オリンパス・ペンで1961年に撮影した、仙台のモノクロ写真が今も残っている。その一部は、当ブログの「竜の口渓谷から太白山へ」と題する記事の中で使用しているが、公開していなかった他の写真も含めて、今回まとめて投稿することにした。
「愛宕山・大年寺山・経ケ峯・青葉山」
下の3点の写真のうち、上の2点は愛宕山近くの愛宕橋(愛宕大橋)の上流、愛宕山の下の広瀬川を写したもので、50年前には河原で牛が放牧されていたという証拠写真でもある。その下の写真は愛宕山から経ケ峯方面を眺めた写真である。
次の2点の写真は大年寺山付近からの展望であり、上は北側の空き地から経ケ峯方向を望んだもの、下は西方を見た写真で、遠方に小さく見える三角形の山は太白山である。
経ケ峯には瑞鳳寺のほか瑞鳳殿など伊達家三代の廟があったが戦災で焼失している。次の写真は、再建される前の、木の墓標が立っているだけだった頃の写真である。
経ケ峯の裏手は広瀬川に面して崖になっているが、次の写真は、その崖の上から撮ったと記憶している。上は広瀬川を俯瞰したものであり、下は自動車教習所を手前に青葉山を望んだものである。
次の写真は仙台城址から広瀬川沿いを俯瞰したものである。
次の写真のうち、上は東北大学の植物園の写真であり、下は八木山の放送局の方向を見た写真である。
(注)8月31日の投稿で、仙台市街として間違った写真を使用したため、削除しました。
「愛宕山・大年寺山・経ケ峯・青葉山」
下の3点の写真のうち、上の2点は愛宕山近くの愛宕橋(愛宕大橋)の上流、愛宕山の下の広瀬川を写したもので、50年前には河原で牛が放牧されていたという証拠写真でもある。その下の写真は愛宕山から経ケ峯方面を眺めた写真である。
次の2点の写真は大年寺山付近からの展望であり、上は北側の空き地から経ケ峯方向を望んだもの、下は西方を見た写真で、遠方に小さく見える三角形の山は太白山である。
経ケ峯には瑞鳳寺のほか瑞鳳殿など伊達家三代の廟があったが戦災で焼失している。次の写真は、再建される前の、木の墓標が立っているだけだった頃の写真である。
経ケ峯の裏手は広瀬川に面して崖になっているが、次の写真は、その崖の上から撮ったと記憶している。上は広瀬川を俯瞰したものであり、下は自動車教習所を手前に青葉山を望んだものである。
次の写真は仙台城址から広瀬川沿いを俯瞰したものである。
次の写真のうち、上は東北大学の植物園の写真であり、下は八木山の放送局の方向を見た写真である。
(注)8月31日の投稿で、仙台市街として間違った写真を使用したため、削除しました。