高台寺と高辻通りのコラボ。
なんのこっちゃ?
と思う方がいらっしゃるはずだ。
かたや有名な寺院、もう一つは知らない人は知らない場所。
距離も直線で2.5km離れており、史跡の表示もない。
そう、この記事を書いているゆきたんくもスルーしていた。
義理の妹が嫁いでいる福井県に初めて行った時に観光したのが永平寺。
壮大なお寺で感動した。
その永平寺を創建したのが、曹洞宗の開祖「道元禅師」だ。
先日の「ねねの道」の写真を探した時に近くのフォルダには高台寺の写真もあった。
その中に何の気なしに撮った、というよりも撮ったことを忘れていた画像があった。
道元禅師が荼毘に付された地が高台寺の境内(庫裏の前)にあった。
この時は京都に女房の両親と一緒に出掛けていた。
義母が歩くのが好きで、ゆきたんくも旅行が好きになりかけていた時だったので、大みそかのナイトウォークに二人で出かけたのだ。
義母が是非高台寺に行きたいというので、京都市内及び歴史の知識の薄いゆきたんくもついて行ったのだ。
高台寺のどこを見たいという気はさらさらなかった。
予習をする習慣もなかったからだ。
周囲を見て気が向いた所を写真に収めたのである。
この旅は2006年12月29日から2007年1月1日にかけての旅である。
行き帰りはバスで京都まで運んでくれ、中身はフリーツアーだ。
時間は戻るが、12月30日は1日奈良観光をした。
京都四条のホテルからバス停まで歩き、京都駅から電車で奈良に向かった。
その歩きの途中で、またまた気の向いた所を収めた写真の1枚にこれがあった。
高辻通り西洞院西入 で道元禅師は54歳の生涯を閉じた。
特に意識していなかった2枚の写真がここでリンクしたのだ。
親戚のいる福井・永平寺の創建者。
ねね(高台院)に縁のある高台寺境内での荼毘の地と、亡くなった地。
現在のゆきたんくと同じ54歳。
積み重ねた実績は、歴史に残る偉業と塵のような格差。
様々なことがあまり意識しなかった2枚の写真に関連している。
きっと、またこのようなことに気づくことがあれば記事にしたいと思う。