迷惑をかけないことが第一の条件だった。浅川も借りたそのひとりだった。

なんども繰り返すがこの騒動の発端はこの菜園だ。平和な菜園生活を送っていた昨年6月のこと、この菜園で浅川が悪事を働いた。わたくしが注意した。耳を貸そうとせず醜いほどにごねた。とうとうわたくしに誹謗中傷を吐くまでになった。こうなれば地主に相談せざるを得なくなった。

地主は2人の姉妹? 妹は我孫子市に、姉は柏市に住む。

この2人は浅川の悪事に迅速に精力的に動いてくれた。短期間で事態は収束した。浅川はこのとき2区画借りていた。地主の裁断で、一つの区画を取り上げて、一つを浅川に残した。

わたくしはこの浅川をこの菜園から立ち退くよう求めたが、地主の判断は変わらなかった。これが禍根を残した。以来10カ月、浅川から謝罪の言葉は一片すらない。これまでのいきさつをざっと振り返るとこうなる。

こんかいの話はこれからが核心となる。地主の2人の女と会うのは昨年7月以来となる。

地主はこの日(後日分かったことだが)、浅川が菜園で野菜苗の盗難があったことを地主に電話で知らせ、浅川ともにNPOの樋口孝之宅に向かい、そこで3者で話し合った。

第3回に記したように、NPO「風」から回答があった4月26日から、回答内容についての疑念をメールで問い合わせている。そのコピーを浅川とNPOの樋口孝之が地主に渡したのであろう。さらに話し合いの後すぐにわが家に来たというのだから、警察にもそうしたように、地主にもわたくしが盗難犯なのでないかといったはずだ。それがなければ地主はわが家に来ない。

この日の地主の印象が以前と変わっている。最初からかなりとげとげしい態度だ。
浅川とNPOの樋口孝之から渡された、わたくしがNPOに送ったメールの一部を示して、この文言は「おそろしい」と何度も繰り返した。

そのメールの文言とはこうだ。

4月27日のNPOへのメール。
“4月26日の「風」の回答を聞いて覚悟しました。やはり(浅川には)きちんと態度で抗議していきます。今後、浅川氏の姿をNPO「風」の農園で見かけたら、同氏の行為の責任を追及していきます。怒鳴り合いになるかもしれません。殴り合いは避けますがそうなるかもしれません。緊張が走る場面になるかもしれません“

第3回で明らかにしたように、10カ月ものあいだ浅川の誹謗中傷を我慢してきたが、これからは反撃に転じようと覚悟した。もう黙ってはいられないと覚悟のほどを知らせたのである。この程度の内容?なのに、なぜ腹を立てているのかわたくしにはどうにもわからなかった。

地主のいいたいことは冒頭に記した。なぜわたくしが立ち退かなければならないのか。なんども言うが元凶は浅川なのである。

かつて地主から「遺産相続で立ち退いてもらうかもしれない」と言われたことはある。「それが解決したから今後利用するのに問題ない」というからこれまで利用してきた。率先して雑草取りをして、ほかの人からこの菜園はきれいですねとお褒めをもらっている。地主との取り決めはきちんと守っているのである。わたくしまでもが立ち退かないといけないのか。地主はいまその方向で動いているようだ。わたくしは、さあ来い、そんな気分でいる。

農地の権利関係はまったく知らない、そこで来週に弁護士と会うことにしている。

長くなりました。

次回も地主の話は続く。40代の女の地主2人が74歳のわたくしに向かって啖呵を切り恫喝めいた言葉を吐いたこと。さらに尻尾をつかんだとばかりに、まるで警察ドラマを見すぎたようなあざといまねをし、これにはつい大笑いしてしまったこと。「無料で貸しているんだから」「地主のほうが上なのだから言うことを聞け」といいはること。ここまで本性を見せられるとうんざりするばかり。印象が様変わりした。


      
気まぐれ山旅リポート ようこそ!ビッグファームへ


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【貸し農園トラブル2022(その3)】我孫子市にあるNPO・みんなの広場「風」が“悪行を重ねる浅川宝重”と手を組んだという話ー我孫子警察がわが家に、苗の盗難の嫌疑、浅川へプレッシャーをかける、すると

2022-05-11 | 菜園トラブル

<2回目から続く

(文中の敬称を略す)

このトラブルの元凶である浅川への怒りは、抑えようにも抑えきれないでつぎつぎとわいてくる。これほどに誹謗中傷への恨みや憎しみは深いと感じる。

4月26日のNPO・みんなの広場「風」からの回答は、NPOのコンプライアンスを投げうってでも旧知の浅川をかばうことに懸命であったといえる。浅川はNPOから身を引かないところをみると、おのれの悪行をいまだに反省していないとわかる。

ここで心を決めた。昨年7月の浅川からの誹謗中傷をきょうまで10カ月ほど我慢に我慢を重ねて辛抱してきた。年を取ると誹謗中傷はこたえるというがこれは本当だった。いつもこころにまとわりつくような不快感がある。思い出すたびに、いやーな気分になる。

我慢の限界だ。もうこの年だ、我慢することもないだろう。この日を境にして、浅川にこの恨みを晴らすことにした。やられたらやりかえす。暴力はいけません。暴力で75年のけっして自慢できるキャリアでないが捨て去るつもりはない。

悪行の責任を取らせることにした。悪行の落とし前をつけさせることにした。警察が何もしてくれないのなら自分でやるしかない。浅川には覚悟のほどをわからせることにした。

同時にNPO・みんなの広場「風」の樋口孝之と栗原祐子に対しても、ブッラクNPOまがいの不透明な疑念を、たぶん再回答はないとわかってるのだが、ぶつけることにした。

すると、NPOから回答があった4月26日の翌々日の28日に我孫子警察署のおまわりさんがやってきた。生活安全課の工藤修一と交番勤務の松戸の2人。

浅川宝重とNPOの樋口孝之が通報したと思われる。これは予想できた。たぶんわたくしがNPOにあてたメールの内容で通報したのだろう。警察の工藤は、そのメールの内容を見せられただろうし、その後に地主に話を聞いているのだから、わが家にやってくる前に全容を知っていたはずなのだが、これまでのいきさつをというから詳しく話した。1時間半を超えたのではないか。

その合間に、なにげなく工藤が口にした。
「菜園で苗が盗まれた」

・・・・そうか、これで警察が来た理由がわかった。浅川とNPOの樋口が警察に盗難を通報したのだ。それで警察がやってきた。浅川との不穏な関係からすればたしかにわたくしがいちばんに疑われてもしかたない。浅川とNPOの樋口が、垂れ込んだとしか思えない。

菜園での盗難はたびたびある。泥棒は憎いが、管理しないで放ったらかしにしているから盗難はあきらめるしかない。菜園での盗難で警察を呼んだという騒ぎは35年間の菜園づくりで初めてになる。これしきのことでなんで警察だ。

警察の工藤がいう。
「畑の元凶は浅川だ」
自明のこと。事件の経緯をしればだれもがそう答えるはずだ。

「浅川から警察を仲介として和解の申し出がある。どうしますか」
この10カ月のあいだ一片の謝罪の言葉がなかった。何をいまさら和解だ。あきれてものが言えない。わたくしが怒りをあらわにし、これから落とし前をつけさせようというそのときに。
「それは受け入れない」
「あなたの希望は」
「浅川がわたくしの視界から消えること、誹謗中傷の落とし前をつけることが条件だ」
「これでは話は平行線です。根が深いですね」

警察の工藤が、わたくしの希望を浅川に伝えたところ、畑から出ていかないというから話はまとまらない。警察はここで手を引くといって帰って行った。

泥棒呼ばわりは、さすがに頭にきた。浅川とNPOに天罰がくだったのだ。神さまはお見通しだ。そう思うことにしよう。

その日の夜のこと、ふろに入り「待てよ、これは浅川とNPO の自作自演か」との思いが浮かんだ。舞台づくりは苗代だけという安さでできる。苗を植えて持ち去れば、嫌疑はトラブル中のわたくしにかかるというわけだ。考えすぎか。

苗の盗難騒動を機に、浅川へプレッシャーをかけ続けた。浅川は逃げる。隠れる。目の前に姿を現さない。2人だけで対決しようとはしない。プレッシャーをかけるたびに110番通報する。通報があれば警察は駆けつける。おかげでたびたびと警察がやってくるようになる。

うんざりだ。たぶん警察だってそうだろう。どの程度のプレッシャーを浅川にかければ、浅川は110番するかがわかるようになる。そのたびに高い確率で警察がやってくる。そうなると警察はプレッシャーをかけるのをやめるよう求めてくる。しだいに口調は真剣になり、いまや警告めいてきた。このくそじじい、いい加減にしろ、というのが本音だろう。

平和な菜園生活を送っていた。そこで浅川が悪事を働いた。そして誹謗中傷に及んだ。そこが始まりだ。警察にプレッシャーはやめてほしいと言われても、浅川の悪事は到底許されない。世間からすればいまのプレッシャーはまだまだかわいいものだ。

浅川へプレッシャーをかけるたびに、警察がやってきてわたくしへ忠告するーというのがいまの状態。警察はわが心情をわかってはいるが、わかってはいけないというのが警察だ。

ネタがありすぎて、構成が散漫になった。

つぎの第4回はー地主が、浅川とともに農地を立ち退いてもらうとの意向を示した。なんとも理不尽なことをいいだす。喧嘩両成敗だそうだ。ケンカを売ってきたのは浅川、わたくしはそれを成敗したのだから表彰ものだろうが。本気ならやるしかないー


      
気まぐれ山旅リポート ようこそ!ビッグファームへ


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【貸し農園トラブル2022(その2)】我孫子市にあるNPO・みんなの広場「風」が“悪行を重ねる浅川宝重”と手を組んだという話ー申し入れに対する回答からこのNPOの責任者2人の仮面の下が見えてきた

2022-05-09 | 菜園トラブル

<1回目からつづく

(文中の敬称を略す)

こんかいはその2回目。これまでのいきさつは1回目をご覧ください。

NPOに対して4月18日に申し入れ(内容は1回を参照)てからというもの、あれよあれよというまに風雲急を告げる展開になった。登場人物は、主役に諸悪の根源の浅川宝重、後述するが警察からも元凶とされている。浅川に加担するのが我孫子市にあるNPOみんなの広場「風」の理事長・樋口孝之と施設長・栗原祐子の2人。ここに地元の我孫子警察まで出動してくる騒ぎとなった。さらに地主が理不尽な要求をしてくるというのだから対応に追われている。

ここ1週間は、これらの事実を記録するのに費やされ、このブログ本来の菜園記録にまでは手が回らない状況だ。しばらくはこの菜園トラブルにかかりきりになる見通し。やれやれである。だが、74歳の年金暮らしの老人は、蔵王山男の歌の一節「♪胸にファイトの血が燃える・・・」を思い出している。とにかくできるところまでやろう。

ネタが満載だ。つぎつぎとネタを提供してくれる。書くことが多すぎて困るほど。これから記録を残していく。
ーーーーー

まずは順番からして浅川とNPOの2人。この3人は旧知の仲だ、というのを頭に入れておいてほしい。

4月18日の申し入れに対して、4月26日に回答があった。

NPO「風」の回答はこうである。
「浅川の行為は反社会的行為とは認めない。しがってボラティアとして支援をお願いする」(発言のまま)

浅川のつぎの5つの行為を確認したうえでの判断である、という。
1、家庭菜園の共有スペースである通路を遮断封鎖し占拠した。
2、菜園のひとり(わたくし)が注意しても封鎖を解かずに占拠を続け、それを正当化するため策を弄して応じようとはしなかった。
3、注意したわたくしに向かって誹謗中傷するに至った。(注意:我孫子警察署が浅川に事情聴取、「注意されて頭にきたからやった」と自白している)
4、地主に相談し、地主から浅川はペナルティーを受けた。
5、浅川からはいまも1,2,3についての謝罪はない。

回答は、NPOの責任者2人は浅川の行為を「反社会的行為」(注意=NPOみんなの広場「風」の理事長・樋口孝之の言葉)ではなく、その程度の行為なら「赦せる」ものと断じた。「反社会的行為」とは、念のため調べたー社会規範から逸脱した行動。社会の秩序や道徳から著しく逸脱した行動―とある。 

浅川の1から5までの行為は、わたくしにはまさに反社会的行為であり、これらの5つの行為を反社会行為でなくて、なんといえばいいのか。しかし樋口と栗原の2人は、反社会的行為ではないからという。

そこで「反社会的行為」という言葉をいったんわきに置いてこう尋ねた。
「浅川の5つの行為を悪いと思うのか思わないのか」
すると2人とも「悪いと思う」と答えた。

となると、わたくしなりにこう解釈せざるを得ない。
浅川の行為は悪い行為と認めるが、それは赦せる範囲の行為だ、というのがNPOの判断。1から5の程度の悪さなら、NPOにとっては「赦せる」範囲の行為であり、ボランティアとして支援してもらうにはまったく問題ないという判断。その程度の“悪い行為”ならOKであり、脛に傷があっても受け入れるということを表明したものだ。この2人には悪い行為と反社会的行為の明確な基準があるようだ。

これまでNPOに対する認識は「なにかいいことをしている組織、団体」で、コンプライアンスを遵守し、道徳的にも倫理的にもきびしくやっているといった認識でいた。

ところが違った。悪いことをしている人でもボランティアとして採用するというのだ。NPOとはこんなもんかとは思ってしまう。世間でいうところにブラックNPOではないのだろうが、わたくしからすれば「反社会的行動」を許容しているNPOといえる。

質疑応答の中で以上が事実として明らかになったことである。

ーーーーー
さらに質疑応答で2つの疑念が生じた。
疑念その1=わたくしからの申し入れた内容についてNPOは当然調査したはず。回答の席でも確認したうえでの判断だと念を押している。

浅川の行為1から5までのなかで、NPOが客観的に調査できるのは1と4と5になる。なかでも4は、地主に話を聞くことは、「反社会的行為」かどうかを判断するのに重要な内容になるはずだ。

「地主に会いましたか」
「電話したが留守だった」
肝心の地主と話しもせずに、どんな材料から「反社会的行為ではない」と判断しているのか。地主は留守番電話になっている。用件を伝えれば折り返し連絡があるはずだ。伝言を残さなった。ということは、はなから会って話を聞くつもりはなかったのだと。それでなにを根拠に「反社会的行為とはいえない」と判断することができたのか。疑念は増すばかり。

疑念その2=話し合いが終わったその日、ふと「地主には電話さえしなかったのではないか」という疑いを持った。NPO側の「電話したが留守だった」という言葉が気になっていた。そこでその日のうちに「地主には電話をしなかったのではないか。電話をしたのなら発信記録を提示してほしい」ともとめた。スマホなら発信記録はすぐに見ることができる。固定電話でもネットで発信記録はすぐに見ることができると電話会社への問い合わせて分かった。NPOには4月26日に提示を求めたが5月8日の時点で、その返事はない。クロと判断せざるを得ない。NPOの責任者2人、樋口孝之と栗原祐子は「地主に電話した」といったが、それはウソだったと断じるほかない。

まあ、権力のバックがない徒手空拳の年金暮らしの老人だから、軽くあしらっておこうという程度の対応だったのだろう。

でも回答に対する質疑応答から、以上のような事実がわかり、ふたつの疑念が生じた。

とにかくこれらの材料がそろった。NPOに対して疑念の説明を求めても、回答を繰り返すだけだろうから、まずは、このNPOと同じ自治会の皆さんにこれらの事実と疑念を周知させることだ。近所のNPOがこんなことをやっているんだと。つぎにNPOに支援金と助成金を提供している団体、組織にも対応していくことになる。税金や資金を提供するのにふさわしいNPOなのかどうか。やることが多い。

手短にまとめるつもりでも長い記録になってしまった。

⇒次回の3回目はーわたくしに盗難の嫌疑! わが家に我孫子警察署生活安全課のおまわりさんがやってきたーという話。


      
気まぐれ山旅リポート ようこそ!ビッグファームへ


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【貸し農園トラブル2022(その1)】我孫子市のNPOみんなの広場「風」が“あの浅川宝重“と協力関係を、NPOが犯罪者とタッグを組むという話

2022-04-21 | 菜園トラブル

NPO・みんなの広場「風」(我孫子市久寺家1-10-11)の事務所
(4月20日午後5時半撮影)

余生をおだやかにすごしたい。その思いで毎日を生きている。しかしそう望んでも厄介ごとが向こうからやってくる。いい加減にしてくれ。晩年になっても思い通りには過ごせないものだなとひとりごちる。

以下、敬称を略す。

昨年の2021年につづいてまたも【貸し農園トラブル】に遭っている。2021年は浅川宝重の悪行だったが、2022年のこんどは浅川宝重のほかに、我孫子市にあるNPO・みんなの広場「風」が加わる。迷惑至極、放ってはおけないので記録することにした。

過ちを犯しながら反省を見せない浅川宝重=男70代(我孫子市久寺家2-6-14)と、近所のNPO・みんなの広場「風」(我孫子市久寺家1-10-11)がタッグを組むという話だ。

順次説明していきたい。この両者が今回の話題の中心となる。まずは浅川。この老人が昨年の2021年5月に犯した過ちにはかなり手を焼いた。忘れようにも決して忘れられない人物だ。視野から消えてほしいのだがまたぞろ登場だ。うんざりする。

この浅川と手を組んでいるのが、NPOみんなの広場「風」。障がい者の福祉施設で近所に事務所を構える。近隣住民とのつながりを重視して活発に活動しているように見える。

この両者が、協力関係を結ぶ。これを、近隣の住民が、同じ職場で働く職員が、さらに補助金、助成金として税金を提供する自治体がどう見るのか。

まずは繰り返しになるが浅川の過ちを振り返る。
浅川とは家庭菜園を隣り同士でやってる。昨年の2021年のこと、浅川は共有のスペースである農園の通路を封鎖して占拠してしまった。
その場面と行動をイメージしてもらいたい。こんなことを実行するにはかなり勇気がいるはずだ。常識では考えられない。結果がどうなるかわかっているのに、欲望を抑えることなく、それをやってしまった。晩年の過ちほど一生を棒に振る。小心者のわたくしにはとてもできない。しかしこの老人はやってしまった。その時点でこの老人の精神構造がわかるというもの。

わたくしが封鎖と占拠を注意した。その時点ですぐに解して謝罪すれば大ごとにならなかった。あとがいけない。この老人はさらに仮面の下の隠された顔を見せつづけた。醜悪の一言に尽きる。おのれの行動を正当化しよう悪あがきをした。あきれた、というより滑稽だった。脳みそが足りないとしか思えないようなことまで平気で言う。さいごにはとうとうわたくし個人を誹謗中傷し始めた。

ここまでエスカレートしたら、地主に相談するしかない。地主は浅川を罰した。当然すぎる処置だ。それが昨年7月のこと。しかしいまも、封鎖・占拠したことに対する謝罪はない。正当化しようと悪あがきして手を焼かせたことへの謝罪もない。さらにわたくし個人への誹謗中傷への謝罪はない。まあ、それだけの人間でしかないのだと思うことにしているものの、どうにもこうにも腹の虫がおさまらない。

謝罪があっても赦しはしない。誹謗中傷とはそういうものだ。70過ぎた現在まで、面と向かっての誹謗中傷を経験したことがない。年を取ってからの誹謗中傷はこたえるよ、といわれるがたしかにそうだ。

農家の人は現場を見て「おれならたたきだしてやるのだがな」という。同じ気持ちだ。しかしこの年になって暴力沙汰で警察の厄介にはなりたくない。必殺仕置き人がいれば頼みたい。

この悪行の顛末をすぐに書いた。近隣住民には危険人物がいることを周知した。近所にとっては迷惑千万。こどもがいる家庭はなおさらだ。一日も早くあの世に逝ってもらうか、引っ越してほしいと願いばかり。ここまで近所に悪行が知れわたれば、この老人は生きるも地獄、死ぬも地獄。閻魔大王だってけっして赦さないだろう。

しかしこの老人はしぶとい。わたくしが同じ罪を犯したのなら、周囲に合わせる顔がないから菜園から立ち退く。しかしこの老人は菜園から立ち退くどころかこの春になって菜園に姿を見せるようになった。どの面下げてよくも姿を見せられるものだ。罪の意識はないのだろう。ここまで厚顔無恥になれるからこそ、悪事を働くことができるのだともいえる。

事件の概略説明が長くなってしまった。ここからが本題になる。2022年4月11日から同月18日までの事実関係とわたくしの思いを、今後のためにきちんと記録しておかないといけない。この先、言った言わないの不毛な議論を避けるためにも、である。

今回の登場人物は5人。

1、浅川宝重(男70代)=我孫子市久寺家2-6-14
2、NPO・みんなの広場「風」の理事長・樋口孝之(男70代)=我孫子市久寺家2-12-12
3、NPO・みんなの広場「風」の施設長・栗原祐子(女60代)=我孫子市つくし野2-5-3
4、NPO・みんなの広場「風」の農園担当責任者・佐中(女50代)=我孫子市天王台?
5、NPO・みんなの広場「風」の農園担当・中田(男70代)=我孫子市並木

NPO・みんなの広場「風」の事業内容はホームページを見ると詳細がわかる。会社概要をネットから以下へコピペする。

会社名 特定非営利活動法人みんなの広場・風(通称:みんなの広場「風」)
住所  
代表者名 樋口 孝之
設立認証年月日 2008年09月09日
定款に記載された目的 この法人は、地域社会で生活する障害者に対し、必要とされる多様な生活支援を行うとともに、彼らが地域で安心して、その人らしくいきいきと生活できる環境の整備に寄与することを目的とする。
分野 保健・医療・福祉/職業能力・雇用機会

 

NPO・みんなの広場「風」は同じ町内にある。一戸建て住宅の空き家を借りて事務所としている。施設長・栗原祐子(女60代)が実質上の責任者だと認識している。

このNPOは農地を借りて農園をやっている。農園で障がい者のみなさんと作業をして野菜を栽培している。

農園担当責任者・佐中(女50代)は、障がい者にやさしく接しながら作業の手伝いをさせる。優しい心の持ち主だなと感心するばかり。佐中がNPOのこの農園で働くようになって10年はたっていないだろう。

NPO農園にはもう一人いる。中田(男70代)だ。この方は家庭菜園をやっていた経験があるという。耕運機、草刈り機、資材の組み立てなどまめにこつこつと働く。この人なくして農作業はすすまないというほどの存在で信頼できる。

わが菜園はこのNPO農園と隣接している。少しでも役に立てればと、微力ながらも気を遣ってきたつもりだ。友好関係を保ってきたと思っている。

浅川もこの農園をボランティア?で協力してきた。なぜ浅川に協力を求めるのか。これがずっと不思議だった。というのは、浅川の栽培技術はかなり落ちるからだ。この老人の菜園を見ればすぐにわかる。苗ものを買ってきて植えつけているのが多く、タネから育てようとしても多くはうまく育てることができない。だから難しい野菜を作れない。だが自分ではうまいと思っているからやっかいだ。想像はできるもののどうしてNPO農園と協力関係になったのかそのいきさつは知らない。

農園担当責任者・佐中(女50代)は、浅川の昨年の犯罪の内容をよく承知している。わたくしからも話をしている。そのため、ことしは浅川との協力関係を断つものとてっきり思っていた。まともなNPOなら当然そうするはずと思っていた。

ところがこれがちがった。
4月11日午前10時半。浅川宝重(男70代)がNPOの農園に出入りしているのを目撃した。ということは農園担当責任者・佐中(女50代)はことしも浅川とタッグを組むのだなとわかった。いや、すでに始まっていたのだ。

その場で、佐中にわけを尋ねた。
「浅川の行為はこのNPOとは関係ない。ことしも協力を求めていく」
たしかにこのNPOとは直接関係しない。しかし佐中は浅川の悪行をくわしく知っているにもかかわず、そんなの関係ないとばかりに、このNPOは協力関係を続けていくという意思を示した。
さらに驚くべきはつぎの発言だ。
「浅川は地主から罰を受けてそれで事件は終わったのでは? それに悪いことをする人とは思っていない。自分はそう思っている」
さあ困った。事実を直視して客観的に見ることができないようだ。思い込みだけで判断している。これまでの経験でいえば、この手の女性と議論をすることはむずかしい。

佐中に対するこれまで抱いていたイメージが一変した。 これが本性なのかとショックといってもいいほどに。NPOの職員は倫理的にも道徳的にも厳しいと勝手に思ってきただけに、この程度の見識なのかとおのれの認識の甘さを思い知らされた。

NPOとしてどう判断しているのかを聞くため、こんどは責任者の施設長・栗原祐子(女60代)4月18日午後5時から話し合った

話し合いの中で、近隣住民との信頼関係を大切にしていきたいという。それはこちらもよくわかっている。しかし、こんかいはその信頼関係をそちらが一方的に損なおうとしているからこうして申し入れをしている。

当初はすでに組織決定だとの意向を示したが、話し合の結果、この日は以下の合意となった。

1、理事長の樋口孝之(男70代)と話し合って決める。
2、1週間をめどに決める。
3、それまでは浅川との協力関係はない。

この合意事項は当然ながら農園担当の佐中にも急ぎ伝達されたはずだ。とくに3)は。

1週間のうちに組織決定があるから再度話し合いがもたれる。これまでのように近隣住民とのつながりを重視して活動していくのか、それとも平気で悪者と協力関係を結んでしまうような組織に堕してしまうのか。いまの言葉でいえば、コンプライアンスの欠如としか思えない。

次回は組織決定の内容をもちろん速報する。
ーーー
できるだけ短く事実をまとめるつもりで書き始めたのだが、わたくしの小さな脳みそは能力不足で長くなった。

      
気まぐれ山旅リポート ようこそ!ビッグファームへ


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【貸し農園トラブルⅠ】(番外)我孫子市久寺家2丁目・浅川宝重の悪行顛末記ー地主裁定から2週間、悪行の謝罪はいまもなし 近所にはこの老人の悪意に巻き込まれないよう注意を喚起

2021-07-16 | 菜園トラブル

<4回から続く

貸し農園の通路を封鎖占拠し、はては誹謗中傷をする、我孫子市久寺家2-6-14に住む浅川宝重、年齢70数歳の老人の話を続ける。

7月5日から8日まで4回にわたりこの事件の顛末を書いてきた。
今回は番外編で、地主の判断があった7月4日以降の話。地主の命令に従って、この老人が占拠していた農地にどのような変化がでてきたかをみていく。

地主の裁定は繰り返すがつぎのとおり。

1、封鎖して占拠しているのをやめ、できるだけ早く元どおりの通路を確保すること。
2、いま借りているAとBの2区画のうち、遅くも8月までにB区画を返還すること。

この老人は3カ月にわたりAとBのあいだの通路を封鎖して占拠してきた。

無題

これがその封鎖占拠している現場。上の見取り図と同じ構図。手前の畑がCとD。ネットで封鎖している向こう側がAとB。

DSC05652 (450x600)

DSC05653 (450x600)

◆↓7月3日に現場を見ると、封鎖を一部解除し、本来の半分ほどの幅の通路ができていた。地主さんによると、すぐにそう対応するよう指示したらしい。ただし全面解除ではない。

◆7月5日から8日まで4回にわたりブログに今回の事件の顛末を書く。

◆↓7月14日 全面的に占拠を解除。やっと本来の幅の通路が復活した。雑草は茂っていて手入れされていない状態だ。

◆7月12、13日の両日、この老人の住まいがある近所の皆さんへ、浅川による家庭菜園における封鎖占拠と、わたくしへの誹謗中傷を周知した。ブログへのアクセスを見ていると、近所の人はほとんどが検索して、4回連載の顛末記を読んでいるようだ。この老人の仮面の下の別の顔をしかと見てくれただろう。


この老人とは6月25日以来会っていない。どうも朝早くのうちには来て、占拠したところを解除しているらしい。当たり前の神経なら恥ずかしくて顔を見せられないはずだ。外聞が悪くて外には出られない。

7月4日に地主の判断が示されてから、謝罪は一切はない。いまもない。今回の事件でこの老人の裏の顔を知ってしまった。過ちの責任を感じて謝罪する社会常識もないのだろうからとあきらめてはいるが、70数歳にもなってそれはないだろうと思うのだが。

顛末記のその1でも触れたが、この事件に対処した最初から、この老人の氏素性がわからないのに困った。なぜこんなことを平気でやり、注意を無視して頑強に反発し、占拠をやめないどころか、はては誹謗中傷を繰り返すのか、と。

70数歳の老人がなぜここまでやるのか。不思議でしょうがなかった。どんな家に生まれ育ち、教育をうけ、社会に出て、70数歳まで生きてきたのか。

今回の事件を通して仮面の下の素顔がしだいにわかってきた。こんな老人が隣りの菜園にいたのだから不運としかいいようがないのだが、むなしいばかりである。占拠を無視するわけにはいかなかった。この事件に対応し、よもや誹謗中傷をこの老人から浴びようとは。

この事件のその後については折りにふれて書いていくつもりだ。


      
気まぐれ山旅リポート ようこそ!ビッグファームへ


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【貸し農園トラブルⅠ】(その4)我孫子市久寺家2丁目・浅川宝重の悪行顛末記ーじつは通路を占拠する前歴があり悪癖となっている 裏の顔はもう消せない 厄介者は恥じて退去してほしい

2021-07-08 | 菜園トラブル

<3回からつづく

貸し農園の通路を封鎖占拠し、はては誹謗中傷をしている、我孫子市久寺家2-6-14に住む浅川宝重、年齢70数歳の話を続ける。
顛末記の4回目。

解決したとは思っていない。一応落着したといった感じでいる。このコロナ禍だというのに振り回された。いまだに怒りが収まらない。とくに中傷は許せない(その3参照)。

じつはこの老人には“前歴”がある。いまの農地のほかに、わたくしと同じく別の地主の農地を借りている。ここでも通路の占拠をしている。通路を挟んだ農地が空くとそこを借り、通路を占拠して両方の農地を統合してしまう。だから通路は寸断されたままだ。いまも2,3本が寸断されている。

盗み癖と同じく悪癖となっている。それを見てきたので、いま問題を起こしてる農地でもやるなと見ていたら、やっぱりやった。これは注意するしかなかった。

畑ではすでに「厄介者」であったし、今回もやはり厄介者であり続けた。近所の皆さんも「近所で評判がいい」と自慢して歩くこの老人の別の顔、その正体をまもなく知ることだろう。

こんごの注目は老人の去就である。ルールを無視しての封鎖と占拠、注意されてもかたくなに反抗を続けた。しょせんは悪あがきでしかなかった。きちんと社会的訓練を受けたひとなら責任を取って、この農地から去るだろう。わたくしもそれを願う。

だがこの老人は居座り続けるのではないかと。なぜなら厚顔無恥だからだ。農家の人も、無恥だからこそ悪事を働いたことになる。そんな老人が大いに恥じてここから去っていくとは思われないという。

今回の事件を機に、地域社会でも近所でも農地でも、悪事が知れ渡る。裏の顔を見せたというよりもそれが本来の顔だ。本性を見せてしまったといっていい。それも70数歳の老人がである。悔やんでも悔やみきれない行為だ。晩節を汚してしまったのだから。どのツラ下げて生きているんだと言われてしまう。わたくしが当事者なら世間に顔向けができないでうつうつとした余生を送らざるを得ない。

世間といえば、わたくしの知るところでは、この老人はつぎの3つの団体?に関係している。
1,我孫子市のまちづくり協議会の10ある拠点のうちのひとつ、「久寺家地区まちづくり協議会」の構成メンバー。
2,我孫子市久寺家1丁目の我孫子市NPO法人ー障がい者施設みんなの風ーの畑の一部に関係。
3,久寺家地区のゴルフ親睦会・KG会のメンバー。

とくに1。我孫子市のHPを見るとまちづくり協議会の目的にこうあるーまちづくり協議会は、地域住民の相互の親睦・交流を深め、地域の環境をよくすることを協議し、自主的なコミュニティ活動を通して、「まちづくり」をすすめますー。

この老人は目的に反し、逆に地域住民の相互の親睦・交流を阻害しているとしか思えない。今回の事件を知ればだれもがそう思うだろう。なんとも皮肉な話だ。

我孫子市に電話して尋ねた。「構成メンバーに不適切な方がいましたら、我孫子市も、久寺家家まちづくり協議会会長も相談に応じます」という返事だった。

いずれにおいても、責任を取って身を引くのがいちばんだろう。ことが大きくならないうち、といってもすでにことは大きくなってしまってはいる。少し落ち着いたら我孫子市の担当者に相談する。この顛末記が参考になるだろうし、地主が証言してくれるだろう。

顛末記はこれが最終回。事件に対応し、その顛末を書いてきた。地主の裁定で、8月からの農地はこれまでとはちょっとばかりちがう風景になる。全面退去を求めているわたくしからすれば、これ以上煩わせることなく去ってほしい。切に願って筆を擱く。(完)

番外編に続く>


      
気まぐれ山旅リポート ようこそ!ビッグファームへ


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【貸し農園トラブルⅠ】(その3)我孫子市久寺家2丁目・浅川宝重の悪行顛末記ー地主の登場であれほどの強気がまたたく間に腰砕け白旗、強気は悪あがきでしかなった、破れかぶれで誹謗中傷に及んだ、これは許さない

2021-07-07 | 菜園トラブル

<2回目からつづく
貸し農園の通路を封鎖占拠し、誹謗中傷をしている、我孫子市久寺家2-6-14に住む浅川宝重、年齢70数歳の老人の話を続ける。
顛末記の3回目。

この老人は占拠をやめないどころか、かなり強気で反抗と反発を繰り返す。そこで地主に相談することにした。

◆6月25日午前11時。その日の昼近く地主さん宅へ出向き、占拠に至る経緯を説明、現場を見てほしいと依頼した。27日午前10時に現地で会うことにした。

その旨をこの老人にメールした。わたくしの行動は律義にメールし、占拠をやめるよう求める。

◆6月26日午後。収穫のため菜園に行くとこの老人とばったり。
「占拠をやめないで続けている。この農地から退去してくれないか」
これを聞いて色をなした。この男(わたくしのこと)はそこまで求めてくるのかと驚いた表情だ。まだ自分のやっていることがわかっていないのかといいたくなる。地主さんの登場でさすがに自分の立場が危ないと感じ、かなり追い込まれてきた様子が見える。

その場でわたくしに向かってこう言い放った。
「近所で厄介者のようだね」
唐突だったが、わたくしへの誹謗中傷とわかった。3度ほど同じ言葉を口にする。この老人の占拠事件とは無関係のことを言い出してきた。かなりイライラしている。追い込まれてきてどうにもならないといった様子だ。別れ際にも「近所で厄介者のようだね」とおなじ捨て台詞を吐いた。さすがにこれには我慢がならなった。だが周囲には同じ家庭菜園の仲間がいる。大きな声は出せない。

この時だと思う。この老人は許せないと。この老人の性根の汚らしさといやらしさ、追い込まれてくるとなりふり構わずここまでやる。

どこかで聞いた「倍返し」をしようか。わたくしのような老人が使う言葉ではないがやらざるを得ない。つぎはこの老人がほんとうに「近所での厄介者になる」番だ。近所の皆さんはよもやこの老人が通路を占拠し、それをやめないでいることは知らない。自称外面のよさの裏の顔を伝えて周知する。だれもが嫌悪するだろう。この連載が終わりしだい準備だ。

◆6月27日午前10時。地主に現場を見てもらう。
地主は、すでにわたくしが相談に行った25日午後に現場を見ているという。
地主の話によると、25日にわたくしが地主宅をあとにすると、すぐにこの老人が地主宅に見えたそうだ。わたくしのメールを見て飛んできたようだ。地主の登場で、こりゃまずいと思い、弁解に駆け付けたようだ。地主から占拠は困る、すぐにやめるようにいわれた。

そこで、なんとなんと「8月には占拠をやめる」といったそうだ。25日午前8時には、屁理屈を並べ正当性を訴え(2回目の顛末記参照)、「絶対に占拠はやめない」「思い通りにはさせない」とかなり興奮して叫んでいたばかりではないのか。なんだこの変わり身の早さは。毎度毎度あきれることばかり。

この老人は25日の時点ですでに白旗を上げていたのである。これでわかった。26日にわたくしへ誹謗中傷するに及んだことが。もう破れかぶれだったのである。

◆6月27日夕方、地主がわが家にきて解決の方針を示す。
1週間後の7月4日の裁定とほぼ同じものだ。これでわたくしは了承した。

このあと、地主はこの老人と会い、この解決案をのませたというわけである。

◆7月4日。地主の裁定が出た(顛末記その1参照)。

この老人はなにか勝算があって、ここまで「思い通りにはさせない」と強気の発言を繰り返してきたのか。このままずっと占拠を続けることができると思っていたのか。地主がでてきて「占拠はアウト」と言われない自信でも持っていたのか。

結果は悪あがきでしかなった。こんな老人をまともに相手したことが、なんとも悔やまれる。「バカは相手にしない。相手にするとつけあがる」。その通りの老人だった。でも占拠状態を放置できない。だれかがやらなければならない。


3回目はここまで。連載は4回で終わらせる予定でいる。貸し農園トラブルで困っているかたが多いのか、15年やっているこのブログで、訪問者数は過去3番目?に多かった。あの中傷はいまも許せない。やっぱり次の段階に入る。

その4に続く>


      
気まぐれ山旅リポート ようこそ!ビッグファームへ


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【貸し農園トラブルⅠ】(その2)我孫子市久寺家2丁目・浅川宝重の悪行顛末記ー「オレは評判がいいのだ」と自慢し吹聴するだけあって裏の顔が見えてきた さらに屁理屈で占拠を正当化する狡猾にたまげる

2021-07-06 | 菜園トラブル

<1回目からつづく

貸し農園の通路を封鎖占拠している、我孫子市久寺家2-6-14に住む浅川宝重、年齢70数歳の老人の話を続ける。顛末記の2回目。

同じ70歳代の老人同士、この老人のそこまでやるかという狡猾さと卑劣さを見せられるとなんともせつない。さっさと観念して謝罪してしまえばいいものを、なにがそうさせて占拠を続けるのか。

不可解な言動と、占拠を正当化するための屁理屈をみていると、腹が立つどころか笑ってしまう。と同時に追いつめられるとここまでやるのかと老人の醜さをみてしまい悲しくもなる。しだいにこの老人の氏素性の輪郭ができてくる。

「バカは相手にしない。相手にするとつけあがる」。かみさんはよく言う。けだし名言だろう。だが看過できない性質だから行動に出てしまう。でもさすがにこの年になってまで、こんな老人の不始末につきあわされたのは災難としかいいようがない。

以下70数歳の老人の具体的な行動を示す。

◆6月18日=2点注意と題してメールを送る。ひとつは通路に鉄パイプが30センチほど飛び出している。通行にかなり危険だから対応してもらいたい。もうひとつは、通路を封鎖占拠しているので、これをやめてもとに戻してもらい。

前者は下に示した見取り図でいえば農園入り口の赤い丸印のある所。本人も危ないと自覚してやっている。飛び出ている鉄パイプの先端に赤いポリポットつけている。赤信号のつもりだろう。いつけがしてもおかしくない。常人なら危ないからやめるだろうに、この老人は平気でやる。事故が起きたときどう責任を取るのかこちらが心配してしまう。この行為をみても自己中的な人物だとわかる。20日に確認したところ飛び出していた鉄パイプは内側に引き込んだ。

◆6月24日=通路の封鎖と占拠状態が続いている。即刻占拠をやめるようメールを送る。その日のうちに、明日こちらの“言い分“を伝えたいという返信メールが届く。

◆6月25日朝8時、農園でその言い分を聞く。かなり興奮している。言い分は占拠の言い訳に終始した。笑ってしまうほどの“言い分“であった。よくもまあ70数歳の老人が言えたものである。これで相手を説得できると思っているのだからかなりの能天気だ。

“言い分”なるものはこうだった。

「オレは評判いいんだ」ーまずはじめに「オレは評判いいんだ」と3度も繰り返した。この地区ではそうだと言いたいのだろう。なぜこの場でそれを言い出したのか。そのことを自慢してどこでも吹聴しているのだろう。小学生にだって、こんなのにろくなやつはいないといわれてしまうだろう。70数歳の老人にもなってそれがわからない。恥をまきしながら歩いているようなものだ。やはり頭がおかしいのか。外面よく、あちこちで気に入られようときっと涙ぐましい努力をしているのだろう。

「評判がいい」と自称する老人が、一方で農園で悪事を働いている。表の顔と裏の顔を使い分けている。化けの皮が一枚一枚はがれてきた。正体がばれてきた。評判がいいと自慢できるのも時間の問題。この悪行がネットで拡散する。それにこの老人の氏素性がわかればとあっというまに無視される。それがわっかていないとみえる。

「外面がいい人」をネットで検索するとかなりの記事が載っている。トップに出てきた記事を、この老人の言動に重ねて読んでみる。なんとほとんどが合致する。この記事は実に面白い。周囲に気に入られようと努めるのはコンプレックスがあるからで、表の顔と裏の顔にギャップがある。いい顔ばかりしているからストレスがたまる。そのため身近な人に毒を吐くのだそうだ。

無題

さて封鎖して占拠をしている言い分である。最初はなにを言っているのか理解できなかった。えっと驚くばかりの珍説を持ち出してきたからである。繰り返すがこの農園を貸し出すとき、通路はきちんと縄張りされていた。この老人もこれを見て知っている。通路占拠を正当化するため、なんとかわたくしを説得しなければならない。たぶん一晩考えたのだろう。こうである。上の農園の見取り図を見ながら読んでいただきたい。わたくし自身にも理解できるよう、かなり補足している。

「もともとここには通路はなく、ロープ一本で区画を分けていた。いま通路といわれているのは両側の利用者が互いが気遣って自然と幅ができたもの。それだから、「D」(注:筆者が借りている農地)に行くには、見取り図の赤いしるしのあるところから「B」と「C」のあいだは通ってはいけない。「B」と「C」のあいだは通路ではなく本来境界でしかなかったからだ。ここを通れるのはBとCの人だけ」
「それならDに行くにはどこを通るのだ」
「(見取り図の)青いしるしのところからだ」
「そこは他人の畑だ」

他人の畑を通って行けという。これをかなり興奮してまじめに言い張るのをみて、こいつはバカじゃないのかと脳みそを疑ってしまい、つい大学はどこ?と聞いたら、さらに興奮して「学歴を聞くのは最低だ」といわれてしまった。学歴にはこだわらないのだが、あまりの“珍説”にあきれたからだ。これでわかったことだが、この老人にはかなりの学歴コンプレックスがあることが。

貸し農園では、農地を区分けするため通路を設けないで、一般にロープで区分けしている。参考までに近くにある柏市あけぼの山公園の貸し農園の画像で説明する。

通路があり、その両側に貸し農地が続く。



貸し農地の隣りとの境はロープ一本で区切られている。その境には自然とスペースができる。

この老人はこのことを言っている。たしかにこの区分けだとスペースは自然とできて隣り同士だけが利用し、ほかの人はここは利用しない。

だからいまの農園でいえば「B」と「C」のあいだの道は、もともと通路がなくロープで区切られただけだから、ほかの人は通るべきではないと言いたいのである。

ここまでかなり興奮してしゃべっている。なにをしゃべっているのか混乱してきたようだ。唐突に話をやめて言い張る。
「占拠はやめない」
「思い通りにはさせない」

この老人は結論としてこういいたかったのだろう。

いま封鎖して占拠してスペースは、この老人が借りている「 A」と「B」のあいだ。ここも通路ではなく境でしかないのだから、占拠しているとは言えない、なにが文句があるのだ、といいたいのだ。

わたくしにもようやく言い分なるもがわかった。これでわたくしを説得できると思っていたのか。笑ってしまった。このたわけめ。地主はもともと農地「D」に行く道を作っていないということになる。地主までも侮辱する。

それどころか、本音をぺろっとだしてしまった。
「いまの地主は当時のことを何も知らないよ」
よくよく知ったうえで悪事を働いているのを認めてしまっている。

農園利用者で解決できると思っていたのだが、らちが明かない。平行線だ。地主さんに相談するしかない。

◆6月25日午前11時。その日の昼近く地主さん宅へ出向き、占拠に至る経緯を説明、現場を見てほしいと依頼した。


2回目はここまで。文章が下手でもうしわけない。老人の屁理屈を理解していただけただろうか。
次回3回目は、地主の登場でこの老人の態度は一変する。いままでの強気の反抗と反発はなんだったのか。しょせんは悪あがきでしかなかった。こんな老人をいまわたくしは相手にしている。この年になってだ。情けなくなってくる。義を見てせざるは勇なきなり。やっぱりさいごまでやって、悪行の責任はきっちり取ってもらおう。
3回目に続く>


      
気まぐれ山旅リポート ようこそ!ビッグファームへ


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【貸し農園トラブルⅠ】(その1)我孫子市久寺家2丁目・浅川宝重の悪行顛末記ー農地の通路を封鎖して占拠!これに地主が「レッドカード」を通告 70数歳老人の破廉恥極まる行動とは

2021-07-05 | 菜園トラブル

2021年、こんなトラブルに巻き込まれるとは不運としかしか言いようがない。73歳の老い先短いわたくしの願いはただ一つ、趣味を楽しみながらおだやかに毎日を過ごすこと。そうはいかないのが現実。趣味のひとつの家庭菜園でそれは起こった。

怒りがたぎっている。その矛先は我孫子市久寺家2-6-14に住む浅川宝重。70数歳の老人だ。たぶん後期高齢者だろう。

区分けされた貸し農地の通路を4月から封鎖して占拠、自分の農地に組み入れてしまい、ほかの人は通行できなくしてしまった。ルール違反。すぐに己の過ちを謝罪し占拠をやめればことは収まったはずなのだが・・・。あの世にいつ行ってもおかしくこんな老人がなぜこんなことをするのだろう。率直な感想である。 

この行為に対して、7月4日に地主の判断が示された。

1、封鎖して占拠しているのをやめ、できるだけ早く元どおりの通路を確保すること。
2、いま借りている2区画のうち、遅くも8月までに1区画を返還すること。

1は当然である。だれが見ても悪行でしかない。2について、わたくしはこの農地からのこの老人の全面退去を求めていた。かなわなくて不満ではあるが、地主が乗り出しての判断だけに受け入れないわけにはいかない。

これを機会に、その悪行の顛末を記すことにした。こう決めたのはこの老人の狡猾と卑劣があまりもひどかったからだ。封鎖と占拠を注意してからというもの、反省するどころか、きわめて強い抵抗と反発の言動を弄し、占拠を正当化したいがための言い逃れ、それどころか、さらにはなんと注意したわたくしに誹謗中傷するに及んだ。70数歳にしてもこれほど破廉恥で厚顔無恥ができる。驚くばかりであった。

いま貸し農園で野菜づくを楽しんでいる人も、いつこのようなトラブルに巻き込まれるかもしれない。近所の人だってこの老人が悪行を働いているとは知らないだろう。身近にこんなトラブルが起きる。厄介である。この顛末が少しでも参考になればと願う。

この3カ月のあいだ、常に頭にあったのはこの老人の氏素性だ。悪行を平気で行い、反省の色はひとつもなく、頑強に封鎖と占拠を続けた。それどころか個人まで中傷する。どんな人生を送ってきたのか。氏素性はなに一つ知らない。だが今回の悪行で一つひとつ化けの皮がはがれ、しだいに素性と本性を見せることになった。

無題

顛末を述べていくうえで、常に踏まえておきたい事実がある。この老人は封鎖して占拠しているスペースが共有の通路、利用者がだれでも通れる通路だと重々承知したうえでの悪行だというからたちが悪い。

上は菜園の見取り図。この貸農園は4区画、各20坪に区分けされている。もう何年前になるのか、当時、募集のときは白いビニールテープで縄張りされていて、縦横約80センチから90センチ幅の通路で分けられていた。4人の利用者はその日のうちに決まった。

この老人が当初借りたのが区画「B」、現在は「A」と「B」の2つを借りている。いま占拠しているのは「A」と「B」の間の通路。ネットで封鎖して通行ができない。車道側からも農園に入ることができないし、農園内からも車道に抜けることができない状態だ。ちなみにわたくしが借りているのは「D」。

画像を見れば占拠の状態が一目瞭然だ。見取り図と同じ構図で撮っている。

DSC05652 (450x600)

上の画像=見取り図と同じ位置関係で撮ったもの。縦と横の通路がある。縦の通路は先まで延びているのだが、「A」と「B」の間の通路をネット封鎖、占拠して通行できない。
下の画像=ネットで封鎖している個所。こんな状態で封鎖している。

DSC05653 (450x600)

すぐに占拠をやめればいいものを、占拠をやめないで頑強に抵抗した。悪事を正当化するため、あきれるほどの屁理屈、浅知恵を並べて反抗し続ける。「占拠はやめない」と啖呵を切った。かなりの強気で言い放った。自分の行いが悪いと知っていながら、なにがそれほどまでに強気にさせているのか。

過ちを指摘されたとき、二通りの反応をする。ひとつは過ちを認めて謝罪するひと、もう一つは過ちと知りながら、指摘されたことをかたくなに認めないひとで、あげくは指摘した人を逆恨みしてあらぬほうへ暴走して中傷にまで及ぶ。この老人はまさに後者のひとだった。

農家の人にも占拠している現場を見てもらった。だれもがあ然とする。同じ言葉を口にする。
「正気でやっているのか。頭がおかしいのではないか」
「オレだったら怒鳴り込んであすにも元に戻させる」
100人のうち99人が同じ思いを抱くはず。そう思わない人がひとりいたのである。血迷ったとしか思えない。

ところがである。なにが驚きかって、「封鎖と占拠はぜったいにやめない」とうそぶいていたこの老人が、地主の判断をあっさりのんだ。討ち死に覚悟ではなかったのか。なんのことはなかった。小心者のただの強がりでしかなかった。ここまで周囲を煩わせておいて最後はこのざまだ。要は悪あがきでしかなかった。冷静に書こうと思っても腹が立ってしかたがない。

地主が出てくるとそれまでの態度を一変させた。地主が出てくるのはわっかていたはずだ。それなのに占拠をやめない。いざ地主が前面に出てくると、急に腰砕けになった。長いものには巻かれろーそれがこの老人の人生訓なのか。封鎖と占拠を絶対をやめないといっていたのに、地主の前では8月まで待ってくれと言ったそうだ。なんとも姑息だ。勝ち目はないと踏んだのだろう。ことの始まりに素直にそうしていればいいものを。この老人の変わり身の早さにはあきれるというより怒りだ。


今回はここまで。一気に書いてしまうつもりでいたのだが、寄る年波に集中力が続かない。この種のトラブルでは、言った言わないの不毛な話し合いになる。それを避けるためつねに相手の発言をメモした。次回は、時系列でことの顛末を見ていく。しだいに馬脚を現すさま、表の顔と裏の顔、とくに自分の行為を正当化する屁理屈は見ものだ。わたくしの筆力ではそれが活写できない・・・。できるだけがんばってはみる。

2回目に続く>


      
気まぐれ山旅リポート ようこそ!ビッグファームへ


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする