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往還掃除請負のこと - 掛川古文書講座

(龍華院参道の紅梅、掛川図書館のそば)

昨日の掛川古文書講座、「願趣書印帳」の9文書の中に、短いけれども大変興味深い文書があった。説明の前にその文書を示す。

    恐ながら書付を以って申し上げ奉り候
一 当村往還掃除丁場の儀、来る寅年、薗ヶ谷村新兵衛方へ請負相渡し申し候、これにより、右の段、書付を以って申し上げ奉り候、以上
    丑十二月           倉真村 庄屋  丹治
                        同   仙右衛門
     道御奉行様

※ 丁場(ちょうば)- 道路工事や運送などの受け持ち区域。持ち場。

ここで「往還」というのは、東海道のことである。東海道の近郊の村々は御用旅の世話をするために、人足や馬などを出す助郷という役目を負わされた。年貢とは別で、村々にとっては大きな負担となり、助郷については軽減を願う多くの文書が残っている。この文書では、助郷とはまた別に、往還掃除というお役目も負わされていたことが分かる。

往還の掃除については、御油宿近くの東海道松並木で、その掃除などの維持管理を近郊住民にさせていた。住民たちは掃除で得た松葉や松かさを家へ持ち帰り、燃料として重宝していた。ただ大きな枝や倒木などは、御役所の指示を待って処理されていた、と案内板に記されていたことを思い出す。

幕末に日本を訪れた外国人が、街道筋が大変きれいなことに驚いている記述がたくさんある。雨が降れば土の道は荒れるし、風が吹けば松並木から松葉や枝が落ちる。荷物運搬の馬が往来していれば馬糞を落としていく。放って置けば街道は真っ直ぐに歩けなくなる。往来のすぐ脇の住民ならば、掃除をすれば燃料や肥料が得られるから、決してマイナスばかりではない。けれども、講師の話では、記録によると、丁場が近郷の村々へ細かく分けられていて、遠いところは丁場まで6里も離れた所もあり、割り当ての間数が数間(10メートルほど)という村もある。とても日々チェックして維持管理しておくことは不可能であった。

そこで考えられたのが、街道筋に住む人に請け負ってもらうことである。その結果、複数の村々から請け負い、人を使って街道の維持管理をする、専門家が出来てくる。土建業の発生である。講師の話では、幕末には維持管理をなおざりにしていると、近郷の5軒の請負人が村々から名指しで訴えられる出入が発生しているという。

ツーリスト、観光旅館、宅配など、今の日本にある様々な業種が、平和が260年続いた江戸時代に、その仕組みが出来たといわれる。土建業の発生も江戸時代のこの辺りと言えるのだろうか。
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