いやぁ、行きましたよ。
霊巌堂。
宮本武蔵が五輪の書を書いたとされている場所です。
このような岩山のくぼみを利用して・・・
今でこそ、観光地であり、足元も整備されてはいますが、それでもここまでくるのに一苦労でした。
階段は急で、きっと宮本武蔵がいた当時は階段なんてなかったのだろうと思いました。
中には大きな岩(鉢巻をしていてもいいと思いました。)があり、社も設けられていました。
当時照明もないところで、筆を手に取り、5巻の書物を書き上げたことは大変な作業だったと推察される。
人の邪魔の入らないところで集中する辺りは、それだけで宮本武蔵の人物像が伝わってくる。
こうして充実した見学の後は、自然の驚異にさらされたゆきたんくである。
次に向かったのは阿蘇山。
このようなトーチカが何基もある。火山弾が降ってくる危険性が高いということだ。
まあ、せっかく火口まで来たのだから覗いてやろうと思ったら、緊急放送が入る。
日本語・韓国語・中国語・英語で放送があったと思う。
世界から観光客が来ているのであろう。
8/10の阿蘇山火口付近
まあ、命あってのものだねだよね。残念ながら今日は撤収・・・
ガスに巻かれて、火山弾の直撃でも受けたら、美しく死ねないと判断したゆきたんく一行はそそくさと車に乗り込み下山した。
火口の中を見るのは、宿題にしておこう。
生きているうちに見れたら、ありがたいと思うことにした。