伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

あらためて

2015-08-12 23:44:38 | 言いたんく

1985年のこの日、群馬県上野村の御巣鷹山に日航123便が墜落し、520名の尊い命が失われた。

正確には御巣鷹山ではなく高天原山(たかまがはらやま…御巣鷹の尾根)だという。


 


昇魂之碑への案内図。 ここ慰霊の園は墜落現場から10㎞離れている。 2011.05.08


当時は様々な情報が錯そうしたというが、この時ゆきたんくは山梨県で大学の同窓会に参加していた。

社会人になって初めての同窓会、それも1泊旅行なので昼間から飲む連中もいた。

ゆきたんくも一口ビールを飲んで部屋でダウンしていた。(ゆきたんくはビールグラスに2フィンガーで寝る。)

「○○大変だ、飛行機が落ちたぞ!」

と友人の大声で目が覚めたゆきたんくは、驚いて窓の外を見た。

寝ぼけていたのだ。

「違う!、今テレビでやっているよ。」

後のニュースでいろいろと情報を知ることになるが、その時は飛行機が落ちたということしか分からなかった。

ニュースも見ても頭がボーッとしていたからである。

その時に泊まっていたホテルから15㎞ほどしか離れていなかったそうだ。

そのホテルもどこだったか覚えていない。

 

その当時は写真雑誌で、ネット環境が整ってからは8月12日に事故を振り返ってみた。

忘れてはいけない事故だと思ったからだ。

その当時まだ飛行機に乗ったことのない自分にとって怖い事故であったが目をそらしてはいけないと思ったのだ。

時間が経ち、その日航機に高校の後輩が乗っていたことを知った。

さぞかし怖い思いをしただろう。さぞかし無念だったろう。

今の歳になると事件などを冷静に振り返ることができるが、亡くなった高校の後輩と妹さんの年齢を考えてしまうと、自分の子を失ったような悲しみに襲われた。


 


合掌を形どった慰霊塔、奥に納骨堂さらに8km彼方に御巣鷹の尾根を拝むことが出来る。2011.05.08



納骨堂。
身元識別不可能として、こ
の地で荼毘に付された犠牲者のご遺骨が123の壷に納められている。
2011.05.08

ホームページ 「鎮魂…追悼・慰霊」を参考にさせていただいた。 


 この事故は自分にとって強く記憶に残る事故であり、高校の後輩が巻き込まれという事実でさらに強く刻まれた。

もちろん、ご遺族や親類の方の悲しみはその何倍も強いことだけは分かる。

日本人として風化させてはいけない事故である。

 

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