<4回から続く
貸し農園の通路を封鎖占拠し、はては誹謗中傷をする、我孫子市久寺家2-6-14に住む浅川宝重、年齢70数歳の老人の話を続ける。
7月5日から8日まで4回にわたりこの事件の顛末を書いてきた。
今回は番外編で、地主の判断があった7月4日以降の話。地主の命令に従って、この老人が占拠していた農地にどのような変化がでてきたかをみていく。
地主の裁定は繰り返すがつぎのとおり。
1、封鎖して占拠しているのをやめ、できるだけ早く元どおりの通路を確保すること。
2、いま借りているAとBの2区画のうち、遅くも8月までにB区画を返還すること。
この老人は3カ月にわたりAとBのあいだの通路を封鎖して占拠してきた。
これがその封鎖占拠している現場。上の見取り図と同じ構図。手前の畑がCとD。ネットで封鎖している向こう側がAとB。
◆↓7月3日に現場を見ると、封鎖を一部解除し、本来の半分ほどの幅の通路ができていた。地主さんによると、すぐにそう対応するよう指示したらしい。ただし全面解除ではない。
◆7月5日から8日まで4回にわたりブログに今回の事件の顛末を書く。
◆↓7月14日 全面的に占拠を解除。やっと本来の幅の通路が復活した。雑草は茂っていて手入れされていない状態だ。
◆7月12、13日の両日、この老人の住まいがある近所の皆さんへ、浅川による家庭菜園における封鎖占拠と、わたくしへの誹謗中傷を周知した。ブログへのアクセスを見ていると、近所の人はほとんどが検索して、4回連載の顛末記を読んでいるようだ。この老人の仮面の下の別の顔をしかと見てくれただろう。
この老人とは6月25日以来会っていない。どうも朝早くのうちには来て、占拠したところを解除しているらしい。当たり前の神経なら恥ずかしくて顔を見せられないはずだ。外聞が悪くて外には出られない。
7月4日に地主の判断が示されてから、謝罪は一切はない。いまもない。今回の事件でこの老人の裏の顔を知ってしまった。過ちの責任を感じて謝罪する社会常識もないのだろうからとあきらめてはいるが、70数歳にもなってそれはないだろうと思うのだが。
顛末記のその1でも触れたが、この事件に対処した最初から、この老人の氏素性がわからないのに困った。なぜこんなことを平気でやり、注意を無視して頑強に反発し、占拠をやめないどころか、はては誹謗中傷を繰り返すのか、と。
70数歳の老人がなぜここまでやるのか。不思議でしょうがなかった。どんな家に生まれ育ち、教育をうけ、社会に出て、70数歳まで生きてきたのか。
今回の事件を通して仮面の下の素顔がしだいにわかってきた。こんな老人が隣りの菜園にいたのだから不運としかいいようがないのだが、むなしいばかりである。占拠を無視するわけにはいかなかった。この事件に対応し、よもや誹謗中傷をこの老人から浴びようとは。
この事件のその後については折りにふれて書いていくつもりだ。