秀明記(syuumeiki)

着物デザイナーが日々感じたこと、
全国旅(催事)で出会った人たちとのエピソードなど・・・
つれずれなるままに。

西向日町(にしむこうまち)

2010年06月27日 10時49分28秒 | 京都非観光迷所案内
この前東向日町の激辛商店街を紹介しましたけど、東を紹介して西をおざなりにするのは
片手落ちではないか?という多数の意見があったもんで、(ウソです)本日は西向町をご紹介。

と言っても長岡天神駅と東向日町の間にあるこの駅、いたって地味です。もちろん急行さえ
止まらず、駅前もほとんどなぁん~にもありません。

そんな人知れない?駅をどうして訪ねたかというと理由は二つあります。

一つ目は今、物集女(もずめ)と西岡(にしのおか)の歴史をちょっこし調べています。
この付近、歴史的には古墳時代からの遺跡も数多く残されています。

今回は戦国時代にこの地を治めていた土豪たちの足跡を訪ねてみたくなりまして・・・。
(貴重な昼休憩の時間にナニやってんだか)

当時、この地には物集女氏をはじめ、数家の土豪たちが存在していました。そんな豪族の
なかの一人、「秋田氏(仔細は不明)」が城を構えていたといわれる「上植野城」があった
といわれる場所で往時を忍んでみるべぇ、と小雨降る中、阪急西向日駅で下車。

城跡といっても城郭も無い周囲に土塁や堀を巡らせたタイプの「居館」といわれる城で、
しかも今は住宅地と化していますからなぁんに残っていません。

ではナゼ物好きにもそんな場所に足を向けたかというのが、理由の二つ目。

この西向日駅は10代後半から20代前半まで利用していた駅なんですが、一度も東口に足を
踏み入れたことがありませんでした。

一度くらいあったかナ?と記憶を辿っても、まったく無し。まるで阪急の線路がベルリンの
壁みたいに東側は未知の町でした。

それも当然で商業施設のほとんど無いカンペキな住宅街ですから、知人でも住んでいない
限り訪ねる理由がありませんからね。

駅周辺は閑静な佇まいで、多分阪急が開通された頃に宅地として開発されたんでしょうね、
こんな家も当時に建てられたものではないでしょうか。(廃屋じゃないですョ)


春には町の人たちの目を楽しませてくれるんでしょうね、この桜並木。この道を真っ直ぐ
行けば噴水公園。きっとこの町を分譲したときには「噴水公園のある高級住宅地」、なんて
のがウリだったのかも知れません。



桜の季節には大勢の人たちが集うんでしょうが、小雨降る梅雨時、水の止った噴水公園は
なんだか「冬枯れた公園」みたいです。こんな雰囲気も悪くないんですけどね。

住宅街を抜けると、昔の風情を残す風景も点在しています。
  

城館があったと思われる付近にある「持泉寺」。この寺の屋根の四辺にいる唐獅子は逆立ち
していたり、皆バラバラの方向を向いています。寺を四方から守るという意味なのか、禅寺
独自のなにかあるのか、ワタクシにはわかりません。いつか調べてみよう。
 

 

城の面影を残すものはいっさい残っていないのは出かける前の資料で分かっていましたが、
本だけで想像するより現地に立ってイニシエの頃に思いをはせるのでは、また違った感慨
があります。

明治期にこの付近を調査した資料によると、土地の古老はこの場所を「田村将軍居城跡」
だと語ったそうですが、信憑性は?ですね。(坂上田村麻呂は清水寺の建立にも関りの深い
といわれる平安初期の将軍です)

今回参考にさせてもらったのは「京都乙訓・西岡の戦国時代と物集女城」文理閣出版です。
まだ他にも城跡が数箇所紹介されていますが、勝竜寺城を除いて建造物として形の残されて
いる城跡はありません。

明日はもう少し時代を遡って「長岡京時代」を訪ねてみます。この歴史探訪はビンボー人に
とってはお金がほとんどかからない娯楽ですなぁ・・・・・。