足尾銅山というと田中正造氏のことがすぐに連想される。
衆議院議員まで務めた人が、最後は赤貧洗うが如しの生活をした。
財産は鉱毒反対運動にすべて使ったとのことだ。
亡くなった時には無一文だったという。
亡くなった田中氏の骨は鉱毒被害を受けた6か所に分骨されている。
そのうちの一つが群馬県館林市の雲竜寺だ。
雲竜寺本堂
公害闘争の先駆者となった田中正造氏が闘争の拠点としたのがこの雲竜寺だ。
半生を鉱毒事件に捧げた田中氏が没したとも言われている寺である。(支援者・庭田清四郎宅で亡くなった記述もある。)
正造氏の墓
墓の横にあり、正造氏が祀られている救現堂
正造氏が中心となって鉱毒被害を国に提訴したのが1890年代。
もうすでに120年が過ぎた2011年に発生した東北地方太平洋沖地震が過去を浮彫りにする。
渡良瀬川下流から基準値を超える鉛が検出されたのだ。
21世紀となった現在でも影響が残っている。
正造氏の魂が救われるのはいつの日だろうか。