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家康四天王、井伊家の故地を尋ねる。

(井伊谷城跡)

朝、息子に運転を頼んで、「高天神記」の取材に出かけた。目的は浜松市北区の井伊谷城跡、堀川城跡、刑部城跡の3ヶ所の取材である。新東名で引佐まで、30分ほどで着く。近くなったものである。

先週、木曜日(18日)の掛川文学講座で、紹介され、興味を持った本が2冊あった。さっそく図書館で借りて、今手元にあって読んでいる。諸田玲子著「月を吐く」と、梓澤要著「女(おなご)にこそあれ次郎法師」である。何れも静岡県出身の女性作家が、戦国から江戸時代の静岡出身の女性を描いている。「月を吐く」は家康の正室で、非業の死を遂げた築山御前。「女にこそあれ次郎法師」は、女ながら名門井伊家の再興を計り、養子井伊直政を家康の四天王の一人にまで育て上げた次郎法師。それぞれ、歴史では不当に扱われ、あるいは注目されることのなかった女性たちに光を当てた歴史小説である。

その中の一冊、「女に~」の舞台となった井伊谷(いいのや)城跡を、まずは訪れた。小山の上の城跡へは歩いて登るしかなかった。城山公園になっている城跡までに、うっすらと汗をかいた。その昔、後醍醐天皇の皇子、宗良親王がこの城を本拠地に駿河、甲斐、信濃、越中、越後、上野へ転戦され、亡くなるまでの50年間に亘ったという。南北朝時代の南朝側の話である。城跡の一段高い所が、宗良親王の御所で、御所丸と呼ばれている。この城跡から井伊谷が一望に出来る。


(井伊氏祖共保公出生の井)

城跡を下ってから、宗良親王の祭られた井伊谷宮を訪れた。本殿の背後に宗良親王のお墓があるという。息子はツイッターで、井伊谷城跡、井伊谷宮などを写真とともにツイートしている。すると、すぐにその反応があり、「次は三岳山ですね」とツイートがあった。行く予定ではなかったが、足を延ばすことにした。その前に、200メートル程歩いて、龍潭寺の向いの田の中にある「井伊氏祖 共保公出生の井」を見に行った。立派な塀に囲まれた一画に井戸があった。


(三岳城跡)

北東の方角に5キロほど車で登った所に三岳神社がある。そこから標高467メートルの三岳山まで標高差100メートルほどの山登りとなった。心の準備なしの、20分ほどの山登りは、想像以上にきつかった。三岳城跡はその山頂にあった。井伊谷城は井伊氏の山城でいくさの時はこの山城に籠った。三岳城は今川氏の朝比奈勢に敗れて落城した。

三岳山からの眺望は素晴らしく、西は浜名湖から、浜松市市街地全域、天竜川から磐田原、小笠山最も東に粟ヶ岳辺りまでが見渡せた。掛川城から朝比奈の軍勢が攻め来たるのは、ここからは見えていたはずである。しばし見とれて、山登りの苦しさを忘れた。(つづく)
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