秀明記(syuumeiki)

着物デザイナーが日々感じたこと、
全国旅(催事)で出会った人たちとのエピソードなど・・・
つれずれなるままに。

長野日帰り。

2013年04月20日 10時38分48秒 | 旅ゆけば

 昨日の朝5:30分過ぎに京都を出発、伊那(長野県)に到着したのが8時
ころだったかな。それから打ち合わせを済ませて昼前に伊那から佐久へ。

長いわ、長野県・・。2時間も車で走ったら、京都なら大阪通り越して兵庫県
まで行ってしまいまっせ、ホンマ。

伊那市でからはA社のN社長も同行、N君(同じ名字でややこしい)と三人で
の道行きとなりました。

このN社長は以前(2012.9/29)に紹介した、蕎麦大好き人間です。N君も
私も舌は肥えてはいないけど、麺喰い人です。(貧舌は私だけか・・)

高速を降りて峠道を走りつつ、6ヶの目玉が捜し求める蕎麦屋の看板。

蕎麦喰いが今回の目的ではないので、何の情報も得ずに車を走らせて
いますから、とにかく最初に目にとまった店にしようと暗黙の了解。

一応、「うどん・蕎麦」の看板はパスして、一軒目に出会ったこのお店。

なんとなく「地元の人に愛されてます感」があっていいんじゃないっすか?

車もほぼ満車みたいだし。 しかし、いくらラインが引いてないからって、
もうちっとちゃんと駐車できんもんかえ?ま、おおらかでいいけどね。
 
店を外見から吟味しているN・Nコンビ。↑

メニューを見ていた社長がまず気がつきました。温かい蕎麦はだし汁が切れたら終了
となります。ムム、限定商売か、やりますナ。

  

そしてN君は営業時間を指さす。ほほぅ、一日たった4時間とは、ちょっと期待
してもいいかも知れない・・・・。
  

で、三人が選んだのは「ミニ掻き揚げ丼とざる蕎麦」 温かい汁蕎麦はドコいってん。
だって、お勧めって書いてあったんだモ~ン。(オヤジのブリッコは気持ち悪いワ)

しかし、いつも思うんですけど、長野県の蕎麦専門店って、他県に比べて割高
な気がするんですけど、私だけだろうか、そんなこと感じているのは。
  

このセットは1000円。まぁ価格的には私にとってギリギリの範疇内ですか。
京都なら昼食セットはもう少しリーズナブルな店を選ぶところですけど。

で、蕎麦です。味に関してはいつものように批評は差し控えさせてもらいます。
ただ、切り方が・・。細いのやら太いのやらが混じってます、つまりバラバラ。

当然、太さが違うと茹で上がったら、シコシコの部分やらモチットした箇所が
あって混然としてしまいます。も一つ言えば水切りが不十分で、盆が水浸し・・・。

残念様でした。あ、でも掻き揚げ丼は美味しゅうございました。カリっと揚がって
タレは若干甘めでしたが、掻き揚げとの相性はグッドでした。

店を出て車に乗り込んだワタクシ、「いっそ掻き揚げ丼の店で看板だせば
いいと思う・・・」と呟いてしまった。

ま、他府県に出かけるとそんなコトもあるから面白いんですけどね。

 
そしてお仕事。なんだか分かり難いと思いますケド、これはブルーベリー畑です。
収穫は夏だから、今はこんな状態です。

仕事の内容は今はまだ話せませんけど(聞いても面白くないと思うし)、今回
は依頼を受けての視察程度です。いつになったか儲かるねん・・・。

帰り道は社長が気を使ってくださり、別ルートで伊那を目指しました。

八ヶ岳公園で休憩。さ、寒い!ニュースでこの日は寒の戻りで非常に寒く
なるって言ってたけど、ここは標高1300メートル以上でございます、ご想像ください。
 

伊那で社長とお別れして帰途、飯田の「南信州うまいもの直販店」で買い物。
と言っても相方はこの日からまた出張。だから私の買い物はほとんどナシ。

相方が同行していたら、また「破産する~!」と叫びつつ買い物しているんだろナ。

 
私の買い物はコレだけ。「のびる」の葉は食べたことあるけど、根っこは初めてです。

味噌に付けて生で食す、とあったので、ついでに若とうがらし味噌(300円)を購入。

(のびる=辛い)×(若とうがらし=辛い)でカラさの二乗。すなわち焼酎ススム君。

この日は朝から晩まで車に乗っていた気がするけど、とにかく21時に無事帰宅。

一人でドアを開けて、一人で灯りつけて、一人で焼酎のんで終了!



 


 

 

 

 


ちょっと気になるCM(ホンマ、ちょっとだけです)

2013年04月18日 07時34分25秒 | おもろい関西人。

 少し前から流れている日本酒のCMでずっと気になっているのがあります。

女優のFさんが京都をイメージさす割烹の女将役で出演されています。
神戸出身ということで、関西弁にも(京言葉というべきか)違和感はありません。

小奇麗なカウンターでFさんがお客と会話している(一人ですが、会話して
いる、と仮定)シーンがあります。

客がバブルのころの自慢をしたのでしょうね、彼女は小首を可愛くかしげて
「ほんで?」と一言。

この「ほんで?」、はいろいろな意味でとらえることができますが、この
シチュエーションの場合はビミョウなんですな。

作り手の意向としては、いつまでもバブル時代の自慢をする客に対して
京女(をにおわす)がヤンワリと皮肉を込めて切り返す・・・・。

きっと製作者の周りにはこんなオヤジが大勢いるんだろうな、と想像にカタクナイ。

で、「ほんで」ですが。よく会話で使用されるのが、話の接ぎ穂的用法。子供がよく、
「ほんでナ、ほんでナ」とやたら「ほんで」を連発します。興奮すると顕著になる傾向アリ。

では「ほんで?」の場合。これは話の続きを促す、という意味もありますが、ほとんどが
「それがどうしたん?」(言下にアナタとのお話はもうエエし、という拒絶の意味)とか、

「ほんで、それがどないしたんじゃ!グタグタぬかすな!カタつけたろかい!」などと
宣戦布告の逆ギレセリフに使用される場合もあります。

CMの使用用途は2番目ですよね。しかしここで考えていただきたい。あのCMは
日本酒を皆で楽しくいただきましょう、ってコンセプトで製作されているはず。

祗園はもちろん、あのような店で、女将が口にするセリフとは思えません。
(しかも上から目線で。しかしコレは彼女には責任はまったくありませんけどね。)

とまあ、こないだからちょっと気にかかっていたもんで、またツマラン話をしちまった。

なんせ、京都で生まれて、京都に長年生息してきたとはいえ、しょせん「お土居」
の外が生活範囲、祗園にもほとんど縁のないオヤジのいうことですから、お聞き
のがしください・・。

 「ほんで、お前さんはどないすんねん?」と自問する4月18日の朝であります。

 

 


薄味・濃い味。

2013年04月17日 14時20分35秒 | グルメなのか?

 すこし前までは減塩対策として薄味がもてはやされていました。しかし
最近では薄味志向は少し影が薄くなって(シャレちゃいます)きたようです。

先日TVを見ていたら、レトルト食品などは、一口目でガツンとインパクトを
与えるために、かなり濃い目に味付けしているそうです。

だからヨットで何日も航海している人は、最初の一日、二日はその類の食物
を口にしたときは美味いと感じるけど、それ以降は水の量を倍近くして薄め
ないと食べられなくなるとか。

そういえば、このごろのラーメンブームでも、かなりコッテリ系が人気を博して
いるようですね。つけ麺など、最たるものですわナ。

昔の肉体労働者ならともかく、現代人が、そんな濃い味の食品ばかり食べ
ていて良いのか?と。フト思う今日この頃です。

濃い味食品を提供する→糖尿病などの成人病が蔓延→病院が儲かる
→病院費の負担が恐いので生命保険に加入する。

食品メーカーから保険業界までの「風が吹けば桶やが儲かる」方式の陰謀が
うず巻いていたりして・・・。

不慣れなグルメレポーターがよく口にする 「ゼンゼン臭みがないですね~」

食物にもそれを提供した相手に対しても、失礼なやっちゃ、ジビエ料理と
違うデ、と一人突っこんでしまう私です。

猪や熊の獣臭さを消すために、味を濃くするのは分かりますが、今の野菜
なんかほとんど土の香りなんてしませんやね。

「風ふけば」計画の他に考えられるとしたら、いったい食品に含まれるナニを
隠匿しようとしているのか?保存料?農薬?オソロシや・・・・。

なんてコトを考えつつ、インスタント焼きそばを食っているワタクシです・・・。

 

 


安楽寿院

2013年04月16日 08時30分01秒 | 京都非観光迷所案内

 京都市内や北部に比べると、南西部には観光スポットと呼べる場所
はさほどありません。(だから迷所案内人が徘徊したりするんですけど)

しかし鳥羽離宮が当時のままは無理としても、その片鱗だけでも残されて
いたら、今の観光事情も多少は変わっていたかも知れません。

城南宮が残されているではないか?との指摘もあろうかと思いますが、
かつてあった鳥羽離宮のスケールから思えば片鱗の一部くらいでしょうか。

 

離宮、といえば思い浮かぶのが「修学院離宮」、「桂離宮」、「八瀬離宮」。
あ、最後の八瀬は関係ないですョ。

修学院も桂も予約は必要ですが、今でも観光スポットとして知られています。

しかし、「鳥羽離宮なんて知らんワ」、って京都人も約半数いるのが事実です。
(いや、事実ではない。その程度じゃないか、と推測しただけです。)

院政 政治に手をやいた武家社会がテッテー的にその存在を消滅さすために
鳥羽離宮の痕跡を残さなかったのではないか?とさえ思えるほどです。

 そんなことはないとは思いますけどね。地形や地理的な問題や、太閤堤、小椋池
の干拓も関係しているのかも知れません。

 ここでやっと日曜日の話に戻るワケです。年いくと話が回りくどくていかんワ・・・・。

今回の鳥羽探訪の目的は大きく二つあるって言いましたね。あ、言ってないか。
(こんなツマランことばかり書いてるから先に進まないんだし)

一つは「草津湊」、そしてもう一つが「安楽寿院」 い~名前です。安楽死を願う人
たちが、ひきもきらず参拝にやって来ます。(ハイ、今日のダボラはこれで終了)

 

正確にいえば、興味を惹かれたのは藤原時代に彫られたという石仏三尊です。

そのうちの一体は国立博物館で保管されていますが、あとの二体はこの寺の
境内に残されています。なんと保管されているのは小屋の中。

 

同じ時代に生まれた地蔵尊なのに、かたや国立物館、もう一方は酷立小屋。

残された二体は剥落もみられ、確かに保存状態は良くないけど、「お地蔵さんの
格差社会や~!」とワタクシ、つぶやいてしまった・・・。

 

 

しかし、人々を救うためにこの世につかわされたお地蔵様ですから、

「人の目ぇに触れん博物館より、わしゃここで衆民を見守っとるほうがエエわいナ」
と仰っているかも知れませんね。

鳥羽離宮の本殿の御堂が安楽寿院だったそうですが、この寺とは位置が違って
いたであろうといわれています。

この時点で時計を見れば12:10分。大急ぎで近所の「北向不動院」へ向かいます。
別にパスしても良かったけど、次にこの辺りに来ることはまず無いと思いますからね。

 

           

     

ここで鳥羽探索はタイムアウト。一路我が家に向かってペダルをこいで
13:20分に到着。着替えをしたり資料を確認した後、レトルトカレーを
鍋に入れてご飯を電子レンジへ。

13:40分、さぁ大急ぎで食うぞ!と思ったとたんN君からTEL。

「今、近所のコンビニに到着しました」って・・・・・。

この片手に持ったレトルトカレーの袋、どうしてくれよう。ま、いいかまだ
封も開けてなかったし。昼食抜いたところで死なんわナ。

で、彼の車に乗り込んで出かけた先は・・・。なんと城南宮を下がった店で
ありました。(もう一人が名神高速を利用して帰京していたもんで)

確か昨日、「鳥羽近辺に出かけることは、まずないでしょう」なんて投稿して
たはずなんですけど・・・。ま、こんなこともありますワナ。

 

 


鳥羽の作り道・草津湊

2013年04月15日 09時13分48秒 | 京都非観光迷所案内

 前から気になってはいるのに、今だ未踏の迷所が何箇所かあります。

たまたまその近所に用事があって時間的にも余裕があるときに、「覗き見的散策」
のパターンが多いのがこの迷所案内です。(もしくは行き当たりばったり)

しかし、「草津湊」のある鳥羽近辺を訪ねる用事なんて、この先あるとも思え
ません、多分。

そこで昨日は日曜日、天気も上々、自転車で「目的地指標型散策」に出発!

部屋を出たのが10時半過ぎ。この日は14時に仕事の打ち合わせがあった
ので、それまでに帰宅しなくてはなりません。車なら余裕なんですが、やはり
「鳥羽の作り道」を探索するには自転車です。(徒歩はちょっとキビシイ・・・・)

スタートは以前(そうとう前です)紹介した「ずっこけスポット・羅生門跡」
そこからずずいと、旧千本通りを南下いたします。

これまた以前紹介した上鳥羽「浄禅寺」を越えて、まずは第一目的地の「塔
の森」へ到着。ここで気がついたんですけどね・・・。今回は「指標型散策」

つまり参考文献をもとに行動しています。(「京の古道を歩く」 増田潔 著)
出かけるときにザックに入れたはずなんだけど、ミョーに背中が軽い・・。

忘れとりますがな、ザックの中はスッカラカーン。ま、いいか、大まかな地図
は頭に入っているし。(の、ハズ)

相方が同行していなくて良かった、またバカにされるトコでした・・。

記憶によれば、「賽の河原」はこの辺りだったぞ。(後で確認したら合って
いました。ん~、まだシラフの状態なら頭脳は大丈夫。)

  
  西高瀬川

京都で「賽の河原」と呼ばれた場所はもう一箇所ありました。そうずっと前に
紹介した西院の「高山寺」。ってダレも覚えてないわナ。

西院は川も暗渠に隠れて、大勢の人たちが行き来する繁華街に変貌して
いますから、ちょっと「賽の河原」のイメージからはかけ離れてしまいました。

以前読んだ資料によると桂川流域では、よくドザエモンが流れ着く場所が埋葬の
地とされ、自然にそこが墓地化していった、とありました。

  
  桂川護岸。今は奇麗に整備されて「賽の河原」のイメージではなくなりました。

もしかしたら、西高瀬川と桂川が合流するこの近辺もそうだったのかも知れません。
  

 

小枝橋を渡ってちょっと寄り道。戊辰戦争の幕が切って落とされた「鳥羽伏見戦跡の碑」。NHK
の大河ドラマでも、もうすぐ登場すると思います。(今回はちゃんと観てないんですけどネ)
  

戊辰戦争より、ずっと昔もこの近辺は古戦場でした。京への要所だったのでしょう。ここ
でもう一箇所探索したかったのが「鳥羽離宮の築山遺跡」。

辺りを見回したところ、それらしい公園を発見。しかし入り口にも、築山の碑にも鳥羽
離宮を示す案内板はなし。もしかしたら違っているかも知れないけど、一応撮影。
  
 ↑これも鳥羽伏見戦の碑。ここは時間もないことだし、次の目的地へ向かいます。
           

再び川沿いの道をサイクリング。なぜこの橋は途中まで残しているんだ?


完全撤去の費用が無かった?

造り酒屋「月の桂」 延宝三(1675)年創業。そういや吉田神社の節分祭で
ここのにごり酒を買って歩き飲みしてたナ。


         

近所の「おせき餅」の店。この店舗は新しいけど、すでに十七代続いている
そうです。どんな餅か?って私に聞いても無理。甘味は私の範疇外です。↓
      

そしてようやく目的地の「草津湊」に到着。イニシエのころ、「やんごとなき人びと」が遠方へ
配流されるときに、この湊で別れを惜しんだとつたえられます。

崇徳新院、大納言成親、法然、後鳥羽上皇、エトセトラ・・。策略や政変、法難など理由は
それぞれあったのでしょう。京での栄華の頃に思いをはせ、はるか遠くの流刑地への不安
に胸打ちふるわせた「やんごとなき人びと」の思念がただよう気もする草津湊です。

こんな書き方すると、怨念がおんねん、(一箇所はツマランこと言わんと気がすまない)みたい
な土地に思われるかも知れませんが、そんなことはないですョ。

かつては京と浪速をつなぐ交通の要所として、かなり賑わいをみせた湊だったそうです。
ここに到着した「鱧」を生きたまま桶に入れて市内に向かって走りだすスタートラインがココ。

「はしり」、という言葉はここから始まったそうです。(案内板に書いてありました)で、昨今では
この地を「鱧の湊」とよぶそうです。ワタクシは聞いたことはありませんケド。

余談ですが、「鱧寿司」は西本願寺の特別料理だったそうです。寺内町の人たちに伝わり、
六条の名物となったとか。その鱧もこの湊から運ばれていったのかも知れませんね。

今回は「鳥羽の作り道」を幹に「草津湊」を目指しましたが、作り道の説明をしていませんナ。

平安京の入り口の一つであった「羅城門」から南の道をそう呼んだそうですが、造られた時代
は諸説あるようです。平安京造営の祭に造られた道、というのが一番妥当と「京の古道を歩く」
には書かれています。

草津湊からの帰り道にもう一箇所訪ねたい場所があったのですが、また次回にご紹介します。
だれも待ってなくても掲載するもんね。

 

 

 


          

 

 

 

 


御金神社(みかねじんじゃ)。

2013年04月13日 17時38分55秒 | 京都非観光迷所案内

 爺化ますます進行中のワタクシ、今朝も目覚めは5時30分。
枕元にあったTVのスイッチを入れてボンヤリ画面を見てました。

すると、緊急地震予報のテロップが・・。え、ミサイルと違うん?
まだ寝ぼけ気味の私、思わず床を押さえましたね・・・・。

床を押さえたから揺れが止まるワケでもないのに、お馬鹿です。

京都はそれほどでもなかったけど、相方は播磨方面へ出張中。メール
を送ったら、携帯の注意報で目が覚めたけど、大丈夫、とのことでした。

震源地もさほど大きな被害はなかったようで、なによりです。

今日は新企画の打ち合わせで昼イチに人と会う約束がありました。
もし、今朝の地震を上回る震度が関西を襲っていたら、仕事どころ
じゃないですよね。 

現代人の生活も薄氷の上での暮し、って感もありますナ。

かといって、厭世的になったり、悲観していてもしょうがない。

まずは食っていかねば・・・。そのために大事なモノは?そうです、
お、か、ね、です。

そこでワタクシ、打ち合わせの後、この神社めざして猛ダッシュ!

またウソついてます・・。この社、たびたびマスメディアに取り上げられ
ていますが、私はイマイチ足を運ぶ気が起こらなかったんですよね。

今日は時間的に余裕もあったし、また目的地に車を駐車するところ
も無かったもんで(有料のパーキングはあるけど)自転車で出かけました。

帰り道に営業先の視察を兼ねて徘徊中、たまたま黄金の鳥居が目に
とまったから、立ち寄ってみた、ってのが真相です。
  

由緒由縁、位置等は「御金神社」で検索していただければヨロシイかと思います。
(なんてナゲヤリな・・・・。いつものコトですけど。)
 
  

しかし、今まで足を運ぶ気になれなかった社に偶然遭遇して取り上げさせて
もらおう、という気になったのは、もしかしたら・・・・・・?

 

 

 


清荒神。(きよしこうじん)

2013年04月12日 09時02分40秒 | 京都非観光迷所案内

 このカテゴリーは目的地を定めて散策することは少なくて
たまたまその場所を通りがかって写真撮影、あとでリサーチ、
ようするに行き当たりばったりの迷走ブログであります。

で、ありますからカメラに収めたまま、後日UPのパターンが
多いのです。ところがあまりに日が経ち過ぎると、アレ、ここ
どこだっけ?なんてコトがママあります。

この清荒神の場合、寺名を思い出せない、のではなくて、以前
紹介した気がしていたけど、念のため写真に収めておきました。
  

ちょと時間ができたので、ざっと迷所案内をチェックしたところ、まだ紹介して
なかった・・・。多分訪ねたことはあるけど、名所と迷所の間、グレーゾーン
で迷ったあげく撮影を思いとどまったんだと思います、多分。

 

 
頭が怖い・・・。


そうとう大きな炭が拾えます。

「荒神橋」とか「荒神口」を思い浮かべる人が多いと思います。(私もですが)

学生運動華やかなりしころ、「荒神橋事件」ってのがあったそうですが、私はまったく
記憶にございません。そりゃそうだ、まだ生まれてなかったもんな。

ああ、やっとカメラのデーターがちょいとすっきりしたぞ・・・・。

 


 


口丹波散策・その3.「出雲大神宮」

2013年04月11日 07時48分25秒 | 旅ゆけば

 出雲大社、といえば島根県。私も2度出雲には足を踏み入れ
ました。(でも仕事で行ったもんで、大社には詣でていない・・。)

9号線を丹後方面に向かって車を走らせていると、「出雲大神宮
の看板を目の端で捉えた方も大勢いらっしゃると思います。

私も何度か目にして、「ほ~、さすが日本の神さんの総元締めで
すな、こんな遠い場所にも案内板が建ってるし。」

ホント、物知らず、というのは怖い・・。(確かに9号線を真っ直ぐ行け
ば、鳥取県に入るし、その先は島根県だけど)

しかし、あえて自己弁護させていただきますと、京都の人間にとって
亀岡は近くて遠い街(市)なのであります。(もしくは通過地点)

しかも社寺仏閣は京都市内に余るほどあるから、隣県の神社まで
気がまわらない。

さすがにこの年になると、出雲大神宮と出雲大社の違いは分かり
ますけど、わざわざこの目で確かめにいくほど酔狂ではありません。

が、今回口丹波散策の機会を得、晴れて大神宮とご対面が叶い
ました。(なんだか結婚式のスピーチみたいでんナ)

  

前回の磨崖仏はたどり着くまで大変苦労したけど、コチラは案内板もしっかり
建ってますから、目を瞑っていても大丈夫。なワケはない。目は開いて運転。

建立のいきさつや、出雲族との関わりについては述べられた資料はぎょうさん
あると思います。で、ありますから、ここは写真と己の感想をば・・・・。

   

由緒正しい大社ですから、神聖さと神々しさはもちろん、ヒシ、と感じます。
が、私はそれ以上にアニミズム的な神秘性をビンビン感じました。

  

  

  

 

いわば、宗教の先祖帰り・・・。まだ仏教も渡来していないはるか昔、湧き出る泉や岩石に
知らず知らず手を合わせて伏し拝んでしまう・・・・。てな感じですか。

遠くから山を拝するのは「遥拝型」、 山に分け入り拝するのを「登拝型」とよぶそうです。
この聖地は当初は遥拝型で、時代が下るにしたがい登拝型に変化したのかも知れません。
あ、いつものごとく、なんの確証もありませんから・・・・・。

  

 

  


山、自体がご神体、カムナビですから、途中からは足を踏み込む
ことが許されません。

亀岡にはまだ散策したいところが何箇所かあるんですけど、なんせ
「山ひとつあなた」(あまり遠くでも近所でもない)ですからねぇ・・・・。 

       

 


口丹波散策・その2 「二十一尊磨崖仏」

2013年04月10日 09時12分20秒 | 旅ゆけば

 いきなり口丹波、なんていわれても京都人でも戸惑いますわナ。

口丹波とは亀岡、園部、船井郡地方をさす地名です。丹波の入り口
ってことですかな。丹波口、という地名もありますが、これは京都市内。

市内の丹波口は今はJRの駅で知られていますが、平安京のころは別
の場所にあったそうです。この話しだすと「京の七口」の説明からしなくては
なりません。今回は関係ないから、また後日。(多分忘れてしまうと思うけど)

相方の一番の目的であった筍購入も済ませて、お次は私の仕事と、社寺
散策ですが、仕事の話は今は置いておきます。

今回散策したかったのは、一つ目が「嶺松寺」の「二十一尊磨崖仏」です。
磨崖仏←「まがいぶつ」と読みます。ワタクシは「マガイモノ」、つまらん!

南北朝時代に彫られたものと推測されているそうですが、確かな時代は不明。
説明版には昭和3○←(消されています)と書かれていますが、もしかしたら昭和
35年の水害かも知れません。八木では8名が死亡しています。


その水害の祭、裏山にあった磨崖仏が10メートルほどずり下がって、この場所に鎮座
されたそうです。それまでは秘仏されていたとか。(私の読んだ文献では昭和48年発見
となっています)

   

今でも近辺には、この磨崖仏に関する表示看板は一切見当たりません。やはり
秘仏に近い存在なのでしょうね。

  

こんな結界のような注連縄も張られています。
      

9号線を千代川から西へ、府道を右折、なんですけど、この府道が
細くて見落としてしまった。チラッと寺が見てたけど、新しく建て直され
ていたので、南北朝時代のイメージと結びつかなかった・・・。

 
というか、曲がり角にこんな看板があったもんで、コレに気を取られてしまった。↑



この風景は磨崖仏が彫られた時代からあまり変化していない気もします。

 

 

 

 


口丹波散策。

2013年04月09日 18時07分32秒 | 旅ゆけば

 ときどき相方の思考回路がどうなっているのか考え込んでしまう私・・。

一昨日、スーパーで「山椒の葉」をワンパック購入した彼女が突然、

「筍、煮るべし!丹波マーケスの朝市に買いにいきましょう!」
なんてコト口走るのでありました。

いや、その~、別にスーパーでも出回ってるんですけど、筍・・・・・。

しかし、こうなっては彼女にはナニか降りて?きてますから、逆らえません。
私の仕事に関する調査と、行ってみたかった社寺散策を兼ねて出発。

朝食は途中でとることにして、とりあえず7時過ぎに部屋をあとにしました。

時間もあることだし、縦貫道は利用せず、地道で丹波方面を目指したんです
が、やはりこの時間帯は交通量がやや多いもんで、停滞気味です。

亀岡を過ぎたあたりで、「遅い!このままだと朝市じゃなくて昼市になる!
縦貫道に乗りなさい!」と相方からのご指示がございました。
(なんせ朝食抜いてますから、怒りが沸点に到達する前に素直に進路変更)

無事、マーケスに到着したのが、8時過ぎでした。平日ですから、そんなに
賑わいはしないだろう、と思ってたけど、やはり想像通りでした。
  

でも朝掘りの筍はちゃんと販売されていましたから、OKです。彼女が手にした筍の価格
は一本千円・・・。ちょっと高いんでないかい?隣に二本で五百円のもあるけど・・・。

と、思ったけど、口には出しません。確かに値の安いのはスーパーでも販売してますし。

支払いのときレジのオバサンに聞いたら、まだ今年は早いので、少し割高なのだとか。
(確かに帰り道に洛西の販売所を覘いたけど、ほとんど出ていませんでした。)

まだ時間が早いもんだから、近所で食事する店も見当たらないし、京都方面に向けて
ハンドルをきります。で、たどり着いたのが亀岡の道の駅「新光悦村」。

  
                             超ビッグサイズの椎茸↑(200円)

さぁ、やっと朝食。私は卵かけご飯セットです。味噌汁と佃煮をつけないと300円ですが、
これは500円。
  
米は園部のコシヒカリ(新米)、卵は美山の地飼い鶏卵。美味です。

  
この上に乗っけている茸のワサビ煮が、ヒジョーに食欲をそそります。

  
相方は特製うどんセット。600円。実は相方は蕎麦で注文したけど、お店の
ミスでうどんできちゃいました。すいません、お取替えします、って言われた
けど、お腹もすいてることだし、じゃぁ、それでいいです、ってコトにしたんです。

結果オーライでしたね。このうどん、中太ですが、口当たりは柔らかいのに、
コシはしっかりしています。太くてコシの強いのは私たちはちょいと苦手です。

相方も「コレ、美味しいやん、買ってかえろ。」・・・もしかして間違えたのは確信犯?


なぜか、丹波黒豆パンも一緒に購入。 「あかん、道の駅寄るたびに買い物
してたら、破産してしまう・・・」と彼女は申しておりました。

ところで、丹波黒豆で思いだしたんですけどね。以前、丹波ICの近くの
ドライブインに二人して立ち寄ったことがありました。

そこに「丹波黒豆コロッケ」なるモノが販売されていたんですけどね。なんでも
物珍しい食物を見つけると、とりあえず口にしてみるイヤシンボの二人・・・。

二人でイッケ購入して半分ずつ食べてみました。「ほぉ~、コレが丹波の黒豆
の味ですか・・」 「そういえば、何となくコクがあるみたいやなぁ・・・・・」

と、二人して頬張りつつ、感想を述べあってたら、

「すいませ~ん!間違えました、ソレ、普通のコロッケのほうでした~!」
と店員はおっしゃいましたね。

顔見合わせて大笑い。だから、ワタクシの食べ物に関するブログは信用
しないほうが良いですよ、ここだけの話・・・・・。

茹で上がりました。「あとは煮るなり、焼くなり好きにして」状態。半分以上
は相方の実家へおすそ分けしたけど、二人で食べるにはまだ多いぞ。