秀明記(syuumeiki)

着物デザイナーが日々感じたこと、
全国旅(催事)で出会った人たちとのエピソードなど・・・
つれずれなるままに。

薬祖神祠。

2013年04月21日 08時04分58秒 | 京都非観光迷所案内

 この祠も存在は知っていたけど、探し訪ねるまでもナカロ、と保留にしていました。
保留にしていたワケは別にコレといってないんですけどね。

まぁ、あの近辺に用事ができたときにでも、寄らしてもらいまっさ、って感じでした。
(別に寄ってもらわんでもエエわいな、と薬祖神様も思ってはったかも知れんけど)

先日烏丸通りを北上して白川方面に出かける用事があったので、ちょっと寄り道
させてもらいました。

大巳貴命(おおなむちのみこと)、大国主命、小彦名命、→日本。 神農→中国
ヒポクラテス→ギリシャ。このバラバラのピースを一まとめて祀ってあるのが、
ここ「薬祖神祠」です。

  

バラバラといっても、一応、医学繋がりはあるから、「無茶しよんな~」、ということ
はありません。けど、「大丈夫でっか、皆さん喧嘩せんと仲よーしたはりまっか?」
と余計な心配をしてしまうのはワタクシだけでありましょうか?

この二条通は1600年ころから薬屋の町として栄え、問屋仲間が集まって講を
くんで、この祠を祀ったそうです。(今の場所に移られたのは1906年)

1880年ころに 「そやな、近頃西洋の薬品もようけ輸入されてきたことやし、
ひとつ、西洋の神さんもお祀りしよなないか?したら誰がよろしおすやろ」

「そら、西洋の神さんゆうたら、キリストはんやろ。そやけど、大国はんの隣に
磔の十字架はどないなもんやろな」

「あほ言いな、なんぼ奇跡で病人を治さはった言うても、そらアカンわ。そや
○×堂のご隠居はんに聞いてみまひょ」
  

てな会話はなかったと思いますけど、西洋医学の父といわれたヒポさんも
合祀されるようになったみたいです。

11月の薬神祭には多くの出店が出て、大変賑わったそうですが、今は昔日の
思い出となったようです。これはどこの町でも見られる現象ですけどねぇ。

神農さんも「ワシを大事に祀ってくれるテキヤの衆が見れんよーになって寂しい
こっちゃの」、と呟いておられるかも知れません。

  

この祠をもう少し西へ行くと2012.5/27日にご紹介した三井越後屋京本店跡
があります。なんでそのときに一緒に探索しておかなかったって?

だから、言ってるでしょ、迷所案内はほとんど行き当たりばったりだって・・・・。

烏丸通りを東に渡ると漢方薬局の「わやくや 千坂」 北大路魯山人が少年時代
3年間丁稚奉公をしていたのも千坂ですが、当時、この場所で営業していたか
どうかは、分かりません。



この無責任さも迷所案内。(地図もかってに他人のブログにリンクしてるし・・)