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塵摘問答 19 謡曲(後)

(出揃ったヒガンバナの花茎)

謡いは、子供の頃、故郷の亡父が唸っていたのを思い出す。亡父の趣味は謡いと書道であった。今から考えると、兵役に三度も行き、敗戦後の虚脱感を埋めるために、始めたものであろう。謡いの内容は子供の自分には判るはずもなかったが、筆文字で埋まった謡い本はよく目にした。今思えば、筆文字の本に接したのは、謡い本が最初であったようだ。

塵摘問答の解読を続ける。謡曲の項の後半である。

(謡曲 後)
小謡いは、仏、成道ありて、最初に華厳経を説き給う姿なり。また十七、八にして、姿よく思う事なくして遊ぶ心なり。
※ 小謡い(こうたい)- 謡曲中の短い一節を、謡うために特に抜き出したもの。祝賀・送別・追善・宴席の余興など、場に応じたものを謡う。
※ 成道(じょうどう)-(仏語)菩薩が修行して悟りを開き、仏となること。特に、釈迦が仏になったこと。成仏得道。


曲舞は仏七十三より真実の相を表して、法華経(ほっけきょう)を説き給う姿なり。また四十あまりにて、智恵賢く、弁舌至って物言う姿なり。
※ 曲舞(くせまい)- 南北朝時代から室町時代に流行した芸能。鼓に合わせて謡いつつ、扇を持って舞ったもの。白拍子舞が母体といわれ、その音曲は謡曲に入って曲(くせ)となった。

繰上げは仏患わせ給ふ時、八百の大衆の叫び声なり。また老いて二たび若くなりて、心を慰む鳴り物を吹く姿なり。
※ 繰上げ(くりあげ)- 歌舞伎で、問答や口論の末に、両方掛け合いで、「さあさあさあ」と調子を高めていくせりふ。最後は一方が相手を決めつける。
※ 八百(やお)- 非常に数の多いこと。


切りは仏、涅槃のとき、三世の諸仏の泣き給う心、また、老いて患いし時、今一度本復せんと願えども、生死(しょうじ)の習い、空しくなりて、侘しき心なり。
※ 切り - 謡曲で、1曲の最後の部分。

つづみは猿の手を打ちたる儀なり。太鼓は、霊山諸法の時、もろ/\の龍王の参りたりし歓喜の音なり。笛は韋駄天のいびきなり。
※ 霊山(りょうぜん)- 釈迦仏が説法をした霊鷲山の略称。
※ 龍王(りゅうおう)-竜族の王。また、法華経においては仏法を守護するものと説かれる。(八大竜王)
※ 韋駄天(いだてん)-バラモン教の神。仏法、特に僧や寺院の守護神。捷疾鬼が仏舎利を持って逃げたとき,追い駆けて取り戻した。増長天八将軍の一。


狂言は提婆が御説法を妨げたる躰なり。
※ 提婆(だいば)- 提婆達多の略。釈迦の従兄。釈迦の弟子となったが、のちに背き、阿闍世王をそそのかして、師を殺害しようとして失敗。転じて、悪逆な人。また、人をののしっていう語。

は老たる猿の山王の御前にて舞いける形なり。
※ 翁(おきな)- 能で、別格に扱われる祝言曲。翁・千歳・三番叟の三人の歌舞からなり、正月初会や祝賀能などの最初に演じられる。
※ 山王(さんのう)- 山王権現の略。大津市坂本にある日吉(ひえ)大社の別名。


これにより、字には猿楽と書くなり。謡いをよく謡えば、仏神も納収し、その身も得道するなり。また、毎年南都の薪の能は、国々所々の神木をも畏れず、猿楽の伐り焚きたる祭りにて候なり。
※ 得道(とくどう)-(仏語)悟りを開くこと。悟道。
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