秀明記(syuumeiki)

着物デザイナーが日々感じたこと、
全国旅(催事)で出会った人たちとのエピソードなど・・・
つれずれなるままに。

桂川連理柵(れんりのしがらみ)

2011年04月17日 10時59分27秒 | 京都非観光迷所案内

 今から250年ほど昔のこと、ころはちょうど4月です、親子ほど年
の違う男女の心中事件がありました。(場所はもう少し下流でしょうか)

とはいっても、それは芝居のお話ですけどね。ただ、もととなったお話
はあったそうです。心中ではなくて強盗殺人事件だったそうですが。

川原にうちあげられたのが、十代の娘と四十前の中年男だったもんで
最初は心中事件では?と思われたのかも知れませんね。

事件が起こったのは4月ですが芝居として5月にはもう上演されたそ
うです。(管専助作の浄瑠璃は5年後)

当時はなにかスキャンダル的事件や衝撃的な出来事が起こると、あっと
いう間に芝居に仕立て上げるってことは常識だったそうですね。

事件の熱の冷めぬうちに、サクサクっと台本を書き上げる・・。確か一夜
漬け、という言葉も芝居の台本作りから出た言葉だったと思うけど。

でもそうなってくると事件の信憑性や関係者にたいする配慮なんてあった
もんじゃない。差しさわりのある場合は名前を変えて上演したそうですが、
この「桂川・・」の場合、虎石町の呉服屋の娘「おはん」は実在していたとか。

まぁ、今でも何か事件が起こると被害者の家族にマイクを向けて、「今の
お気持ちは?」なんてやってやってますから、今も昔もさほど変らないか。

「お半長右衛門」といえば中年男と小娘の‘思案のほかの恋‘の代名詞
のようになってしまったそうです。

ただの強盗殺人事件なら、「お半長右衛門」の名前もすぐに忘れられて
いたでしょうが、芝居となって代名詞のように記憶にとどめられる・・。

どちらがお二人にとっては良かったんでしょうね。もっとも名もなき庶民とし
て天寿を全うできたほうが幸せだったことは間違いないでしょうけど。

因みに歌舞伎として上演される場合、江戸前では「桂川」は「隅田川に置き
替えられるそうです。