こちらも迷所じゃないけど、岩清水八幡宮と同じ理由でカテゴリーに
含ませていただきます。(ダレにことわってるんでしょね)
松花堂昭乗の名前や経歴は存じていました(ちょっとだけですけど)が、
あまり興味がなかったもんで、ここを訪ねることはなかろうと思っていました。
今回はせっかく八幡まで来たことだし、ついでに、って感じで来訪したのです。
いや、厳密に言えば「女郎花(おみなえし)」の女塚と男塚には興味はありました。
↓近所のマンション。なかなか素敵なネーミングです。
その女塚が松花堂庭園の中にあるのです。しかし入園料を支払ってまで見学
するかどうかは庭園に来るまで迷っていました。時間も時間だし。(4時前でした)
で、入り口で入園料を見たら、なんと100円。(庭園のみ)閉園まで残り一時間あります。
これは見学しないわけにはいきません。(ワレながらセコイと思います・・・。)
入り口の藤棚。盛りはもう少し前だったようですが、美しゅうございます。
今回は、はっきり言って予測を裏切られましたね、良い意味で。
これだけの路地庭を一度に拝見させてもらえるとは・・。100円ですョ(もうエエか)
庭はもちろん、建物、竹林(多種の竹が植えられています)も一見の価値があります。
↑水禽窟
生垣の勉強にもなります。
椿園
私がとくに気に入ったのが庭園にさりげなく配置された石塔です。彫られた
時代や作者はおそらく不明だと思います。筍と背比べしているようにも見えますナ。
もしかしたら、神仏希釈のおりに、取り壊された寺から集められたのか
も知れませんね。
そして目的の「女塚」
では男塚(頼風塚)はどこにあるか?というと松花堂をいったん出て、東高野街道を
北上した民家の間にひっそりと建っています。
これは分かり難いぞ。
離れ離れになった男塚と女塚、しっかり私のブログで添わせてあげましょう。
(余計なお世話か・・・・。)
最後に松花堂昭乗は知らなくても松花堂弁当は知ってるで~、って人も
いらしゃると思います。
昭乗先生がお百姓さんが種入れとして使っていた箱を見て、「おっ、これを
絵の具箱や煙草入れに使ったら便利でおますな。」と思いついたそうです。
ときはくだって昭和の時代、大阪の貴志家から依頼を受けた吉兆の創始者
湯木真一氏が昭乗さんの道具箱にヒントを得て、弁当箱を発案されたそうです。
敷地内には吉兆のお店があって、当然「松花堂」弁当がいただけます。
来年は頑張って、花見をかねてこの松花堂弁当を食べに来るぞ。