のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

父、大いに語る。

2007年12月18日 22時21分50秒 | 日常生活
本日、早朝に東京へ出発するために、我が家に泊まりに来た父と
久々に食事をし、ゆっくりと語り合えた。
普段は寡黙な父親が酒の力もあって、大いに語った。
この一年の環境の変化で父親は少し変わったような気がする。
色々と思うところも多いのだと思う。

父親の話に多くの刺激を受けることができたし、
色々と考えさせられた。

・「仕事に飽きる」のは当たり前。自分が好きでやっている趣味だって
 長続きしないものがある。30年、40年と同じ趣味をずっと
 持ち続けている人は、実はそんなに多くない。
・どの業種だろうと、どの職種だろうと、結局のところ、仕事は
 「誰かの助けを借りて」するということにおいて、どれも同じ。
・自分が仕事をしているわけではない。
 自分の周囲の人にしていただいていることがほとんど。
・例えば、営業。
 営業の人は「売上を取ってきた」というけれど
 「営業が」売上を取ってきているわけではない。
 「お客様が」売上に貢献してくださっている。
 そして、そのために「営業事務の人が」色々と作業をしてくれている。
・事務や受付は「裏方」の仕事と思われがちだけれど
 誰にでもできる仕事ではない。誰にでもできる作業かもしれないけれど
 この作業を「仕事」に高めて、貫きとおせる人、やり続けられる人は
 ほんのわずか。
・事務や受付の仕事を「楽そうでいいね。」と言う人はその程度の人。
 あらゆる仕事の価値にきちんと気付ける人がホンモノ。
・実際、受付や電話応対係の人こそが会社のカオとなる。
 受付や電話応対によって、そして売り場の担当者の対応によって
 お客様は簡単に離れていく。クレームを入れてくれるお客様は
 「ありがたい」お客様。大抵のお客様は何も言わずに離れていく。
 だからこそ、経営者はその仕事に専念できるように、プロとして
 「受付」や「電話対応係」を企業に置く。
・受付のプロは少ないからこそ、三越の地下駐車場係の人や
 リッツ・カールトンホテルのドアボーイの人が有名になった。

・「宗教」や「カウンセラー」に頼れる人は、余裕がある人。
 本当に余裕がない人は、誰の声も聞こえない。
・人には「声」は届きにくい。「声」よりも「姿」のほうが効果的。
 人は「利害関係のない人の存在」に救われる。
・「利害関係のない」人と知り合うのは簡単。
 自分が相手に何も求めなければいい。
・無理に交流を広げよう、とか人脈を広げようとする必要もない。
 「仲良くなろう」とすることが、既に「相手に何かを求めている」
 状態になってしまう。
・自分にできることは、
 「誘いがあったときに、行ける状態であれば行く」
 「何かを頼まれたときに、できることであればする」
 それだけ。人間は欲深いので、自分が無理をすると、それだけで
 利害関係に発展してしまう。「あのとき、無理して頼まれごとを
 してやったのに。」と思ってしまう。
・「誰かの為に何かをしてやりたい」と思うのはいいが
 実際に何かを「する」必要はない。「してあげたい」という想いが
 あれば、自然とその想いが行動ににじみ出る。

特に最後の一行を心に刻みたいと思います。

ありふれた風景画/あさのあつこ

2007年12月18日 22時14分29秒 | 読書歴
■ありふれた風景画/あさのあつこ
■ストーリ
 十代って残酷な年代だ。出会いも別れも生々しく、儚い。
 ウリをやっていると噂される高校2年の琉璃は、美貌の持ち主で
 特異な能力をもつ上級生、綾目周子に惹かれていく。
 傷つき、もがきながら、生きる少女たちの一年間を描く
 みずみずしい青春小説。

■感想 ☆☆☆*
 同性に愛情を感じる感覚は、今ひとつ理解できないでいる。
 「人」を好きになるだけ、「男」も「女」もない。
 理屈では分かる。けれども、私の中には、偏見によって傷ついている人が
 いると分かっていながらも、偏見を捨てられない心が確かに存在している。

 けれど、この作品のふたりは自然に受け止められた。
 生々しい描写が全くなかったからかもしれない。
 「同性愛」を描こうとしている作品ではないからかもしれない。
 この作品は、恋愛小説ではない。あくまでも青春小説。
 焦点をあわせられているのは瑠璃と周子。
 けれど、私は瑠璃の姉、綺羅が心に抱えている孤独に強く惹かれた。
 抱えている孤独はヒロインふたりも同じだ。
 周囲の誰とも分かち合えない孤独。三人は孤独を抱えて、もがいている。
 そんな主要登場人物たちの心の動きが痛々しく、そして眩しい小説だった。

 綺羅の登場シーンは少ない。しかし、その強さと激しさが、
 私の心をひきつけ、鮮烈な印象を残した。
 過食症の母親からも、家庭を捨てた父親からも目をそらさず
 事態をきちんと見届ける意志の強さ。
 そして、そういった弱い両親を罵倒する激しい気性。
 それらがたまらなく魅力的だった。

 彼女は、別れを切り出せずに、ただ逃げているだけの父親のことも、
 「妻」の座にしがみつき、決定的な別れを言われることを恐れている
 母親のことも、そんな二人から目をそらし、「私は関係ない。」と
 見ないふり、聞かないふりをして、やり過ごそうとする妹のことも
 憎んでいる。家族の弱さを憎んでいる。
 家族でただ一人、事態を正面から見据え、にらみつけ、現実から
 逃げずに傷ついているからこその怒り。そんな彼女の
 涙をこらえた瞳やにらみつけるような視線が手に取るように見え、
 その姿に胸を掴まれた。

 女性は強い。妥協しない。たとえ孤独を分かち合える人が傍にいなくても
 自分の足で立って前に突き進んでいくパワーがある。傷ついて、もがいて
 でも前に進めるだけの野性的な強さを持っているんだと思う。
 だから綺羅も瑠璃も周子もひとりで懸命にもがいてきた。
 周囲に理解されようなんてせずに。
 この作品は、そういった強さで懸命にもがいて、踏ん張っていた少女が、
 ようやくほっとできる人、肩の力を抜けるような相手を見つける物語だ。
 女性は強い。けれど、誰かに心を許すことによって、更に強く、
 しなやかに生きることができるのだ。

 ラストシーン、瑠璃は自分の手の爪を光にかざして、力強く思う。
 「自分の爪がたまらなく愛しく、誇らしい。」
 この強さこそが女性なんだとしみじみと思った。
 三人の少女の未来は何一つ分からない。
 けれど、力強く、自分を肯定する瑠璃の姿に、爽快な気持ちで
 本を置くことができた。