優しさの連鎖

いじめの連鎖、って嫌な言葉ですよね。
だから私は、優しさの連鎖。

1989年5月(次男誕生・長男3歳1か月)

2020-07-05 12:49:24 | 日記
5月1日
 38週の検診に行ってきた。「子宮口が3㎝開いているので近いうちです」と言われた。経産婦なのでおなかの張りが続くようになったら連絡するようにとのこと。長男の38週の診察の時と同じ先生だった。病院から帰ってくると妹も帰省しており、母の友人が娘さんと孫を連れて遊びに来ていたとのことで、SUも遊び疲れて眠っていた。母はさっき来ていたよその孫とSUを比べて「SUちゃんの方が顔が可愛い」とか「SUちゃんは優しい」とか「SUちゃんの方が語彙が豊富だ」とか言っていた。夜SUが寝てからシャワーを浴びる。お腹の張る回数が多くなっている。
5月2日
 雨降りです。AM10:00お腹がキューっと痛い。陣痛かなという感じ。母に言うと「自分も二回目の時そうだった」と言う。少し様子を見ることに。雨が強くなる。
PM10:00お昼過ぎまで前陣痛は続いたけれど、午後になり雨が上がったころから痛みは無くなり、いつもの張りと腰痛になった。結局今日は産まれないみたい。
SUは昨日よそのおばさんに「おばあちゃんのとこに遊びに来たの?」と聞かれて「うみにきたの」と答えたそうだ。二人して「え?海に?」と意味が分からずしばし考え込んだとのこと。うみに、は「産みに」ですね。
連休なのでお父さんが今夜中に来るとのことだが、遅くなるからもう寝なさいとSUに本を読んであげる。「白い鳥になった少女」というお話。SUは、怖かったのか,可哀そうだったのか涙を浮かべていた。
5月3日
 AM0:30お父さんが到着。SUのことなど話して眠りにつくがAM2:30トイレに起きる。その後寝付けずAM3:10お腹がキューっと痛くなる。20秒くらい痛みが続く。その後AM3:16やはり20秒。そのあとはAM3:22、AM3:28とほぼ等間隔。間違いない。着替えをする。お父さん疲れてよく寝ている。起こすの可哀そうと思っているとSUがもぞもぞ動く。その気配でお父さんが目を覚ます。「陣痛始まったみたいだから病院に連絡するね」と言うと驚いて「何分?」と聞く。「6分」と答えると「それじゃあ、急がなきゃ!」と分かったようなことを言う。父と母を起こし病院に電話する。SUがトイレに起きてきて目を覚ましていたので「おかあさん、これから赤ちゃんを産みに病院に行ってくるからお父さんとねんねしていてね」と言うとSUは「え?こんなに暗いのに?」と不思議そうにしている。
入院したのはAM4:00。処置の時は我慢できるくらいだったが陣痛室に入って陣痛の間隔を計ると1分おきに1分くらいの収縮があり、母が痛かったら看護婦さん呼んだ方がいいと言うのでナースコールする。SUの時は分娩室に入ってすぐ産まれ、その瞬間に痛みもすべて消えたという感覚だったが、今回はなかなかうまくいかず、結構時間がかかってしまった。そのせいなのかいつまでも痛みが引かず、本当に産まれたのかどうかよくわからなかった。おまけにすぐには泣かずにしばらく「じゅるじゅる」という吸引する音が聞こえていた。AM5:47、3024グラム。
すぐに夫に電話したが、どういうことか体重も時刻もそれに病室のナンバーすら「受話器を置いた瞬間に全部忘れた」とのことだった。
昼頃、SUを連れてお父さんが来た。赤ちゃんは新生児室だったので、SUが「赤ちゃんどこなの?」と言う。そして私のお腹を見て「赤ちゃん、産まれたんだね」と言った。後陣痛というものなのかずっと痛みがあってすっきりしない。PM2:00初回歩行。傷が痛い。PM3:00、おっぱい飲ませに来てくださいと言われ初めての授乳に行きまじまじと我が子を見た。顔がまだらに赤く、足は紫色、頭も歪んでいて、お世辞にも可愛いと言う感じではない。おっぱいをあげると、最初はなかなか口に含めなかったが何とかくわえると数分くらいしゃぶっていた。SUより飲み方が上手いなと思った。

(不思議なものですね。次男の誕生した日のことをここまで書いていたら当の次男からラインがあり、「先ほど無事に長女が誕生しました」とのことでした!)