夕方は・・・
夕方は少しは涼しくなったか?
NOである。
写真は松戸駅に近い土手の様子である。
土手の上に見える雲は、秋模様の雲である。
しかし、うだるような暑さの中にこの風景がある。
写真の灯篭の上には、羽を休める鳥達の姿があった。
というより、体を動かす気になれなのだろう。
やっと日陰になったね。
さすがに鳥達も、空に浮かぶ雲を見て涼を取る以外になすすべがないようである。
夕方は・・・
夕方は少しは涼しくなったか?
NOである。
写真は松戸駅に近い土手の様子である。
土手の上に見える雲は、秋模様の雲である。
しかし、うだるような暑さの中にこの風景がある。
写真の灯篭の上には、羽を休める鳥達の姿があった。
というより、体を動かす気になれなのだろう。
やっと日陰になったね。
さすがに鳥達も、空に浮かぶ雲を見て涼を取る以外になすすべがないようである。
今回のココフカでのことだ。
3回目ではないだろうか。
飛行機で窓側に座ることができなかったのは・・・
それも超ど真ん中である。
ゆきたんくの好きな窓観光ができない。
ゆきたんくの座席からの風景である。見事にシンメトリー。
で、窓側の座席の人が寝ているのをいいことに、撮った写真がこれ。
山が見えるが、これがどこなのかは分からない。
ゆきたんくの左におとうさん、右にじまさんがいたのでざっかけない話をしながらあっという間についてしまった鹿児島である。
実は帰りも同様の座席であった・・・
鹿児島空港到着である。
ココフカ旅の1日目
鹿児島は知覧に来ている。
特攻平和記念館と特攻の母と言われたトメさんのいらした冨屋食堂の見学がメインだ。
ただ泣けた。
20前後の男子が、とても立派な字で辞世の句を書いている。
その文面から、レベルの高い人物達であったことが伺える。
特攻で命を落とさなければ日本を変える力を持った人材達であろう。
知覧特攻平和記念館
冨屋食堂前にて
今日は1日出張でした。
いいことは一つ。
職場の自分の持ち場にはクーラーがありません。
ところが、外に出るとなると冷房が効いているのであります。
これは体が楽です。
おもわず睡眠に引き込まれます。
そして、ゆきんたくのこだわりはネクタイ。
ところが会場入りした時友人に「なんでネクタイしてるの?」と・・・
周りを見るとクールビズ。
しょうがないなぁと言いながらネクタイをはずすと涼しいこと。
気分は霧が峰でした。
霧が峰でございます。写真だけでも・・・
ゆきたんくは8月初旬に車を取り替えた。
ゆきたんく号はイブサムからセレナになった。
その時に自動車の中の荷物をひとまとめにして自分の部屋に片付けた。
今日は骨休めと片付けに使った。
荷物の中からは、ずっと忘れていたものが出てきた。
鎌倉で手に入れた「えのでん」デザインの財布
そう、一時期喜んで使っていたえのでんの財布である。
中には銭洗い弁才天で洗った硬貨でもいれたかなぁと見ると
ポンドが入っていた。
ポンドって£である。
イギリスのお金だよ。
様々なポンド硬貨が入っていた。
初めてイギリスに行ったのが2003年だから、その後にポンド入れにしていたのかもしれない。
まあ、40過ぎてえのでんの財布ってえのもねぇ。
これだけではなく、まだまだ想い出の品が出てくるかもしれない。
ゆきたんく号は荷物置き場のようになっていたからね。
また自分なりの掘り出し物があったら紹介する。
いやぁ、行きましたよ。
霊巌堂。
宮本武蔵が五輪の書を書いたとされている場所です。
このような岩山のくぼみを利用して・・・
今でこそ、観光地であり、足元も整備されてはいますが、それでもここまでくるのに一苦労でした。
階段は急で、きっと宮本武蔵がいた当時は階段なんてなかったのだろうと思いました。
中には大きな岩(鉢巻をしていてもいいと思いました。)があり、社も設けられていました。
当時照明もないところで、筆を手に取り、5巻の書物を書き上げたことは大変な作業だったと推察される。
人の邪魔の入らないところで集中する辺りは、それだけで宮本武蔵の人物像が伝わってくる。
こうして充実した見学の後は、自然の驚異にさらされたゆきたんくである。
次に向かったのは阿蘇山。
このようなトーチカが何基もある。火山弾が降ってくる危険性が高いということだ。
まあ、せっかく火口まで来たのだから覗いてやろうと思ったら、緊急放送が入る。
日本語・韓国語・中国語・英語で放送があったと思う。
世界から観光客が来ているのであろう。
8/10の阿蘇山火口付近
まあ、命あってのものだねだよね。残念ながら今日は撤収・・・
ガスに巻かれて、火山弾の直撃でも受けたら、美しく死ねないと判断したゆきたんく一行はそそくさと車に乗り込み下山した。
火口の中を見るのは、宿題にしておこう。
生きているうちに見れたら、ありがたいと思うことにした。
今日は鹿児島から熊本に移動だ。
ぜひ寄りたい所があった。
水俣湾である。
ゆきたんくが小学生の頃、公害病がとりざたされていた。
その一つ水俣病の発生した水俣湾である。
現在はきれいになって水俣病に関する施設が立ち、水俣広域公園になっている。
ここから左に90度パンすると水俣湾
まわりが綺麗に整備されすぎて、何かを隠しているような気分になった。
あえて、水俣湾は写真にとらず、別方向に広がる八代海の写真を撮った。
水俣湾の10km手前に米之津港がある。
一休みした時の様子を見ていただこう。
鎖の周囲に何かいる。
なんと、かわいいクラゲだった。
動画を撮ったのでごらんいただきたい。
jellyfish
初めての鹿児島である。
メインは知覧だ。
日本人である以上、知覧の特攻平和会館には足を運ばねば。
で、結果的によかったと思うのが、平和会館内は写真撮影が禁止だったこと。
実際に特攻に使われた零戦や、辞世の句、手紙等心を動かされた。
二十歳前後の若者に、こんな字が書けるか。
こんな文章が書けるか。
涙が溢れてくる。
レベルの高かった若者達に違いない。
この若者が生きていれば、日本はもう少し変わったかもしれない。
「勿体無い」という言葉は、この若者達のためにあるのではないか・・・
特攻に行く若者達が最後の晩を過ごした三角兵舎
三角兵舎の内部
8/8からココフカである。
ココフカとは、前に書いたことがあるゆきたんくと友人の大男3人組の旅チームの名称である。
メンバーは、ゆきたんく、じまさん、お父さんの3人であり、ゆきたんくが最年少である。
第1回目 白川郷2007
荻城址からの眺め
第2回目 四国2008
高知県の桂浜
第3回目 青森2009
恐山
第4回目 北海道2010
五稜郭タワーからの眺め
第5回目 九州2012
と5回目の旅であるが、今回はいろいろと忙しすぎて準備が十分出ない状態だ。
今日は最終ミーティングである。
とりあえず
鹿児島県と熊本県での見所を確認した。
今日は1日出張。
それも冷房の効いたところで。
まあ、仕事なので気を抜くことはできないが、快適なので気持ちが乗る。
普段は暖房(自然暖房です。)の効いたところで、流れ始めているソフトクリームのような姿勢で仕事をしているのだ。
昼間は、こりゃまた冷房の効いたところでラーメン・餃子だ。
体はポカポカのところにお冷をキュッと流し込む。
快感である。
連れがいなければ、おおきなゲップをすることができれば、更に快感である。
まっ、それくらいはまけておこう。
明日はココフカのミーティング。
苦あれば楽有り。
Great street musician
なんて楽器だろう。
初めての衝撃だ。む
中東辺りのパフォーマーと思ったが、場所はフランクフルトらしい。
生で見たい。
今日はあえて写真なし・・・
ショックだった。
佐原の町の伊能忠敬旧家。
3.11の震災で、瓦のほとんどが落ちたようだ。
屋根全部がブルーシートでおおわれている。
家の中は入れず、周囲には修理のために足場が組んである。
震災から約1年半。
千葉でさえ・・・
東北は・・・
明日8/4は千葉県佐原探訪と同じく千葉県旭市の戦争遺跡探訪である。
意外に忙しいので、準備ができないでいる。
まあ、限られた時間の中でしかできないから、それに従うのが一番だ。
運命に身を委ねるということだ。
そして今日はゆきたんくの足、ゆきたんく号が新しくなった。
前のゆきたんく号は11年つき合ったトヨタイブサム。
新しいゆきたんく号はニッサンセレナ。
今度は何年つきあうことになるのか。
まあ、ゆきたんくの大切な足に違いない。
お疲れ様イブサム。
2007年兵庫の旅 甲子園球場前のゆきたんく号
7/27の投稿、「牧歌的な」で解説したハージェスト・リッジを旅した2011UKの旅のホームページ作りが進まない。
そのハージェスト・リッジで動画を撮ったのでアップしたいと思う。
風が強く、細かい雨も降っていたので、十分に落ち着いてパンができなかったのが残念である。
ハージェスト・リッジの部品(ゆきたんくは勝手に部品を決めている)では、パッチワークと抹茶アイスを紹介した。
動画の中には、モンキーパズルツリーや集められた岩も登場する。
ハージェスト・リッジ
晴れ渡った青空の時に、もう一度立ちたい場所である。