book577 火喰鳥 羽州ぼろ鳶組 今村翔吾 祥伝社文庫 2017 1/3
2023年4月に大津を訪ね、比叡山延暦寺、日吉大社、坂本の町並みで穴太衆による石垣を見た。予習で、穴太衆などの石垣職人を主題にした今村翔吾著「塞翁の盾」が2022年の直木賞を受けたことを知った。直木賞を受け「塞王の盾」は図書館の予約数が500?600?になった。 穴太衆の復習はあきらめ、今村氏のデビュー作といえる「羽州ぼろ鳶組 火喰鳥」を読むことにした。この本で、2018年に第7回歴史時代作家クラブ賞の文庫書き下ろし新人賞を得ていて、その後「火喰鳥」シリーズが13巻まで発行されている。
江戸は、1657年の明暦の大火、1772年の明和の大火、1806年の文化の大火の三大大火を始めとする火災で大きな被害を受け、幕府は火除け地をつくる、用水を引く、防火構造を勧める、火消を組織するなどの対策を講じてきた。
「羽州ぼろ鳶組 火喰鳥」は、明和時代に出羽新庄藩火消組頭取に仕官した松永源吾30歳が火消組を再編し、火消しに奔走、狐火と呼ばれる放火犯を火付盗賊改方長谷川平蔵と力を合わせて取り押さえる物語である(本書に登場する長谷川平蔵は、池波正太郎著「鬼平犯科帳」に登場する長谷川平蔵と同じ火付盗賊改方で同名だが「火喰鳥」に登場する平蔵の子である)。
物語は、序、第1章 土俵際の力士、第2章 天翔ける色男、第3章 穴籠もりの神算家、第4章 花咲く空の下で、第5章 雛鳥の暁、第6章 火喰鳥 と展開する。
序
(10年ほど前、宝暦8年1758年)新庄藩士・折下左門19歳が九段阪飯田町で火事に遭遇し、年の変わらない「火喰鳥」と呼ばれる火消が、煙に巻かれて逃げ遅れた姫を助けるため炎に覆われた店に飛び込み、助け出すのを目撃する(姫が物語の主要人物であろうことは想像できるが明かされるのは第5章である)。
話は10年後の第1章 土俵際の力士に飛ぶ。(源吾は「序」に描かれた活躍のあと月本右膳の娘・深雪と結婚する。深雪が源吾に惚れ父が結婚を許すのだが、新庄藩松平家用人の甥・鵜殿平左衛門が深雪に横恋慕していて、源吾の脚に傷を負わせ、源吾はそのため火事の現場で恐怖から体が動かず、火消を止める。「火喰鳥」はこうした唐突な展開が多い。こうした唐突さが評価され賞につながったのかも知れない)。
深雪23歳と貧乏暮らしをしていた松永源吾30歳の住まいに新庄藩6万8千2百石の家臣・折下左門が訪ねてきて、新庄藩火消組を立て直すため(理由はあとで分かるが定員110名の鳶は24名を残して辞めてしまい壊滅状態)、主君・戸沢浩太朗の命で源吾を300石で火消頭取として召し抱えたいと話す。源吾は火消しの仕事を躊躇するが深雪は大乗り気で、仕官が決まる。
新庄藩上屋敷は江戸城大手門から32丁≒3.5km南の芝飯倉森元町(現麻布台)に位置する。
源吾が家老・北条六右衛門に謁見すると、家老は200両で火消組を再興させよと厳命し、源吾は1年半で結果を出すと啖呵を切る。
江戸の消防組織が紹介される。大名屋敷から8丁≒870m四方を範囲とする「八丁火消」(小大名では5丁、3町と小さくなる)、江戸城本丸や西之丸、紅葉山、浅草御蔵、増上寺など要所を守る「所所火消」、10万石以上の大名4家ずつが桜田組、大手組としてその方角から迫る火災を消し止める「方角火消」の大名火消と、4000石以上の旗本に組織された「定火消」が常設され、さらに48組の「町火消」が発足した。
源吾が仕官した戸沢家は桜田組に属する方角火消で、宝暦13年1763年に拝命してから8年になるが、火消組頭取・眞鍋幸三が家老・北条六右衛門を諫めようと切腹し、頭取を慕う鳶が大挙して止めたため、再建が急がれた。しかも、纏、竜吐水、大団扇、梯子、鳶口、刺叉、玄蕃桶の七つ道具も不足していた。
源吾を補佐する火消頭取並は鳥越新之助である。新之助の父・蔵之介は眞鍋幸三諫死のあと火消組頭取代行として人材不足の火消組を率い、狐火と呼ばれる正体不明の火付けによる赤羽橋近くの木綿問屋「日野屋」の火事に方角火消として一番乗りして鎮火したが、耐火造りの土蔵に小さな穴を空けたとき、穴から炎が噴き出し(付け火による爆発的な火災を朱土竜(あけもぐら)というらしい)命を落とした。
それを聞いた源吾は、蔵之介はなぜ朱土竜が見抜けなかったのか腑に落ちないと思う(腑に落ちない理由は第5章で明らかになる)。
源吾は新之助に、消防は初動の一番組30名で7割が決する、なかでも俊敏で度胸の据わった纏持ち、怪力の壊し手、火消しの軍師となる風読みは欠かせないと話しながら、定員を補う80名を集めようと日本橋の口入れ屋・越前屋を訪ねる。
越前屋が越前から80名を雇うと人足料は283両と見積もると、源吾は深雪を呼び出す。深雪は見積もりを155両と見直し、さらに口止め料と足代3両を受け取る(深雪は算術に強く押しも強い)。
越前から80名が着くまで2ヶ月かかる。そのあいだに火消組の柱となる纏持ち、壊し手、風読みを探さなければならない。
(まず壊し手探し)。新之助が怪力がたくさんいる相撲興行に源吾を誘う。
身丈6尺4寸≒192cm、目方45貫≒168kgの巨漢・前頭14枚目の荒神山寅次郎31歳が土俵に上がるが、あえなく叩き落とされる。寅次郎には前頭筆頭で将来が期待される達ヶ関森右エ門という弟がいて、達ヶ関が火消鳶と諍いを起こしたとき寅次郎が止めに入って膝を壊し(因縁は第5章で明かされる)、以来寅次郎は負けが続いている。
寅次郎は千秋楽で達ヶ関と取り組むのを最後に引退し、田舎で田畑を耕そうと思っていた。寅次郎が気になり源吾と新之助が千秋楽を見に行くと、結びの一番、達ヶ関と寅次郎の対戦が始まろうというとき、半鐘の連打=火元近しが鳴り、火が迫ってきた。
観衆も行事も逃げ出す。土俵にあがった寅次郎は源吾の軍配で達ヶ関と取り組み、力を出し切る。対戦を終えた寅次郎は髷を切り、源吾に弱き者を助ける火消しになりたいと頭を下げる。
第2章 天翔ける色男
(次は纏い持ち探し)。新庄藩火消屋敷のそばに鳶たちが住む長屋が併設され、巨漢の寅次郎は二部屋分をぶち抜いた一部屋に入り、鳶たちといっしょに3日に一度の教練を受ける。
源吾は新之助と左門が集めてくれた7年分の火消番付をにらみながら人材を探す。7年前の番付表の東大関に松永源吾の名があった。西の大関は大音勘九郎である。東前頭7枚目は、新之助の父・鳥越蔵之介だった。
7年前に十両、今では西前頭3枚目になったに組の花纏・甚助に着目する。甚助を引き抜くには20両、に組に祝儀30両が必要になる。翌日、源吾は新之助、寅次郎と甚助に会いに行く。
甚助が引き抜くなら50両欲しいと言っているところに、上背5尺5寸≒165cm、24・5歳の役者に並ぶ男前の人気軽業師・彦弥が飛び込んできて、立て替えたお夏の借金を返せと甚助に詰め寄る。に組の鳶仲間が彦弥を押さえるが、隙を見て彦弥は逃げ、あっという間に3間半≒6.3m先の屋根に飛び渡った。
甚助、彦弥、お夏の3人は孤児で、同じ寺の和尚に育てられた幼馴染みである。彦弥は軽業師に、お夏は茶屋に奉公し、甚助は鳶になった。病で伏せった和尚の治療代を、甚助はすでに借金を重ねていたので、お夏が高利貸しの丹波屋から金を借りたが証文が書き換えられて30両になり、吉原に売られようとしていた。
彦弥はお夏に片思いしていて、お夏と甚助の相思相愛を知っていたが、高利貸しから30両を借りてお夏を助ける。責任を感じたお夏は証文を焼いてしまおうと丹波屋に忍び込み、見つかって押し問答しているときに店に火がついてしまう。火付けは重罪である。丹波屋の嘘の証言でお夏は火付けの責めを負わされると思い、身投げしようと高さ4丈≒12mの火の見櫓を登る。
火元の丹波屋に、町火消に続いて源吾、寅次郎、彦弥が駆けつけ、火の見櫓のてっぺんのお夏を見つける。源吾が足をすくませているところに甚助も駆けつけ、火が回り始めた火の見櫓を登り出す。甚助は、お夏まであと少しのところで足場が崩れて落下する。
そこへ大声で新庄藩火消と名乗りながら彦弥が現れ、火が回った櫓を登ろうとすると、源吾の予想を裏切って風の向きが変わり、火の見櫓が崩れ始める。お夏は彦弥にありがとう、さようならと言って身を投げる。その瞬間、彦弥が空に飛び、お夏にしがみついて自分の体を下にして落ちる。櫓の下では寅次郎が構えていて、踏ん張りながら二人を受け止め、二人とも命が助かる。
火付盗賊改方の詮議で失火が認められ、お夏は江戸所払いとなる。甚助は見送りに来た源吾、彦弥に、お夏と夫婦になり、亡き和尚の故郷・甲斐で田畑を耕すと話す。彦弥は源吾から纏持ちとして前借りした30両を二人への餞別として渡す(今村氏はそれぞれの章ごとに人情味ある小話を挿入する。これも好評の理由であろう)。 続く