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映画「パーフェクト・ワールド」1993年米国

2016年05月05日 00時09分10秒 | 映画鑑賞
■映画「パーフェクトワールド」1993年米国

■ストーリ
1963年秋のアメリカ合衆国テキサス州。刑務所から脱獄したテリーとブッチは、逃走途中に民家へ押し入る。彼らは8歳の少年フィリップを人質に逃亡するが、ブッチはフィリップに危害を加えようとしたテリーを射殺し、ふたりで逃避行を続ける。
ブッチを追跡する警察署長のレッドは、少年時代のブッチを少年院に送った元保安官であり、それを契機に常習犯となったブッチに対して責任を感じ、己が手で彼を逮捕しようと思っていた。レッドの捜査には犯罪心理学者のサリーが同行、ふたりは反発しつつも徐々に打ち解けていく。
一方、宗教的に厳格な母子家庭で育ったフィリップと、彼に対して父親のように接するブッチとの間には友情が芽生えていく。自らの父がかつて一度だけよこしたアラスカからの絵ハガキを大事に携行していたブッチは、フィリップを連れてアラスカ(パーフェクト・ワールド)を目指す。

■出演
ケビン・コスナー、クリント・イーストウッド、T・J・ローサー、ローラ・ダーン

■感想 ☆☆☆☆
寂しい、やるせない映画でした。ハッピーエンドはありえないと思っていたけれど、ブッチとフィリップ、ふたり共に幸せになれることを願わずにはいられない映画でした。
肉親の愛情に飢えていて、今も父親がたった一度送ってくれたハガキを大切に持ち歩いていたり、母親のことをいとおしそうに懐かしんだりするフィリップは父親のはがきに描かれているアラスカを理想郷と信じ、フィリップとともに永住地としてアラスカを目指します。けれど、ブッチはアラスカを目指しつつも、自分がアラスカにたどり着けられることをまったく信じていない気がします。自分には幸せはやってこない、と確信している気がします。その孤独の大きさに飲み込まれそうになりながら、映画を見続けました。
もちろん、彼が抱える孤独がどんなに大きかったとしても、犯罪は許されることではありません。けれど、暴力でしか自分の感情を外に発露できなかった彼のこれまでを考えると、彼の犯罪を断じるだけではきっと何の解決にもならないだろうな、とも思ってしまうのです。「寂しい」とか「愛されたい」という気持ちを口に出すことすら許されず、心の中に押し込めるしかなかった人生って何なんだろうと思わずにはいられません。

そして、8歳にしてブッチの孤独に寄り添えてしまうフィリップ。彼がブッチに親しみの気持ちを抱いてしまうのは、きっと彼もブッチと同じぐらい大きな孤独を抱えていたから。母親や姉がいて、愛情を注がれてはいるけれど、それでも「父親」というものにほのかな憧れを抱いていて、でも懸命に自分を愛してくれる母親を見ていると、父親への憧れを口にすることはできなくて、口にできないからこそ、その憧れの気持ちは更に更に大きくなっていくのではないのかな、と思いました。そして、母親の信じる宗教上の理由から、周りの友達の多くが体験している「楽しいこと」や「面白いこと」も経験できないでいる不自由さ。周りの友達をうらやましいと思ってはいても、母親のことが大好きだから、その気持ちを口にすることもできずにいて、我慢に我慢を重ねているからこそ、自分が手にしていないもの、自分には与えられていない父親という存在への渇望が大きく、余計に孤独を大きくしてしまっているんだろうな、と思いました。

少しずつ少しずつお互いを思いやり、心を通わせていくブッチとフィリップ。ほんの少し癒される孤独。それでも満たされない寂しさを抱えてアラスカを目指すふたりの旅は、想像通りの結末を迎えます。それでも最後の最後までお互いを思いやり続けるふたりの姿により一層やるせない気持ちを掻き立てられました。どんな結末であれ、「めでたし、めでたし」はないとは思っていたけれど、それでもふたりの孤独がもう少し癒されればよかったのに、と、映画が終わった今も願わずにはいられません。もしかすると、ブッチはフィリップに対して父性のような愛情を抱くことがなければ、ひとりで他の土地へ逃げおおせることができずにいたのかもしれません。けれど、やっぱり人生の最後に「寂しい」という気持ちを通い合わせられる相手に巡り合えたことはブッチにとっては意味あることだっただろうと思うし、それはきっと「幸せ」なことだったに違いない、と信じたい気持ちで映画を見終えました。