秀明記(syuumeiki)

着物デザイナーが日々感じたこと、
全国旅(催事)で出会った人たちとのエピソードなど・・・
つれずれなるままに。

口丹波散策・その3.「出雲大神宮」

2013年04月11日 07時48分25秒 | 旅ゆけば

 出雲大社、といえば島根県。私も2度出雲には足を踏み入れ
ました。(でも仕事で行ったもんで、大社には詣でていない・・。)

9号線を丹後方面に向かって車を走らせていると、「出雲大神宮
の看板を目の端で捉えた方も大勢いらっしゃると思います。

私も何度か目にして、「ほ~、さすが日本の神さんの総元締めで
すな、こんな遠い場所にも案内板が建ってるし。」

ホント、物知らず、というのは怖い・・。(確かに9号線を真っ直ぐ行け
ば、鳥取県に入るし、その先は島根県だけど)

しかし、あえて自己弁護させていただきますと、京都の人間にとって
亀岡は近くて遠い街(市)なのであります。(もしくは通過地点)

しかも社寺仏閣は京都市内に余るほどあるから、隣県の神社まで
気がまわらない。

さすがにこの年になると、出雲大神宮と出雲大社の違いは分かり
ますけど、わざわざこの目で確かめにいくほど酔狂ではありません。

が、今回口丹波散策の機会を得、晴れて大神宮とご対面が叶い
ました。(なんだか結婚式のスピーチみたいでんナ)

  

前回の磨崖仏はたどり着くまで大変苦労したけど、コチラは案内板もしっかり
建ってますから、目を瞑っていても大丈夫。なワケはない。目は開いて運転。

建立のいきさつや、出雲族との関わりについては述べられた資料はぎょうさん
あると思います。で、ありますから、ここは写真と己の感想をば・・・・。

   

由緒正しい大社ですから、神聖さと神々しさはもちろん、ヒシ、と感じます。
が、私はそれ以上にアニミズム的な神秘性をビンビン感じました。

  

  

  

 

いわば、宗教の先祖帰り・・・。まだ仏教も渡来していないはるか昔、湧き出る泉や岩石に
知らず知らず手を合わせて伏し拝んでしまう・・・・。てな感じですか。

遠くから山を拝するのは「遥拝型」、 山に分け入り拝するのを「登拝型」とよぶそうです。
この聖地は当初は遥拝型で、時代が下るにしたがい登拝型に変化したのかも知れません。
あ、いつものごとく、なんの確証もありませんから・・・・・。

  

 

  


山、自体がご神体、カムナビですから、途中からは足を踏み込む
ことが許されません。

亀岡にはまだ散策したいところが何箇所かあるんですけど、なんせ
「山ひとつあなた」(あまり遠くでも近所でもない)ですからねぇ・・・・。