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峡中紀行下 6 九月十五日、向嶽寺(続き)峻翁像など

(庭のアジサイの咲き始め、これから次々に咲く。)

「四国お遍路まんだら再び」、ようやく三分の一を配り終えた。今日も四ヶ所から本の受領の電話があった。懐かしい声を聴くのが嬉しい。

荻生徂徠著の「峡中紀行 下」の解読を続ける。

像の左に袈裟一副あり。摺れ畳みの処、皆断(た)ゆ。初め看れば淡黄の如し。その裏を翻せば、紅彩、絲理(糸筋)に隠然たり。年久しうして壊るゝなり。哲那環は、径(さしわた)り三寸、(たけ)を合せて、その中を刳(く)り、裁してこれを円にす。膚(はだ)皆外に向う。その合縫の処、漆力尽して皆綻(つくろ)うなり。
※ 哲那環 - 掛絡(から)。禅僧が普段用いる、首に掛ける小さな略式の袈裟。及びその袈裟に付けてある象牙などの輪。
※ 筠(いん)- 竹。竹の青い皮。


右に柱状一つ存り。何の材なることを知らず。軽きこと甚し。深い黒色、皺皴(しわ)の状を作(な)す。長七尺二寸三分、両梢(えだ)あり、頗る細し。上梢は三寸七分、下梢は六寸處(ばかり)。皆貫珠(数珠)の形を作す。上梢を去ること四尺處(ばかり)にして探水有り。棕櫚扇一つ、払子一つを繋ぐ。扇の闊(ひろ)さ七寸二分、長サ一尺、柄六寸七分、払(子)は唯(柄ノ)長サ八寸五分のみ存す。
※ 探水(さぐり)- 杖の名称。
※ 払子(ほっす)- 僧が説法などで威儀を正すために用いる法具。


東に峻翁の像有り。また頗る肖(に)たり。臞(やせ)ること殊に甚し。その第二祖なり。西に侍者の像あり。その名を忘る。年二十四、五許り、目鋭くして眥(まなじり)角を指す。英気、人に逼(せま)ることを覚う。皆、帽を戴く。五山の諸寺、一様の形制なり。
※ 峻翁 - 峻翁令山(しゅんのうれいざん)。南北朝時代の臨済宗の僧侶。甲斐国塩山の向嶽庵開山の抜隊得勝に師事し、至徳四年(1337)にその印可を受け、通方明道に継ぐ三世住職となった。
※ 英気(えいき)- すぐれた気性、才気。
※ 五山(ござん)- 五山制度は、中国・日本における寺格の一つ。日本においては、主に臨済宗の制度であった。京の五山は、天龍寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺。鎌倉の五山は建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺。
※ 形制(けいせい)- ものの形状と構造。


殿の左より明白庵に至る。寺の規榜文極めてなり。住持僧、頗る持律比丘、これを矜持する者に似たり。子院四十、州中庵院の、隷する者百余、その它(他)州に在るも、悉く勢力有る者に奪い取らるゝなるゝなり。
※ 規榜文(きぼうぶん)- きまりの触れ書き。
※ 陋(ろう)- 品性・言動などがいやしいこと。見識などが浅はかであること。
※ 持律(じりつ)-(仏)戒律を厳重に守ること。
※ 比丘(びく)- 出家して、定められた戒を受け、正式な僧となった男子。僧。
※ 矜持(きんじ)- 自分の能力を優れたものとして誇る気持ち。自負。
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