秀明記(syuumeiki)

着物デザイナーが日々感じたこと、
全国旅(催事)で出会った人たちとのエピソードなど・・・
つれずれなるままに。

八幡・八角堂

2013年04月26日 08時31分17秒 | 京都非観光迷所案内

 今回相方のアンテナが感知したのは、この八角堂ではありません。
これは迷所案内人の嗅覚が嗅ぎ当てた物件です。

なんてエラそうなこと言ってますけど、「八幡まるごと イラストマップ」
にもちゃんと記載されています。(小さめですけど)

しかし道路からは建物は見えるんですけど、なかなかたどり着けない。
地理に不案内ってこともあるけど、なかなか手こずらせてくれましたナ。

車を置いて堂への上り口を見つけるまで少々時間がかかりましたね。
 

   

鎌倉時代に前善法寺検校祐清が男山の西谷に建立されたそうです
が後に大破。慶長12年に豊臣秀頼が小出吉政に命じて再建。

  

この地に移転されたのは明治の神仏分離によるものだそうです。取り壊された
寺も数多くあったらしいけど、よくぞ生き残ったもんです。

建物の形状は正確には八角ではなく、四角の四隅を切り取った「隅切り八角形」
で類例が少なく珍しい。いや、私が言ったんじゃなくて説明板に書いてありました。

明治のバカ役人からこのお堂を救ったのは正奉寺住職 志水円阿というお坊
さんだそうです。
 
しかし堂に回らされたこの柵。防犯のためでないのはひと目見てわかりますよね。
柵の理由はコレ↓ 
       

   

  
ナルほど、こりゃ危険だわ。というか痛々しい・・・・。

こちらは集会所のようになっていますが、こんな新しい建物を建てるお金が
あったんなら、御堂のほうをもう少しなんとかしてよって言いたくなるけど。
 
歴史的建造物だから、おいそれと手がつけられないのでしょうか?まぁ、ヨソもん
が口だすこっちゃないか・・・。

坂道を登りながら、なんとなく古墳ぽい丘だな、と思ってたら、やはりそうでした。
西車塚古墳後円部上に建てられているそうです。

  

改修工事うんぬんはともかく、個人的な好みで言わせていただくと、実は
好きです、このウラビレた感・・・・・。