風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

書を捨てよ、野へ出よう

2024年05月03日 | 「2024 風のファミリー」

 

ぼくは速さにあこがれる。ウサギは好きだがカメはきらいだ。
これは、寺山修司の『書を捨てよ、町へ出よう』の書き出しの文章だ。この本が出版されたのは1967年のことで、その頃から日本人はひたすら速さに憧れ、速さを追い求めたようだったが、その後は反動としてのシフトダウン。スローライフの勧めや、ゆとり教育などが提唱される。週休2日や祝日の増加などで、すこしはゆとりある生活リズムを取り戻したかもしれないが、いまも行楽地の混雑や高速道路の渋滞は変わらない。

おりしも連休中だが、喧騒の街へ出かけるのはやめて、静かな野へ出てみることにした。
近くの公園で、3家族でバーベキューをする。おとなが6人で子どもが4人、少子化、高齢化の時代、いかにも現代を象徴するような野外パーティーの1日となった。
かつては、どこへ行っても子どもの方が多く、子どもが賑わいの中心だった。そんな子どもだった者たちが、今はせっせと火をおこしている。そして新しい子どもたちは、火のそばへ寄ってくることもない。薪で火を燃やすということは、めったにない楽しい体験だと思うのだが、そんな原始的なものには関心がないのか、子どもたちはあまり火には近づいてこない。

古代からヒトは、火のそばで暮らしてきたはずだが、どこかで生き方の習慣が断絶してしまったのかもしれない。それでも、肉が焼けていく匂いには引きつけられて、みんなまだ狩猟民の野生は残っているようだ。
カルビ、ハラミ、ロース、セセリ、トントロ、カシワなど、やはり野外で炭火で焼いて食べると、格別に肉そのものの味がするようだ。タマネギ、ナスビ、シシトウなどの野菜類は、あまりお呼びではないのか、どうも現代っ子は嗜好が偏っていて、まず食べてみるということをしない。飢えというものを知らず、食べなければ死ぬという実感もないから、食べるということに貪欲にはなれないのだろうか。

肉食獣になって血が熱くなったところで、ボールを投げたり蹴ったりして、久しぶりに汗をかく。 そのあと疲れた大人たちは、ひととき草の枕で夢の中へ。若者たちはスマホで、夢の続きを追いかけている。
夕方は、サザエ、ホタテ、イワシ、イカなどの海鮮を主体に焼く。サザエは、はらわた部分の先っちょが切れないよう、慎重に引っぱり出して食べる。貝でも魚でも、はらわたがいちばん美味しいのだが、子ども達は気味が悪いとか、汚いとかで敬遠する。おかげで、こちらは旨いところを遠慮なく堪能できたが、子どもよりも大人の方が貪欲だというのもさみしい。
飽食の子ども達は、飢えさせてからウサギの野に放つ。書はとっくに捨てられている。スマホも捨てよ、野に出よう、だ。




「2024 風のファミリー」




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