伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

たった、これだけ…

2008-05-21 23:59:26 | Weblog

 何気にテレビを見ていると、名所旧跡、名刹、記念碑などの紹介をしていることがある。その時点でのマイブームだったことは、頭の片隅に残っているものである。そしてそれを指す単語だけが耳に届く。
 英会話のテレビを息子達が見ていても自分には何の関係もない。ところが"I bought a yakisoba at ennichi."(これで合っているのだろうか…)なんてぇのが聞こえてくると、そのyakisobaだけが聞き取れるのである。これって誰もが経験することではないだろうか。

 NHKドラマは女房が好きで見る。私はその時の気分でお相伴することもある。新撰組や忠臣蔵、坂本龍馬ものは好きだ。坂本龍馬ものを見ていた時だ。その回も一段落したのでトイレに立った。出てきた時にやっていたのは冒頭の写真にある「龍馬遭難の碑」の紹介である。かつて醤油商・近江屋の跡地に当たる。その画面に出た1本のコンクリートの標柱だけが目に焼きついたのである。前述のyakisobaの目版である。

 もっとも、この形の標柱は京都市内には沢山ある。

 2006年12月29日に年末旅行で京都に出かけた。ヨーロッパ旅行よろしく、埼玉から京都市内まで12時間もかかってしまった。年末の渋滞と突然の大雪のためだった。やっと宿に着き、食事は外ということで出かけたのが、中学校の修学旅行では行くことを止められていた新京極通りである。いろいろ悪い奴らが歩いていて、喧嘩になることを懸念してでのことである。ゆきたんくは、修学旅行の夜どうしてもここを歩きたくて出かけた。当時は制服をきて、堂々と通りの真ん中を歩くと度胸があるような話だった。もちろん、ゆきたんくと友達は私服に着替えて、通りの端を大人しく歩いたのである。あぁ、恥ずかしい・・・

 新京極から蛸薬師通りに抜け、その通り沿いの店で食事をした。腹も張り、ボゥっと歩いていると1本の標柱が目に入った。それが龍馬と中岡慎太郎遭難の碑だったのだ。テレビで紹介している時は、きれいなお姉さんの声で(おじ様の時もあるが)、BGMが流れ、碑の写真の周囲には挿絵だとか、住所、アクセスの仕方が絵画のように散りばめられてとても賑やかである。
 その時は、友達のいない人間が一人ぼっちで佇んでいるような光景に見えてしまったのである。歴史を変えた大人物の一人である坂本龍馬氏の最期を迎えた地はこんなに寂しいものなのだと思ったのである。

コメント (2)
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