30坪+20坪の菜園

BIG FARMの農事日誌です。

高野山登山=女人道ー極楽橋から奥の院(5-4)

2014-03-31 | 登山

 高野山・奥の院「弘法大師御廟」の拝殿前にて
お遍路さんと思われ、
観光客から饅頭のお接待を受けてしまった


2014年3月25日(火)
曇りときどき晴れ
コース&タイム
京都駅7:40=大阪駅=梅田駅(御堂筋線)=なんば駅-南海難波駅8:50(急行)=10:31極楽橋駅10:40ー 11:50女人堂ー12:15弁天岳12:30ー12:50大門ー14:25大滝口ー14:45円通律寺ー15:20奥の院前(バス)=千手院橋ー檀上伽藍=高野山駅17:44=極楽駅橋17:52=19:29南海難波駅=大阪・難波(泊)


25日に高野山の「女人道」を歩いた。女人が歩いた道だからといって侮ってはいけない。アップダウンがある。まさに登山であった。全国を山旅しているがこれまで高野山は遠くに感じていた。それが南海電車に乗ればこんなにアクセスがいいとは思ってもみなかった。

高野山は26日に歩く予定でいた。その日は雨だというので急きょ25日に変更した。予定では「町石道(ちょういしみち)」、すなわち九度山から大門までのロングトレイル、さらに奥の院まで歩くはずであった。

計画変更したのが当日25日の朝。京都の宿からそれ急げとばかりにあわただしく宿を出た。乗り込んだ南海電車の中で、どの道を歩くか検討した。出発時間が遅れたためロングコースの町石道は時間が足りないとあきらめた。残る選択は「高野山三山または女人道」である。「女人道」のコースを歩くことに決めた。「女人道」は「にょにんみち」と読む。わたしはつい「にょにんどう」と読んでしまう。それでは「女の生き方」といった意味に取られかねない。

女人道は、かつて女人禁制で山内に立ち入ることのできなかった女性が歩いた道。高野山は八つの峰に囲まれた山上盆地、その外周の峰々をたどるコースと思えばいい。わたしが歩いたのは南海電鉄の「南海そう快ハイキングMAP」の「女人道」のコースである。極楽橋駅から不動坂女人堂、そこから弁天岳を経て大門、そこからまた山の中に入り奥の院まで歩くコースだ。

標識は完備している。迷うことはないのだが、右に左に急に曲がるところがよく出てくる。標識をよく見て、これから歩む道を確かめたほうがいい。ぼんやりしていると道を間違いやすい。後述するがこれは反省である。


出発点の南海電鉄の極楽橋駅に着いたのが10時30分。この日の朝に急きょ予定を変更した割には乗り継ぎも順調に行った。この時間に出発できるならなんとか歩けそうだ。

 

うまくいかないときはうまくいかない。駅の改札口に「不動坂通行止のお知らせ」。昨年の台風で道路崩壊で一部通行ができなくなっているから女人道は歩けませんよ、という。困った。ここで登山をあきらめてケーブルカーで行くほかないのか。駅員に尋ねた。「それでも行っている人はいます」。ということは、崩壊個所の通過にどれほどの困難があるのか見当はつかないが、行っている人がいるということは通過できていると解釈した。

地図で見ると崩壊個所は女人堂の手前のようだと見当つけた。ここから約1時間のところだ。それなら行ってみるか。通過が無理ならここに引き返してケーブルカーで行くしかない。そう思い改札口を出た。 

 極楽橋の手前でまたも「不動坂通行不可」。徹底している。やはり無理なのか。



極楽橋を渡る。

 

石畳の不動坂を行く。熊に注意との看板があちこちにあり、ここでストックに熊よけ鈴をつけた。



ケーブルカー。

すぐに石畳の道を離れて、右の旧道に入る。この道は昔の参拝者が歩んだ道を復活させた。山道である。登山道らしくなった。



旧道を30分ほど歩くとまた石畳の道に合流する。



すぐに清不動堂。このお堂の奥からまた旧道に入る。

花折坂



花折坂からすぐのところが「不動坂通行不可」の道路崩壊のところだった。
極楽橋駅を出て約1時間。読み通りである。
たしかに石畳の広い道の、左の谷側が崩れている。ブルーシートが崩壊個所を覆っている。



さて道はどんな具合か。通行できるのかできないのか。通行するにはまったく問題はなかった。きちんと通行できるだけの道が確保されていた。この道なら子供でも通行できる。危険はところはまったくない。それなのになぜ「通行不可」なのか。とにかく通過できてほっとした。これで女人道コースを歩ける。

ほんの少し先にも「通行不可」の注意。どうなっているんでしょうね、といいたくなる。

この道路崩壊個所の目と鼻の先に女人堂。大日如来に手を合わせる。



この先は山内。かつて“女人”は入れなかった。



「女人道」も高野山内には入らず、再び山の中の道を歩む。
女人堂の道を挟んだ向かい側に「お竹地蔵」、その右手から道が延びている。

道標は「弁天岳へ」とある。このコース上には女人堂跡が数カ所ある。

これから歩くコースにはこのような標識がある。きのうの比叡山の「京都一周トレイル」の標識と同じようなものだ。何度も言うが、このコースは間違いやすいから、この標識を確認して歩いたほうがいい。



弁天岳。高野山を取り囲む八つの峰の一つ。弁財天が祀られている。



弁天岳で昼飯。ここは展望がいいのだが、きのうの比叡山と同じく、春霞で遠望はきかない。

 弁天岳を後にして下っていくと、当然大きな建物。高さ25メートル。山の中にこれだけの大きさ。これが大門。



左右に金剛力士像



当初歩くはずだった「町石道」はこの大門の正面に出てくる。この町石道、機会があれば歩きたいですね。

 門をくぐってみる。

 



目の前に「町石 六町」があった。

 女人道は、もちろんここから大門をくぐらない。女人道は大門を右に行く。また山の中の道だ。 

尾根に出ると根本大塔が見えた。

 

展望がよくなる。



大門から約40分。「17ポイント」の標識のところで道を間違えた。この標識を確認したのに間違えた。



ここで正しくは左に直角に曲がるのだが、わたしは道なりにまっすぐに進んでしまった。広くいい道だなとのんきにかまえていたのだが、標識がいつまでも出てこないことに気がついた。戻ることにした。やはり間違っていた。タイムロスは40分。ここは間違いやすい。



鉄塔跡



ここがこの女人道の最高点946㍍。

そこからの眺め

大滝女人堂跡

円通寺

 彌勒峠祠

やっと中の橋のゴールである。なんと駐車場のところに出てきた。逆コースを取るときはこの登山口をさがすのに手間取るのではないかと思える場所だ。

この女人道コース、極楽橋出発が10時40分で、ここに到着が15時20分。思った以上にアップダウンがあったり、道を間違えたりと、体力を使った。登山の道である。 
予定よりだいぶ遅れている。帰りの時間が気になる。急ごう。

道路挟んだ向こう側が奥の院。

 供養塔と墓所の中を進む。

弘法大師の御廟が見えた。手前が御廟橋。ここで一礼。

御廟の拝殿前。わたしは登山姿だ。ザックを背負い、ストックには熊よけの鈴をつけている。歩くたびに鈴が鳴る。その姿が場所がら、お遍路さんに見えるらしい。なんども声を掛けられた。弘法大師に手を合わせた。

ここまできたのだからもうひとつ行くところがある。檀上伽藍である。そこまで歩くつもりでいた。すでに16時を過ぎた。きょうは大阪の難波泊まり。帰りの時間を考えて檀上伽藍までバスを利用した。

高野山の伽藍は、きのうの比叡山の伽藍と同じく見応えがあった。もっとゆっくり見学できるよう時間を取るべきであった。

金剛峯寺。ここでもまたも遍路さんと間違われた。それもドイツ人の若い観光客から「四国の88カ所はもう済んだんですか」。流暢な日本語だった。

つぎは檀上伽藍。



わたしが気に入ったのは御影堂。

すでに17時に近い。拝観はそろそろおしまい。やはりもっと早い時間にきて、ゆっくり見るべきであった。
帰路に着こう。高野山駅行きのバスを待っていたら、女人が運転する車が止まった。高野山駅まで送ってくれた。

ケーブルカーで極楽橋駅へ。

きょうの宿は南海難波駅に近く、着いたのは20時になっていた。このあたりの町は活気がある。梯子酒したくなるが、あしたがある。一軒だけにして宿に戻った。


きょう25日の宿を南海難波駅近くにとったのは、26日に町石道を歩くためであった。始発の南海電車に乗るためである。それが天気の関係で一日繰り上げて京都の宿からの出発となった。「町石道」から「女人道」に変更したのだが、その女人道が「通行不可」というのだから運がないと嘆いた。それが幸いにも「通行不可」の道を通過できてまずまずの登山ができた。あしたは本降りだというから、一日に繰り上げての高野山登山はいい決断だった。

これで当初予定の比叡山と高野山を歩くことができた。あしたは京都の神社巡りである。ゆっくりしよう。


 

2014年春の山旅
3月23日(日)[伊勢参り] 大津(泊)
3月24日(月)[比叡山登山(坂本から修学院)京都(泊)
3月25日(火)[高野山登山(女人道)] 大阪(泊)
3月26日(水)[京都の神社めぐり]


    
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比叡山登山=坂本から修学院へ(5-3)

2014-03-30 | 登山

比叡山の山頂「大比叡」への道はわかりにくい。だれもいないのでセルフで撮った


2014年3月24日(月)
晴れときどき曇り
コース&タイム
大津駅7:45=(山科経由)=8:13比叡山坂本駅8;25-8:45本坂登山口ー10:00亀塔ー10:40根本中堂ー11:05阿弥陀堂ー11:40大比叡11:55ー12:00駐車場12:35ー12:50つつじヶ丘-13:00標識「北山3」ー13:10ケーブル比叡駅ー13:50山飲対陣跡ー14:20雲母坂登山口ー14:45修学院駅=(比叡電鉄)=出町柳駅-下鴨神社(バス)=上賀茂神社(バス)=京都駅-京都(泊)


比叡山へは、滋賀県の坂本から登り、京都の修学院へ下山するルートを取った。登山であるが、延暦寺の伽藍はこのさいだからとゆっくり見て回り参拝した。年を取っての登山にはこんな楽しみがあってもいいのかなと思える山旅であった。

ネットで山行記録を読むと、山頂への道がどうもわかりにくいらしい。坂本から入ると山頂への道標がないというから、2,3の記録を見ては山頂への道のポイントをある程度つかんでおかなければならなかった。これは修学院から登ってきても同じで、根本中堂への道標はあるが山頂へのそれはなかった。この山は参拝が目的なのはわかるが、少しは登山者への配慮があってもいいのではないかと思う。


大津駅から山科駅乗り換えで比叡山坂本駅で下車。



登山口への道が西へまっすぐに延びている。正面が比叡山で、山頂近くに建物が見える。日吉大社の鳥居が迎えてくれる。

 

道が広々としてきた。すがすがしい。これが「日吉馬場」というとろか。沿道は桜の並木。

 道が左にカーブするところに、右に「日吉大社」の鳥居、左に「比叡山延暦寺」の石碑。

 道路を離れ、「比叡山延暦寺」の石碑の先に見える石段にすすむ。

 ここが本坂登山口だ。石段の前にこの表示がある。

石段を登っていると左から読経がスピーカーから聞こえてくる。比叡山高校の朝礼だった。 

 石段を登りきると左からの道と出合う。そのまま直進。

こんどは南善坊の一直線に延びる階段が見えてくる。南善坊石段の手前にこの階段を登らず左へ行く道がある。この道を取ってもいいようで、石段の上部で合流する。わたしはこの「50段」の石段を取った。

石段の途中に展望台がある。お天気はいいのだが春がすみ。肉眼では琵琶湖が見えるのだが、わたしのカメラではさっぱり写らない。

石段を登りきると、すぐ左手に「出入口」の柵がある。ここを抜けると、南善坊「50段」の左手前から入る道と合流する。 

やっと登山道らしくなってきた。登山者はわたし一人。月曜日ということもあって、きのうの伊勢神宮の喧騒がうそのような静けさだ。わたしはこの静かさを好む。すぐに初音が迎えてくれた。この春はじめて聞く。

あとはひたすら展望のない道を登る。左に「伝教大師母君の遺跡 花摘堂跡」。見てみるかと登山道を離れて少しばかり進んだが、どれくらいの距離と時間がかかるのか、わからない。途中で引き返してきた。

 こんどは右手に小さなお堂。

すぐ隣りに慈覚大師御廟への道 

 その御廟に行ってみたい気がするは少し遠いようだ。ここはあきらめて先に進む。

 こんどは左手に「法然上人得度御霊場」。
ここは登山道からすぐなので見ることにした。さすがに次々と歴史上の人物が出てくる。



最後の急坂を登ると延暦寺会館。坂本駅から山のてっぺん見えた建物はこれかな。
ここでふと気がついた。「亀塔」を見ていない。見落としたらしい。左右気をつけながら登ってきたつもりだ。それらしきものはなかった。しかし気になるもので、きた道を戻ることにした。やはり見当たらない。もしかしたらと、途中のあの小さなお堂の周辺をさがした。やはりそこにあった。こんなところにあるのでは見落とすはずだ。

これが「亀塔」。亀が石碑を背負っている。内容はというと私にはさっぱり読めません。
これで気が済み、また急坂を登り、延暦寺会館に到着。17分ほどのタイムロス。

ここから東塔の伽藍。せっかくきたのだからだからゆっくり見てまわろう。
ここにきてやっと人に、観光客の姿を見るようになった。

まずは根本中堂。

 大講堂

 戒壇院

 東塔(左)に阿弥陀堂(右)

 

うららかな春の日にお寺見物もなかなかいいものだ。立派な堂塔に見とれてしまった。
きのうは伊勢神宮でなんども柏手を打ち、きょうはなんども合掌です。

伽藍見物で少しばかりゆっくりしてしまった。

さあ、山頂を目指そう。ここからが肝心なところ。

山頂への道は、東塔と阿弥陀堂のあいだを進み、写真正面の回廊?の下を通り抜ける。

出ると裏手のすぐ左に細い階段の道が見える。(右手に行く道もあり先で合流する)。この階段を登り、道なりにさらにほんの少し高みに進むと、また階段が出てくる。



それがこの階段。 ここまで山頂への道標はいっさいない。さすがにこの道でいいのかなと不安になる。

この階段を登りきると、さあどっちに行くんだと、またも高みを目指してほんの少し進むと、やっと道標が出てきた。
これでひと安心。左にカーブして雪解けでぬかった道を登る。あとは道なりに進めばいい。



NTTの無線中継所。

 テレビ局のアンテナ群。

 さらに貯水槽。

 この貯水槽のすぐ眼の前が山頂だ。道標はない。

山頂への 踏みあとがある。

ほんの少しばかり登ると山頂「大比叡」である。一等三角点と山頂標識。木立に囲まれて展望はない。 

さて写真を撮りたいのだが、待っていてもきょうは登山者はこないだろう。セルフタイマーで撮るほかないようだ。ぐらぐらする三角点木柱のうえにカメラを置いて撮るのだが、どうにかトップに掲載した写真と下の写真を撮ることができた。展望がなく、うす暗いので長居は無用。

すぐ先の山頂駐車場からの眺めがいいというからそこで昼飯にしよう。

下山は京都の修学院を目指す。山頂を振り返る。この木立の中が山頂だ。 

すぐに山頂駐車場。かなり広い。後ろを振り返るとつい先ほどまでいた山頂だ。



この駐車場からは眼下の眺めがいいのだが春霞でぼんやり。肉眼では琵琶湖が見えるのだが、カメラではやはりこの通り。この景色を眺めながら昼飯。「こんにちは」。振り返ると女性の登山者。坂本から登ってきたという。月に一回は比叡山を歩いているようだ。下山の途中にある「つつじが丘」は5月下旬が花期ですばらしいところだと教えてくれた。それなら立ち寄ってみようか。



下山開始。広い駐車場から「ケーブル比叡」への道を取り、途中で「つつじケ丘」への道に入る。



見上げるとロープウエー。



「つつじヶ丘」の分岐の標識「北山3」。この京都一周トレイルの標識は各所にあり、おかげで迷うことなく修学院へ下山できた。



スキー場跡

ケーブル比叡駅



ここに「東山74」の標識がある。



水飲対陣跡にある最後の標識「東山69」。



水飲対陣跡の石碑。



右手に修学院離宮の金網が続く。



きらら(雲母)坂の登山口に着いた。 



ここからは音羽川に沿って修学院駅を目指す。

 

 振り返ると正面に比叡山。結構な道を歩いて来たんだ、とわかる。

2回ほど道を尋ねて、どうにか叡山電鉄の修学院駅に着いた。このあと出町柳駅から下鴨神社と上賀茂神社を参拝。宿に着いたのは予定よりだいぶ遅れてしまった。 



前日の伊勢神宮ではかなり歩いてすっかり疲れてしまった。きょうの登山が心配になったが、登山のための別な体力があるようで元気に歩けた。それでも駅にゴールしたときはやはり脚が重かった。4カ月ぶりの登山だからまあこんなもんだろうなと納得している。


 

2014年春の山旅
3月23日(日)[伊勢参り] 大津(泊)
3月24日(月)[比叡山登山(坂本から修学院)京都(泊)
3月25日(火)[高野山登山(女人道)] 大阪(泊)
3月26日(水)[京都の神社めぐり]


    
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お伊勢参りー人波をかきわけて(5-2)

2014-03-29 | 登山

 

 外宮(豊受大神宮)の正宮
神様は
昨年の式年遷宮でこの新宮に引っ越した。ヒノキの木肌が真新しい


2014年3月23日(日)
晴れ
コース&タイム
3月22日(土)東京駅23:10(ムーンライトながら)=3月23日(日)[伊勢参り] 5:20名古屋駅5:40=(亀山経由)=8:41伊勢市駅-月夜見宮-外宮(正宮、多賀宮、土宮、風宮)=(バス)猿田彦神社-月讀宮-内宮(正宮、荒祭宮、風日祈宮)-おかげ横丁-神宮会館(バス)=伊勢市14:20=(津、亀山、柘植乗り換え)=17:52大津駅-大津(泊)


伊勢神宮は参拝者であふれていた。あまりの人出にあっけにとられてしまった。その一人だということは十分承知している。春休みで天気がよい日曜日、昨年10月に式年遷宮が行われたばかりで伊勢参りブームだとわかってはいるものの、これほどまでに参拝者が多いとは思ってもみなかった。時期を誤った。いや年中こうなのかもしれない。

この人波では荘厳な雰囲気はまったく感じられなく、あわただしく参拝するほかなかった。神社は静かで清らかでないといけない。だれもいない早朝、この場所にひとり立ってみたい。そんな思いである。

わたしの生家は神道である。子どものころは神様になじんでいた。家には神棚と仏壇があった。朝ごはんの前に仏壇に手を合わせ、神棚には柏手を打つ。わたしはたびたびさぼった。バチがあたるとよく怒られた。家が神道だと実感したのはもう30年ほど前に亡くなったおふくろの葬式だった。神主さんがやってきた。お祓い、玉串奉奠と見慣れない儀式が続く。それを見ているから、昭和天皇の葬儀をテレビで見ていて、やっていることはわが家と同じだなと畏れ多くも思ったものだ。

全国の山を歩いていると神社は身近だ。ふもとには大きな神社があり、山頂には奥宮があることが多い。わたしが山を歩いて立ち寄った神社の中で、神の存在を身近に感じたのは福井県勝山市にある平泉寺白山神社である。社殿はなく?古神道の雰囲気がみなぎり、静寂で清らかな空間のなかに神様が存すようで、厳かな気分になったことをよく覚えている。よほどその場所が気に入ったとみえて数年後に再訪したのだが、最初の時よりは印象が薄かった。

神社を意識して全国を歩いたことはない。あくまでも登山のついでである。こんかい、どういう風の吹きまわしか、神社を回ろうと思い立った。いつもの気まぐれである。伊勢神社のつぎは京都にある「総本社」といわれる神社もあわせて歩くことにした。

■伊勢神宮ーわたしの歩き方

外宮の正宮と別宮、内宮の正宮と別宮のすべてめぐることにした。

伊勢市駅→外宮(月夜見宮→正宮→風宮→土宮→多賀宮)=(バス)=猿田彦神社→内宮(月讀宮→風日祈宮→正宮→荒祭宮)→おかげ横丁=(バス)=伊勢市駅

1)外宮

午前9時 
1-1)別宮ー月夜見宮
外宮の別宮で、この宮だけ外宮の神域から離れたところにある。伊勢市駅からは外宮へ真っすぐな道が延びているが、その前にまずは駅近くのこの宮へ。駅から右へ行くとすぐにわかる。

正宮へ向かう。

午前9時25分
1-2)旧正宮 まだ解体されていない。この4月から工事に入るという。

1-3)昨年遷宮した新しい正宮。内部は撮影禁止。



左に新宮、右に旧宮

午前9時33分
1-4)別宮ー風宮

午前9時45分
1-5)別宮ー土宮

午前9時57分
1-6)別宮ー多賀宮

こんどは外宮前から猿田彦神社に向かう。三重交通バスで猿田彦神社下車。

午前10時32分
2)猿田彦神社

現在、耐震工事で社殿を修理中。

3)内宮

午前10時46分
3-1)別宮ー月讀宮
この宮は、外宮の月夜見宮と同じように、内宮の神域から離れたところにある。
猿田彦神社から徒歩15分。この日めぐった社でわたしが気に入ったのはこの宮。



 

別宮ー月讀宮から徒歩30分。
いよいよ内宮へ。

午前11時40分
宇治橋を渡る。

五十鈴川

正午
3-2)別宮 風日祈宮

午後0時8分
3-3)新しい正宮。旧正宮は立ち入り禁止。

午後0時25分
3-4)別宮ー荒祭宮

4)おはらい町 、おかげ横丁

神宮会館からバスで外宮へ。外宮から伊勢市駅まで歩いた。

これですべてのお宮をお参りした。お参りしたというよりもお宮を見て回った、といったほうがいいのかもしれない。とにかく参拝者が多い。圧倒された。人込みの中を歩くと、山を歩くよりも疲れる。夜行列車だからいっそう疲れた。

最後は伊勢市駅近くの[山口屋]で伊勢うどんを食べた。ここも満員だった。それでも人波から抜け出せて、ここでやっと人心地つけた。そんなお伊勢さん参りであった。


 

2014年春の山旅
3月23日(日)[伊勢参り] 大津(泊)
3月24日(月)[比叡山登山(坂本から修学院)京都(泊)
3月25日(火)[高野山登山(女人道)] 大阪(泊)
3月26日(水)[京都の神社めぐり]


    
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青春18きっぷでゆくー春の山旅(5-1)

2014-03-28 | 登山

 3月22日 青春18きっぷで乗った「ムーンライトながら」。やはり眠れなかった

青春18きっぷで春の山を歩いてきた。こんかいの旅ではJRの夜行列車を利用した。青春18きっぷ関連の記事を見ると必ず夜行列車の「ムーンライト」が出てくる。青春18きっぷで乗ることができるから人気がある。指定券は早々に売れ切れるという。年を取ると時間はたっぷりある。目的地へ急いで行くこともない。その気になれば青春18きっぷは使い勝手がいい。青春18なんていうから少しは浮かれた気分になれるのもいい。でもちょっとばかり照れくさい。そこで以前にも書いたように老人のわたしには「黄昏60きっぷ」といったほうがぴったりする。

夜行バスは3列シートが登場してから登山のときによく利用する。夜行列車のほうはもう何十年も利用していない。そこで青春18きっぷでムーライトを利用する計画を立てることにした。計画を立てるのは好きだ。バスと列車を組み合わせて山をめぐる日程を作るのは楽しい。こんな楽しみを放棄してツアーなんかに参加しようとは思わない。ただ、机上の計画を繰り返すと疑似体験で行った気分になってしまうことがあるから困るのだが、計画はしっかり立てないと山はこわい。ぶらっとひとり旅なんていうが、これが楽しいのは若い時だけで、年を取ると念入りに計画を立てなければ旅先で失敗する。失敗もいい思い出なるなんていう年はとっくに過ぎた。

こんかいの行き先は京阪地区。比叡山と高野山の参拝をかねてふもとから登山する。あわせてお伊勢さんと京都の神社をめぐることにした。以下が当初の計画である。

3月22日(土)東京駅
3月23日(日)[伊勢参り] 大津(泊)
3月24日(月)[比叡山登山(坂本から修学院)京都(泊)
3月25日(火)[京都の神社めぐり]大阪(泊)
3月26日(水)[高野山登山(町石道)] 
3月27日(木)東京駅

夜行列車の指定席の発売は通常は1カ月前だが、「えきねっと」を利用すると発売日のさらに1週間前に予約受付ができる。こんなサービスがあるとは知らなかった。ムーンライトをこれで予約した。1カ月先の天気はわからないからイチかバチかである。やはり晴れ男なんですね。出発当日に週間予報を見ると雨のマークはなし。気分よく家を出ることができた。

しかし結果は次の通り。25日の早朝の時点で26日が本降りの雨になるという。あわてて26日予定の高野山を繰り上げて25日に歩くことにした。出発が遅れたので楽しみにしていたロングトレイルの「町石道(ちょういしみち)」はあきらめて「女人道(にょにんみち)」を歩いた。

3月22日(土)東京駅
3月23日(日)[伊勢参り] 大津(泊)
3月24日(月)[比叡山登山(坂本から修学院)京都(泊)
3月25日(火)[高野山登山(女人道)] 大阪(泊)
3月26日(水)[京都の神社めぐり]
3月27日(木)東京駅

なぜこんかい比叡山と高野山なのか。この冬に知人と3人で酒を飲んでいた。高野山の話が出た。わたしだけが行っていない。これまでもその気持ちはあったのだが行っていない。これが旅の引き金だ。このさいだからと比叡山も合わせて歩こう。最澄と空海を訪ねる旅であるが、気分はあくまでも登山である。

さらに企画は膨れて、お伊勢さんと京都の神社をめぐることにした。高野山ではザックを背負い、熊除けの鈴をストックに付けているから、遍路さんだと思われた。毎日なんどもなんども合掌し、拝礼していると気持ちまで変わってくるのがよくわかった。冬のあいだに縮こまってしまったからだと心がしだいにほぐれていく。旅の効用を実感できる。

よく歩いた4日間だった。久しぶりに脚を酷使した。窮屈な日程だっただけに目いっぱい遊んだ、そんな気分でいる。疲れが心地よい。

■3月23日(日)晴れ [伊勢参り] 大津(泊)

  

■3月24日(月)晴れ [比叡山登山(坂本から修学院)]京都(泊)

  

■3月25日(火)くもりときどき晴れ [高野山登山(女人道)] 大阪(泊)

   

■3月26日(水)雨のちくもり[京都の神社めぐりー石清水八幡宮、伏見稲荷大社、八坂神社、知恩院、北野天満宮]

  


次回からはこの山旅を記録する。

2014年春の山旅
3月23日(日)[伊勢参り] 大津(泊)
3月24日(月)[比叡山登山(坂本から修学院)京都(泊)
3月25日(火)[高野山登山(女人道)] 大阪(泊)
3月26日(水)[京都の神社めぐり]


    
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出てきた出てきた、ハクサイの菜の花

2014-03-22 | ハクサイ

まだかまだかと葉の中をのぞき込む。この寒さではたぶんまだだろうとわかってはいても、畑に行っては毎日のようにその時を待っている。まるで愛しい人との逢瀬を指折りかぞえているのと同じ気分だ。

その相手とは、白菜の菜の花である。なんとも色気のない話なのだが、白菜の菜の花は、わたしにとっては春の到来を実感させてくれる。その姿をみるとうれしくなるのだから、まさに愛しい人と同じなのである。

もちろんこれを食べる。食べるといっても花を食べるのではなく、花を咲かせる前の花蕾である。でもまだ少ない。もうしばらく待たねばならない。白菜の花蕾って、待ち焦がれるほどにうまいものなのかと問われると、ぜひに!といいたいのだが、これは気分を食べるものである。春か来たという喜びを食べるのである。

しかしやっと会えたばかりなのに、わたしはこれから数日の旅に出る。戻るまで我慢だ。わたしもやっと炬燵から這い出して啓蟄のときだ。すっかり冬ごもりしてしまった。雪山からも遠ざかった。これも寒さに弱くなったからである。しかしこのまま横着していると冗談ではなくホントに引きこもり老人になってしまう。ザックを背負って家を出ることにした。


    
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4月になったら春キャベツ

2014-03-21 | キャベツ

3月に入るとテレビでも雑誌でも春キャベツが取り上げられ、よく目にする。冬キャベツとはまるで別ものだ。巻きがゆるくてふんわりとした姿、葉のやわらかさと若やいだ色合いを見るにつけ、春の到来をいち早く知らせてくれるようで心までもやさしくしてくれる。

わたしの菜園の春キャベツは4月から5月にかけて収穫できる。4月のキャベツは、それはそれは春らしく、キャベツというよりもレタスかと見間違うほどふんわりとして軽やかだ。こちらまでそんな気分になる。

春キャベツといえは4月と思っているだけに、3月にテレビ雑誌に登場する春キャベツをみると、いつものことだが「もう春キャベツか」という違和感を持つ。それにわが家では冬キャベツをすべて食べてしまってからは春キャベツの収穫まではスーパーで買ってくる。3月に買って食べたキャベツはこれほどマズイものはないと思ったほど硬かった。かみさんが安売りのものを買ったのかと疑ったほどだ。

そんなわけだから、テレビや雑誌の春キャベツはたんに季節を先取りしているだけで、実際に3月初めにあのふんわりやわらかい春キャベツがスーパーに並んでいるはずがないと思ってしまう。もちろんこれは千葉県の北西部に住むわたしの狭い了見でしかない。全国広いのだから3月に春キャベツが収穫できる地域があってなんの不思議もないことはわかっている。それでも、である。

わが家はキャベツをよく食べる。わたしはそれほど好きではないのだがそれでも食べる。それを見越してタネをまくのだがいつも足りなくなる。キャベツは夏まきと秋まきだ。前者は冬に、後者は春に収穫できる。キャベツの品種は多い。家庭菜園だからこそこれはと思う品種があれば少しずつ作ることができる。いろいろ試してみたけれど、いまは夏まきも秋まきも金系201号に落ちついてしまい、新しい品種をこの数年作っていない。これでは面白くない。ことしはとんがりキャベツを作ってみようかと思っている。


    
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冬野菜を完食

2014-03-20 | ホウレンソウ

 ↑最後のホウレンソウ。よく食べました

 ↓チヂミホウレンソウ。よく見かけるようになった


冬野菜を食べ尽くした。すべての冬野菜が畑から消えた。ダイコン、ニンジン、ハクサイ、ホウレンソウ、ネギ、ブロッコリー・・・。2人暮らしの野菜を“過不足なく”育てる。これが簡単なようでむずかしい。好きなものは多く作るが、それでも不足してしまうことがよくある。

最後まで畑に残ったのがホウレンソウと冬ネギとブロッコリーだ。3月末になっても収穫できるものが畑に残っているのはありがたい。これも計画のうちである。でもそれそろ食べ尽くさなければならない。気温の上昇とともにトウが立ってくるからだ。

冬ネギは九条太ネギと下仁田ネギ。いつものように大量に作り食べた。よく食べた。満腹した。それでも残っている。とうとうトウが立ってしまった。自家採種するのものを10株ほど残し、ほかは抜いて廃棄した。ネギは大量につくるから毎年こうなる。

わが家のホウレンソウはチヂミホウレンソウ。最近は周辺の農家もこの品種を作るところが多くなった。十数年前にわたしが作り始めたころはだれもいなかったのに。うまいとわかればだれだって食べたくなる。ホウレンソウは毎晩のおかずにかかせない。慎重に作付けする。4回に分けてタネをまく。それでも早めになくなってしまい、不足がちになる。今年はうまく行った。まだ残っている。しかしトウが立つ気配だ。それっとばかりに毎日ホウレンソウを食べている。

収穫できるものとして畑に残るのはブロッコリーだけになった。側芽花蕾を盛んにつけてくれる。花芽が大きくなる前に摘むのだが、生長に追い付かない。これも4月に入るとおしまいになる。

よく食べた、満足だ。そんな思いにさせてくれた冬野菜に感謝だ。


     
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春のタネまき準備

2014-03-18 | その他

 

春めいてきた。寒風に身をさらすこともなくなり、農作業が気分よくできるはずなのだが、花粉症でどうにも気分が重い。わたしの花粉症は数年前に突然にやってきた。それも5月中旬から6月にかけてがひどい。3月の症状は気にかけるほどでもなかっのだが、ことしはスギにもヒノキにも敏感に反応するようになった。自分が花粉症になるなんて思ってもみなかった。外をふらふらするのが好きなわたしだが、花粉情報によっては外出をためらってしまう。しかし春は外に出ておいでよと誘う。木々は芽を膨らませ、すでにうっすらと色づいてきた。梅も満開だ。それに菜園がある。どうしても覚悟して外に出てしまわなけばいけない。

そろそろ春の種まきと植えつけの計画だ。これが楽しい。きのうは天気がいいものだから、種を買いに近くのジョイフル本田まで自転車で行った。もちろんマスクをして。月曜日なのに、きょうは週末かと思ってしまうほどの人出だった。

1回目のタネ購入リスト。
・島オクラー角オクラではなく丸オクラ。
・トウモロコシー次々と新品種が出てくるからなにを買っていいのかわからなくなる。
・エダマメーいつもの湯あがり娘
・インゲンーたぶんケンタッキーだろう。
・赤チリメンシソー昨年に続き今年も梅干しを作るから。
・ルッコラー春の葉ものに必ず作っている。
・千日紅ー夏のあいだずっと咲いてるので庭にプランターに重宝する。

畑はすでに石灰と元肥をまいて耕うんしてある。準備万端である。あとはこれらの種をまき、苗を植えつけていく。花粉症と闘いながら励まなければならない。

すでにニンジンのタネまき、ジャガイモの植えつけ、サトイモの伏せ込みを済ました。これから狭い菜園はまたたくまに手狭になる。次はトウモロコシのタネまきだ。


    
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生育が悪いタマネギに追肥

2014-03-16 | タマネギ

タマネギの生育が悪い。そこで2月下旬に追肥をした。

タマネギは元肥だけで作っている。定植から収穫までの間に追肥をいっさいしないで育てている。それがことしはちがった。2月になっても細くて弱々しく小さい。タマネギは春先になると動き始めるというのは経験的にわかっている。3月上旬までこのまま様子を見るべきか。いや、手遅れになってはいけない。というのではじめて追肥をやった。

それから半月、追肥が功を奏したのか、それとも春に目覚めて葉を伸ばしてきたのか。いまでもいくぶん背丈は小さいものの、3月中旬でこの程度ならなんとかなるだろうと楽観できるまでに育ってきた。4月上旬に再度追肥をしなければならないかと思っていただけに「これでなんとか」と眺めている。

生育が悪い原因はわかっている。自家苗の作りが悪かったからだ。苗として使えるまでに大きく育てることができなかった。苗に大小のばらつきがあって、小さいな苗を定植するときには不安があった。しかし定植時期を逃してはいけないと植えつけてしまった。

タマネギの自家苗づくりは何年やってもわたしにはむずかしい。いまも成功よりも失敗することが多い。それでもタマネギは自家苗栽培にこだわる。タネギ栽培の面白さは苗づくりにある、というより定植したら手間ヒマ要らずに育ってくれるから、自家苗づくり以外に栽培の楽しさはタマネギにはないのである。

わたしのタマネギ栽培は15㌢間隔の黒マルチ5条を使っている。追肥をやるにはマルチの片側をめくり、すんだらまたマルチを埋め戻すのだろうが、面倒なのでマルチをすべて取り除いてしまった。これがいいのか悪いのかわからないままにそうしてしまった。「たぶん大丈夫だろう」。これも経験である。300個の収穫がいつもの目標なのだが、今年はどうなるか。 

↑ことし1月のタマネギ

↓黒マルチを取り除いた3月中旬のタマネギ


    
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気になるサトイモの親イモ分割栽培法

2014-03-13 | サトイモ

きのう3月12日の記事で触れた「サトイモ分割育苗法」(月刊現代農業4月号・農文協)がどうにも気になる。親イモの上部半分を将棋の駒ぐらいの大きさに切って種イモとして使うというものだ。この方法を試すのは次回(来年)に持ち越して、ことしは親イモを分割しないでそのまま使うことでやってみようと決めたのだが、どうにも気になって仕方ない。気になりだすと落ち着かなくなる。気が済むにはやってみるしかない。

ということで、すでに伏せ込んだ親イモを掘り出した。1個だけでいいだろう。とりあえずことしはこれで様子を見ることにした。

まず頂芽を切り取る。

将棋の駒の大きさまで小さく分割するのはどうかと思うので、これならと思うくらいの大きさに分割した。8個に分割した。1個が約30グラム。これぐらいだろうかなと思うのだが、やったことがないからこの先どうなるのかまったく見当がつかない。

切り口を乾かす。

この8個をきのう3月12日に伏せ込んだ。
1個から何本かの脇芽が出てくるはずだ。芽が出てきたら1本を残して定植する。芽出しには1カ月かかる。

まとめるとこうなる。ことしは種イモに、子イモ孫イモに加えて親イモも使う。
・親イモの上部半分(下部半分は捨てる)を分割しないでそのまま使う。芽を上に向けて植えるのと逆さに植えるの2通りを行う。
・親イモの上部半分(下部半分は捨てる)を8等分に切って使う。

3回続けてサトイモの話になった。新しいことに挑戦するという大げさなものではないのだが、ことしのサトイモはこれからが楽しみだ。遊べる。


    
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サトイモの催芽は伏せ込みで

2014-03-12 | サトイモ

 ↑伏せ込み。ことしは4種を作る。親、子、孫イモ合わせて90個ほどを植えて芽出しを行う

↓サトイモは高温が好き。出芽させるために2重にビニールでトンネル掛けした

ことしのサトイモは、種イモに子イモ、孫イモばかりでなく親イモも使ってみよう。前回そんなことを書いた。きのうのこと、種イモに親イモを使っている農家の人が、いま発売中の月刊「現在農業4月号」(農文協)に関連する記事が載っていると教えてくれた。なんともタイミングがいい。その「サトイモ分割育苗法」を読んでみた。種イモは大きいから生育がいいというものではなく、ごく小さな種イモでは生育は変わらないと書いてあり、その方法として親イモの上半分を将棋の駒の歩のサイズくらいに小さく切って、種イモとするというものであった。

わたしはてっきり親イモをそのまま種イモとしたほうが生育はよく、収量もいいと思いこんでいた。こんな記事を読むと迷う。これは知識として覚えておいて、ことしは方針どおりに親イモを分割することなくそのまま植えてみることにしよう。すでに種イモの伏せ込みを3月9日に行ってしまっていたからだ。

サトイモは芽を出させてから定植している。芽出し(催芽)をさせるために伏せ込みを行う。いつもは3月下旬の作業だが、ことしはもうそれをやってしまった。この寒いのにだ。

昨年のサトイモは一昨年に続いて猛暑と少雨のため不作だった。当然ながら収穫量は少ない。そのなかから形と姿のいいものを選んで来年の種イモとした。残ったものが食べる分になる。これだけで間に合うのだろうか。心配になるほどの量しかない。結果がそうなのだから我慢するほかないのだが、意外や意外、少ないと思っていたのにもかかわらず、2人暮らしには冬の間食べるのに十分な量があった。不作にもかかわらずここまで味わえればまあ満足である。

まずは昨年11月に地中深く埋めて保存していた種イモを掘り出す。種イモは、土垂、エビイモ、ヤツガシラ、愛知早生の4種。すべての種イモを掘り出した。寒さで腐っているものはごく少ない。安心した。さあ伏せ込みだ。

前回の記事で書いたように、ことしはじめて土垂を作る。種イモとして子イモや孫イモばかりでなく親イモも使う。ことしはそれに挑戦する。親イモを種イモに使うのは、土垂ばかりではない。親イモを種イモに使えるなら、ほかの品種にだって使えるのではないか。それならとエビイモと愛知早生の親イモも少しばかり残して保存していた。

伏せ込みを行う。親イモは前回記事のように前処理して、半分は芽を上に向け、もう半分は芽を下に向けて植えた。後者は直接植えたほうがいいのかなと思いながら。これも“実験”である。お遊びである。子芋イモ、孫イモも植えて4、5センチ覆土。そのうえにビニールをかぶせ、さらにビニールでトンネル掛けしてやる。地温を上げるのが目的だからここは丁寧に。これで終了だ。意外と手間ヒマがかかる。

ことしの楽しみは種イモに親イモを使った結果がどうなるか。こんな小さな楽しみでも先に待っていると張り合いがでる。


    
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サトイモのバカイモってなにものなんだ

2014-03-10 | サトイモ

 

↑地中で保存してきたバカイモの親イモ。これを種イモにする。こぶし以上の大きさがある。
↓種イモにするには上3分の1を横切りして、念のため表面を乾かして植えつける。

わたしの住む我孫子市や隣りの柏市の農家のひとは、サトイモのことを「バカイモ」と呼ぶ。だれもがそう呼ぶ。しかしバカイモという品種はない。「この品種はなんですか」と尋ねても「わからない」という。昔からサトイモといえばこのバカイモを指すのだという。このバカイモは子イモと孫イモを食べて、親イモは食べないで廃棄される。農家のサトイモ畑の収穫したあとにはこの親イモがごろごろ転がっている。

バカイモの正体が気になる。このバカイモの特徴をほかの品種と比べながら推測するに、わたしが出した結論はバカイモは「土垂(どだれ)」ではないかということだ。

わたしがこれまで栽培してきたのは「愛知早生」「ヤツガシラ」「エビイモ」「セレべス」でいずれも代表的品種だが、どれも親イモは食べられる。そうなるとこれまで栽培したことがない「土垂」もしくは「石川早生」が残る。わたしの住む関東でサトイモといえば土垂だし、それにぬめりが強いことから土垂に違いないという結論に達した。たぶんそれで間違いない、と思うのだが。

念のため知り合いの農家の人に「バカイモは土垂ではないですか」と確認したところ、「わからない、昔からバカイモといってきたんだ」というばかりだ。なぜバカイモというのかもたしかなことはわからないという。

かぜんバカイモに興味を持った。というのは、このバカイモの親イモを種イモにすると、旺盛に生育し収穫量もいいと知ったからだ。一般的には種イモには子イモか孫イモを使う。このバカイモもそうなのだが、親イモを種イモに使っている農家の人と家庭菜園の人を知った。2人の使い方は違う。前者は親イモの上3分の1を切って植える。後者は、なんと、これを逆さに植えるのである。

昨年は猛暑と少雨でサトイモは悲鳴をあげていたのに、この2人のサトイモは大きく生育していた。それを見て感心していた。それなら私も来年はバカイモ(土垂)を作ることにし、種イモは親イモを使ってみようという気になった。そこで農家が廃棄した親イモをもらい、種イモとするためほかの品種といっしょに地中深く埋めて保存してきた。気になって仕方ないからこの寒いのに掘り出して具合をみた。せっかちなんですね。自分でもあきれています。寒さで腐ることもなく無事にこの冬を越した。

すぐに種イモを催芽させるために伏せ込みを行った。

伏せ込み作業のことは次回に。


    
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早々とネットを張ったサヤエンドウ

2014-03-08 | キヌサヤ

 

サヤエンドウのツルが伸びてきた。「もう出てきたのか」。トンネル掛けしていた穴開きビニールを取り払い、あわててネットを張った。サヤエンドウの支柱やネットは早めにやるというのがわたしの経験則だ。遅れるとツルが上に伸びなくなる。なぜだがわからないのだがそうなる。人間と同じように、タイミングを失うとやる気がなくなるのかもしれない。そんなふうに思ったりもしている。

ことしの生育はいい。昨年12月末の姿と比べるとよくわかる。いまの時期にこんなに大きくなっているにはわけがある。サヤエンドウは冷害を避けるため冬のあいだ白い寒冷紗をかぶせていても数株は寒さで枯れる。ことしの冬は寒冷紗の代わりに穴開きビニールをトンネル掛けしていた。

効き目があった、というべきだろう。大きく育っている。寒さで枯れる株はひとつもなかった。この時期なのにもうツルが出てきている。この冬から穴開きビニールを掛けたのは、親しくしている農家の人の指導によるもの。

わたしは10月下旬にセルトレイにタネをまいてから移植する。その農家の人は11月下旬にタネを直まきして穴開きビニールをトンネル掛けしている、という。

「タネまきが遅くないの」
農家の人にこんな口をきいてしまった。
これでいいんだという。
そうか。穴開きのビニールか。それならと、わたしもこの冬はそうしてみた。

いま現在の結果を見て「なるほどねえ」と感心している。寒さで枯れる株はひとつもなくみんな生き生きとしている。穴の開いていないビニールだと大きく育ち過ぎてしまう。穴開きビニールというのが味噌だ。

この農家のサヤエンドウはどうなっているんだろう。
穴開きビニールのなかをのぞきこむ。
わたしよりも1カ月も遅れてタネをまいている。もちろんわたしの株に比べて小さいもののきちんと育っている。さすがだ。

こんな小さな発見があるから面白い。


    
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もう待てないとジャガイモの植えつけ

2014-03-05 | ジャガイモ

 

↑浴光育芽(催芽)で、ここまで出芽させる
↓植えつけ4,5日前に分割。切り口を乾燥させる

3月3日にジャガイモの種イモを植えつけた。今週は寒気がやってくる。それを承知しながらも、もう待っていられない。この寒さで大丈夫だろうかと神経質になるが、長年の経験から意外と寒さに強いことをがわかっている。

昨年のジャガイモは不作だった。四半世紀以上のジャガイモ栽培のなかでだた一度だけ不作のときがあった。わたしの菜園だけでなく周辺はみな不作になった。それ以来の不作だった。わたしには原因はわからない。結果にがっかりするだけだった。

ことしも植えつけ1カ月前の1月下旬に種イモ(男爵、メークイン、キタアカリ各1㌔)を購入。いつもように浴光育芽(催芽)し、植えつけ4,5日前に種イモの大きさに分割し、切り口乾燥させていた。これで準備完了だ。

さあ植えつけよう。株間30センチ、畝間80センチ。畝間を広くするとあとの土寄せ作業が楽になる。それはわかっているのだが狭い菜園だからどうしても畝間を狭くしてしまうきらいがある。ジャガイモの畝間80センチはわが菜園では精いっぱいの贅沢だ。


     
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食べ尽くした夏まきニンジン

2014-03-04 | ニンジン

このブログの更新回数が2000回を超えた。こんかいの記事で2006回となる。ということは2006本の記事を書いたことになるのだが、よもやここまで続けることができるとは当初は思ってもみなかった。千夜一夜物語を超えたか、なんて軽口をたたいている。

ここまで書き続けてこられたのは、ネタに困らなかったからだろう。要は家庭菜園の日記である。むずかしいテーマを設定したりするとすぐにネタ切れになってお手上げになるのは目に見えている。その点、わたしのは四季に従って1年周期で綴る。何年も書いていると当然ながら記事の内容がダブルのだが、野菜の育ち具合はその年ごとに違うから面白いように書ける。

ネタに困らないからといっても、さすがに農閑期の冬はネタ不足になる。冬はネタを意識して探さなければならない。探すのは頭の体操になる。昨年2月に訪問数(ユニークユーザー)が累計で100万人を超えたとき、そろそろやめどきかと思ったりもした。年を取ってモウロクしてきたとはいえ、拙い文章はもともとでも、支離滅裂の文章にはまだなっていない、と自分では思っている。この自己判断が一番こわいと知っているつもりだから、かみさんから「なにを書いているかよくわからない」と指摘されたらすぐにやめる。そんなときが必ずやってくる。

前回の「早春まき」記事に続いて今回は「夏まき」のニンジンの話。
昨年7月にタネをまいたいわゆる「夏まき」ニンジンを食べ尽くした。10月から収穫をはじめて食べ続けてきた。年末に防寒のためにすべて抜き取って再度穴に埋めておき、その都度穴から取り出して食べていた。

この“備蓄”ニンジンもそろそろ賞味期限だ。残りをすべて掘りだした。同じく穴に埋めて保存しているダイコンと比べるとニンジンのほうが新鮮度は高いような気がする。これを食べればニンジンはおしまいである。「早春まき」のものが収穫できる6月までは買うことになる。ニンジンに限らずほかの残りの冬野菜も無駄にしないように食べ尽くさないといけない時期になった。


    
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