日曜の夜は真田丸である。
これはなかなか面白い。
三谷幸喜氏の真田家目線で描かれているので、関ケ原の戦いが50秒、本能寺の変が20秒だ。
さて真田信繁(幸村)の兄の信之から5代目の来孫に幸弘がいる。
長野の松代にあった松代藩の初代藩主が信之で幸弘は6代目藩主だ。
真田幸弘の墓
ちなみに信之の墓
長国寺にある。2004.08.15 → Map
藩主の生活費も事欠くほど破綻寸前であった藩財政を立て直した人物である。
恩田民親(木工)を登用した改革は、他藩のような商業的な改革ではなく、領民の人心を得ることで解決する改革であったという。
当時の封建社会において百姓領民から直接話を聞くという率直な態度をとった木工の改革は、後世からは高く評価されている。
恩田木工民親の像(真田公園)
木工が46歳で病死すると、幸弘自身が藩政を主導し、藩校・文学館を創設した。
ゆきたんくの本名は「幸弘」である。
親父の職場近くに行きつけの鮨屋が有り、そこの親父さんが名付け親だ。
真田十勇士の大ファンだったと聞いたが、「幸弘」にはつながらない。
真田がらみで現代的な名前(当時)でつけたとは聞いたことがある。
本人がいない今確かめようがない。
てな訳で、真田氏には思い入れがあるのだ。