秀明記(syuumeiki)

着物デザイナーが日々感じたこと、
全国旅(催事)で出会った人たちとのエピソードなど・・・
つれずれなるままに。

口丹波散策・その2 「二十一尊磨崖仏」

2013年04月10日 09時12分20秒 | 旅ゆけば

 いきなり口丹波、なんていわれても京都人でも戸惑いますわナ。

口丹波とは亀岡、園部、船井郡地方をさす地名です。丹波の入り口
ってことですかな。丹波口、という地名もありますが、これは京都市内。

市内の丹波口は今はJRの駅で知られていますが、平安京のころは別
の場所にあったそうです。この話しだすと「京の七口」の説明からしなくては
なりません。今回は関係ないから、また後日。(多分忘れてしまうと思うけど)

相方の一番の目的であった筍購入も済ませて、お次は私の仕事と、社寺
散策ですが、仕事の話は今は置いておきます。

今回散策したかったのは、一つ目が「嶺松寺」の「二十一尊磨崖仏」です。
磨崖仏←「まがいぶつ」と読みます。ワタクシは「マガイモノ」、つまらん!

南北朝時代に彫られたものと推測されているそうですが、確かな時代は不明。
説明版には昭和3○←(消されています)と書かれていますが、もしかしたら昭和
35年の水害かも知れません。八木では8名が死亡しています。


その水害の祭、裏山にあった磨崖仏が10メートルほどずり下がって、この場所に鎮座
されたそうです。それまでは秘仏されていたとか。(私の読んだ文献では昭和48年発見
となっています)

   

今でも近辺には、この磨崖仏に関する表示看板は一切見当たりません。やはり
秘仏に近い存在なのでしょうね。

  

こんな結界のような注連縄も張られています。
      

9号線を千代川から西へ、府道を右折、なんですけど、この府道が
細くて見落としてしまった。チラッと寺が見てたけど、新しく建て直され
ていたので、南北朝時代のイメージと結びつかなかった・・・。

 
というか、曲がり角にこんな看板があったもんで、コレに気を取られてしまった。↑



この風景は磨崖仏が彫られた時代からあまり変化していない気もします。