熊澤良尊の将棋駒三昧

只今、生涯2冊目の本「駒と歩む」。配本中。
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無力

2011-03-14 18:04:01 | 文章
3月14日(月)、曇り。

このところ、無力感と怒りが交錯する毎日。

今、自分に何が出来るかと考えても、殆んど何もできないと言うこと。
被災者と被災地の様子に涙を流し、せいぜい、支援金カンパに協力することぐらい。無力です。


怒りは、いろいろな方面に向けてであります。
例えば、テレビに出てくるその方面の「専門家」と言われている人たち。
政府の「ナントカ委員」という人も多い。
その人たちは、「計測された放射能量は胸のレントゲン検診の数値と比べ殆んど変わらないほど小さい値だ。健康に影響は無い」と、口を揃えて言っています。
本当にそうでしょうか。
これはゴマカシなのですね。

胸のレントゲンで浴びる量は、多くても1年に1回とかでしょう。
(因みに小生は、25年ほど前からレントゲン検診は、回避しております)

対して、放出された放射能の計測値は1時間毎であり、周りに積った放射能チリは勿論、呼吸や食べ物などで人体に取りこまれたならば、(半減期にもよるが)一生放射能を浴び続けることになります。
放射能の影響は、その蓄積量に関わります。
つまり1日でレントゲン検診の24倍、1年なら8760倍、10年経てば8760倍を浴びる訳です。
専門家はそれを分かっていながら、ぬけぬけとゴマカシをのたまう。
今日も、某局のコメンテイタ―「なかにし礼」さんが、そのことを鋭く再三突っ込んでいたのですが、東京大学教授の専門家は「洗い落とせば問題ない」と、他人事のように無責任に言うだけでした。

もう一つ、
専門家や行政は「想定外」と言う言葉を良く発します。
「想定していない事だったから、自分たちには罪がない」と、言いたげです。
確かに今回の大地震と大津波は、何百年に1回あるか無いかのものだった。
未曾有とはいえ、いずれ、あってもおかしくは無い。
小生に言わせるなら「想定しなかったのは、あなたたちの想像力が低かった」ということ。

人類にとって何が重要か。
そこに住む人たちや、環境にとって何が重要か。
経済ばかり重要視する風潮こそ、おかしいと気づきたい。
ソレニシテモ、自らの判断力の足らなさ加減を糊塗し、反省しない専門家が多いということです。

ーーーー
憤りはまだあります。
例えば「計画停電」。これは「無計画停電」と言いかえるべきでしょう。

5つの地域を区切って、順番に停電するというもの。
一般家庭も鉄道関係もお構いなしに電気を止めるという無策ぶり。
鉄道を止めればどんなに影響が大きいか。
それを考えないから「無計画停電」なのです。

政府も政府。その無策ぶり。
ピッカピカの電飾広告やライトアップ、夜中のテレビ広告は、誰が考えても「電力の浪費」でしょう。
「即刻、控えてもらいたい」のアッピールもない。
東電の提案を何も考えないで、「無計画停電」をそのまま発表した官房長官談話。
昨日「節電担当大臣」を設けたはず。
蓮舫大臣の発言もありません。
何のための節電担当大臣か。
やることなすことがチグハグ。馬鹿さ加減もいいとこです。

ーーーー
原発は、1号・3号に続いて2号も「危うい」との報道が夕刻に流れました。
「冷却機能が失われた」と言うこと。
ソレニシテモ、次々と連鎖する事故。

ところが先ほど20時過ぎの報道では、2号は「冷却用ポンプの燃料切れ」だったらしい。
何のことは無い。燃料を入れ直して、冷却を再開したという。
「人間はミスをする動物」。それを絵にかいたような出来事です。
「お粗末」と、済まされることではありませんぞ。


本日は、またしても怒りのオンパレードでした。
お聞き(お見)苦しさは、平にご容赦ください。

ところで、
「怒」に良く似た「恕」という字があります。音は「ショ」。
「怒る」とは正反対の「許す」と言う意味だそうです。
無知な小生は、最近、初めて知りました。
原発事故は「恕」。つまり、許していいものでしょうか。
地元の首長は「事故は無いと信じていた・・」。
空しいばかりです。







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