前稿では、古い出土駒が作られた時代(例えば平安時代)、駒は針葉樹ばかりで作られていたのかどうかです。
現今のように、ツゲ(広葉樹)駒は無かったのでしょうか。そのことについて考えてみます、と述べました。その続きです。
古い時代の出土駒には、ツゲで作られた駒は皆目見当たらず、すべてが針葉樹ばかりで、そのほかの広葉樹で作られたモノもなく、それはなぜなのかです。
この時代、遺跡から発掘されているモノの中に木簡があります。特に平城京あたりからは大量に出ていて、木簡は当時、後の紙に代わる書付の材料として使われていた素材として、その多くは杉などの針葉樹を薄く平たく削った木片(ヘギ)で、役所やお寺などでは、ここに墨書して記録あるいは標識として用いられていたわけで、部屋の隅には、そのためのヘギが、うず高くストックされていたことでしょう。
現在は、駒は専ら職人が作るものとされていますが、当時は将棋遊びをする人が自給自足で作っていたわけで、ヘギは程よい大きさに刻まれて、それへ駒の文字を墨書した。奈良・興福寺の井戸から出土した駒はそのようなモノであります。
中には、木簡そのものの形を残したまま墨書きしたものもあって、それは文字書きの練習跡でありましょう。
ところで、出土駒に見るこの時代の駒は、薄っぺらい素材をはじめ、その形と文字は、決して端正とは言い難く、むしろ粗雑なモノであり、それは自給自足で作った駒であるゆえに、当然なことではあります。
では、この時代、現今のような端正な形でツゲで作られた駒は作られていなかったと言いきって良いかどうかです。
次回は、これを考えてみたい。