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薩摩今和泉、篤姫の里(前)

(今和泉島津家の墓所)

地元の同年輩の事務員さんと話していて、NHK大河ドラマで放映中の篤姫が18歳まで過ごしたと言われる指宿の今和泉が、いま観光客でにぎわっていると聞いた。予約をして置くと、熟年ボランティアの人たちが案内してくれる。実はその一人に80歳になる小学校の恩師が居て、先日現地を案内をしてもらった。詳しく説明を受けながら回って2時間掛かったという。

土曜日の朝、飛行機の便まで時間があるので、指宿のホテルを出た後、話題の今和泉に立寄った。島津の分家、今和泉島津家の別邸跡はJR指宿枕崎線で3駅鹿児島寄りにある薩摩今和泉駅の近くに別邸があった。今和泉には篤姫ゆかりの場所が幾つか残っている。

薩摩今和泉駅は観光客や電車を待つ人でにぎやかであった。駅舎が観光案内所とボランティアの詰所を兼ねていて、予約したグループを引き連れて案内に出て行く。我々もパンフレット200円を購入して案内ガイド無しで見学に出かけた。

線路を越えて今和泉島津家の墓所に行く。立派な五輪塔の墓石や石灯が墓地を埋めるように並んでいる。墓には活けられたばかりの派手な花が飾られていた。菩提寺の光台寺は明治の廃仏毀釈で壊されて、今は参道の入口に五輪塔の一部が残っているだけである。光台寺の石像の仁王像は石垣の一部として再利用されているのが発見されている。こんな南の果ての片田舎まで実行されたとは、廃仏毀釈の徹底ぶりがうかがえる。廃仏毀釈というのは中国で古いというだけで物も人も破壊尽した紅衛兵運動のような狂信的な暴挙だったのだろうか。人々を揺り動かした正体がもう一つ判らない。


(田の神様-たのかんさあ)

残っているものは石造りの物ばかりである。道端に「田の神様(たのかんさぁ)」という石像があった。案内板によると、田の神様は薩摩藩領内だけに1500体以上もあり、農耕や豊作の神様として、江戸時代の中頃から農民や下級武士たちによって作られた。初期は仏像や神像、その後は農民姿の像も造られるようになった。「たのかんさぁ」は決して祟ることをしない豊作の神様として親しまれたという。

この「田の神様」は女性の姿で、案内書には、髪を垂らしたような大きなシキを被り、長袖の上着で、ヒダの深い長袴をはいており、両手で大きなメシゲを持ち、風呂敷のような大きなツトを背負っていると書かれていた。まさに豊穣の神様である。
(※ 「シキ」は「風呂敷のような被り物」、「メシゲ」は「しゃもじ」、「ツト」は「わらなどを束ねて、その中に食品を包んだもの」)
(明日へ続く)
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