今日は久し振りに昔の音楽仲間たちと会食をすることになっていたので、午前中の合唱団の練習が終わった後、指定されたレストランへ向かいました。すると会食会場のレストランの手前の店に「晴れる屋」という看板が。思わず噴き出しそうになりました。というのも、今日は会食の後、中学校の同窓会企画である「ハレルヤ」の合唱の練習に出席することになっていたからです。
私の出身中学では3年生が卒業式で「ハレルヤ」を全員合唱する伝統があります。「昔取った杵柄」で、今日の練習でもあっという間に最後まで音とりが終わり、伴奏付きで4部合唱するところまで進みました。久し振りの「ハレルヤ」、久し振りに会う先輩後輩や教え子(私はこの学校で9年間教鞭を取ったので、今日の出席者の中にはかつての生徒も混じっていました)と共に懐かしくも楽しい時間を過ごし、帰宅の途中でふと奉職中の愉快な思い出が蘇ってきました。当時、この学校では音楽の期末試験は「鑑賞テスト」と決まっていました。これは私が在校中からの伝統で、全校放送で流れるクラシック曲の冒頭部分を聴いて曲名と作曲者を解答するという方式でした。このテストには、採点しながら思わずお腹を抱えて笑ってしまうような珍解答がしばしば登場したものですが、その中に「ハレルヤ」を「晴れるや」と書かれたものがあったのです。上司であるM先生に「これ、どうしましょう?」と相談したところ、即座に「気持ちはわかるが、これはバツ」と言われました(笑)。採点を続けていると、今度は「アヴェ・マリア」が「阿部まりあ」になっている答案があり、笑いをこらえながらM先生に見せると、「僕の方には「スラブ行進曲」が「アラブ行進曲」になっているのがありましたよ」とおっしゃいます。まあ、この辺までは連想の経路が推測できるのですが、意味不明なニアミスもありました。「タイースの瞑想曲」が「ラングーンの瞑想曲」になっていたのです。頭の中がはてなマークだらけになり、友人に尋ねてみました。すると数秒の沈思黙考の後「タイ、ラオス、ラングーン、だね」と一言。なるほど(笑)。
今から考えると、50分間に50曲のイントロ当てクイズ(全学年一斉、クラシック音楽オンリー)というのはかなり突飛な試験だったと思うのですが、この中学校では、私が在校中から(それ以前からずっと)毎回の音楽の授業の冒頭に数分間の「名曲鑑賞」の時間があり、そのお陰で私たちは随分多くのクラシックの名曲に触れることができました。私が教えている頃もその伝統は続いていましたが、今はどうなっているのでしょう(ちなみに、テストの方式は私の在任中に改められ、50曲から10曲ほどに縮小、曲目も学年別になりました)。
「ハレルヤ」に話を戻しますが、これはヘンデルのオラトリオ「メサイア」の第2部の終曲で、初演に臨席していたイギリス国王ジョージ2世がこの曲の途中で感極まって起立したことで有名です。以来、「ハレルヤ」の時には聴衆が起立する習慣がある、という話を中学時代に聞いていましたが、大学時代に「メサイア」全曲演奏のコンサートに行った時、「ハレルヤ」が始まると同時に客席の全員が一斉に起立しました。この慣習は今でも生きているのです。立って聴きながら名状し難い感動で胸がいっぱいになったことを覚えています。
「メサイア」が「救世主」という意味のヘブライ語であり、「ハレルヤ」もまた「主をほめたたえよ」という意味のヘブライ語だということはその昔習いましたが、「ハレルヤ」の「ハレル」が「ほめたたえる」という意味で「ヤ」は「ヤハウェ」の「ヤ」、すなわち「神」という意味だということは、わりと最近知りました。この曲には「ハレルヤ」という言葉が何十回も出てきますが、歌う時には「ヤ」を明瞭に歌わないといけないのですね。「ヤ」に向かって下行音型になっていることが多いのですが、意識的に「ヤ」に少しアクセントを置くようにすると俄然イキイキと聴こえてきます。外国語の歌の場合(日本語の歌もですが)、言葉の意味を理解することはとても大事ですね。それだけで表現が違ってきます。
私の出身中学では3年生が卒業式で「ハレルヤ」を全員合唱する伝統があります。「昔取った杵柄」で、今日の練習でもあっという間に最後まで音とりが終わり、伴奏付きで4部合唱するところまで進みました。久し振りの「ハレルヤ」、久し振りに会う先輩後輩や教え子(私はこの学校で9年間教鞭を取ったので、今日の出席者の中にはかつての生徒も混じっていました)と共に懐かしくも楽しい時間を過ごし、帰宅の途中でふと奉職中の愉快な思い出が蘇ってきました。当時、この学校では音楽の期末試験は「鑑賞テスト」と決まっていました。これは私が在校中からの伝統で、全校放送で流れるクラシック曲の冒頭部分を聴いて曲名と作曲者を解答するという方式でした。このテストには、採点しながら思わずお腹を抱えて笑ってしまうような珍解答がしばしば登場したものですが、その中に「ハレルヤ」を「晴れるや」と書かれたものがあったのです。上司であるM先生に「これ、どうしましょう?」と相談したところ、即座に「気持ちはわかるが、これはバツ」と言われました(笑)。採点を続けていると、今度は「アヴェ・マリア」が「阿部まりあ」になっている答案があり、笑いをこらえながらM先生に見せると、「僕の方には「スラブ行進曲」が「アラブ行進曲」になっているのがありましたよ」とおっしゃいます。まあ、この辺までは連想の経路が推測できるのですが、意味不明なニアミスもありました。「タイースの瞑想曲」が「ラングーンの瞑想曲」になっていたのです。頭の中がはてなマークだらけになり、友人に尋ねてみました。すると数秒の沈思黙考の後「タイ、ラオス、ラングーン、だね」と一言。なるほど(笑)。
今から考えると、50分間に50曲のイントロ当てクイズ(全学年一斉、クラシック音楽オンリー)というのはかなり突飛な試験だったと思うのですが、この中学校では、私が在校中から(それ以前からずっと)毎回の音楽の授業の冒頭に数分間の「名曲鑑賞」の時間があり、そのお陰で私たちは随分多くのクラシックの名曲に触れることができました。私が教えている頃もその伝統は続いていましたが、今はどうなっているのでしょう(ちなみに、テストの方式は私の在任中に改められ、50曲から10曲ほどに縮小、曲目も学年別になりました)。
「ハレルヤ」に話を戻しますが、これはヘンデルのオラトリオ「メサイア」の第2部の終曲で、初演に臨席していたイギリス国王ジョージ2世がこの曲の途中で感極まって起立したことで有名です。以来、「ハレルヤ」の時には聴衆が起立する習慣がある、という話を中学時代に聞いていましたが、大学時代に「メサイア」全曲演奏のコンサートに行った時、「ハレルヤ」が始まると同時に客席の全員が一斉に起立しました。この慣習は今でも生きているのです。立って聴きながら名状し難い感動で胸がいっぱいになったことを覚えています。
「メサイア」が「救世主」という意味のヘブライ語であり、「ハレルヤ」もまた「主をほめたたえよ」という意味のヘブライ語だということはその昔習いましたが、「ハレルヤ」の「ハレル」が「ほめたたえる」という意味で「ヤ」は「ヤハウェ」の「ヤ」、すなわち「神」という意味だということは、わりと最近知りました。この曲には「ハレルヤ」という言葉が何十回も出てきますが、歌う時には「ヤ」を明瞭に歌わないといけないのですね。「ヤ」に向かって下行音型になっていることが多いのですが、意識的に「ヤ」に少しアクセントを置くようにすると俄然イキイキと聴こえてきます。外国語の歌の場合(日本語の歌もですが)、言葉の意味を理解することはとても大事ですね。それだけで表現が違ってきます。